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能無し内閣のお子様大臣。

 大臣ともあろう者が何があろうと委員会の席で泣いてはならない。全く以て話にならないし、何らかの論評を書こうと思ったが、バカバカしさが先に立って書く気も失せた。  せめてはお子様閣僚はお子様らしく卓袱台返しをやってさっさと辞めることだ。ただし、彼の前途に首相の椅子はない。国際会議で泣かれては国民の恥だろう。いやはや恐れ入る限りだ。

原発事故の収束方向は本当に見えているのか。

  7/30に防護服を着用した海江田経産相は福一原発事故現場を訪れ1~4号機の外観を車内から確認したという。そして事故の収束に向けた工程表は、原子炉の冷温停止を目指す「ステップ2」の段階に入って確実に収束の方向へ向かっているとの感触を得たと発言した。しかし、不安定さが目立つ汚染水浄化システムなど課題も多く、真夏を迎えて作業員の労働環境は過酷さを加え困難な状況が大きく改善されたとも思えない。    そもそも政府と東電が目指している事故原発の「冷温停止」は本当にありうるのだろうか。燃料棒が溶解しメルトスルーして原子炉を突き抜けその下のコンクリートの上に溜まった核燃料が再臨界している現状(再臨界を示す放射性物質がかなり遠隔地でも検出されている)から、どうやって「冷温停止」を行うのか一向に説明されていない。現状では水で冷やし続けるしかないが、その汚染水の循環装置すらマトモに動いていないようだ。    なぜ原子炉建屋そのものを覆う外構工事を始めないのだろうか。布製のカバーで覆う、としていたがその程度のもので十年以上にも及ぶとされている事故収束までの闘いができるわけはない。それよりも建屋外構全体を覆う建物を造る方が確実だろう。そして建屋内の空気を強力な空調で冷やし、空気そのものも放射能清浄機で過酷な放射能汚染状況を少しでも改善することだ。何よりもこれ以上放射性物質が建屋から飛散しないようにすることだ。    日本のゼネコンの建築能力からすれば重量鉄骨で構造体の骨格を作って現地へ運んで組み立て、外壁パネルなどを組み込んで密閉するのもできないことではないだろう。大型の空調施設を稼働して建屋内を冷やすのも不可能ではないだろう。そうした大胆な対策を実行しなければ解決・収束へ向けて作業すること自体が困難で、福一からの放射能汚染物質の拡散をまず徹底して止めなければ首都圏すらも危なくなるだろう。    経産大臣は車の中から福一原発事故現場を見ただけで、能天気な発言はしないことだ。過酷な状況は何も変わっていないし、メルトスルーした核燃料そのものに作業員の手は全く届いていない。その周囲の原子炉格納容器すら、まで開いて中を視認していない。実質的にはまだ何もできていないで、ただ格納容器内に水を注ぎこんでダダ漏れに出てくる大量の放射能汚染水をどう循環させるかに労力のほとんどを取られているだけだ。  

誰も信じていない菅氏をただ一人だけ信じる亀井氏。

  菅氏だけではない、政府経産省を信じている国民は皆無に近いだろう。彼らは「独善」というキーワードを共有している。国家や国民のことはどうでも良い、自分達さえ心地好ければ国民が被爆していようが、郵政資金がどうなろうが知ったことではない。  菅氏はただ政権維持ができるなら「脱原発依存」が個人的な発言になろうと、行司役の経産省が原発理解を得る公聴会を電力会社と協力して演出して自作自演の「学芸会」にしようと、自分たちの心地好い状況さえ維持できれば国がどうなろうと知ったことではない。    虐められっ子のように経産大臣が国会で泣いて見せた。バカバカしくて情けなくなった。男が人前で涙を見せるのは恥とする文化が日本にはあったが、テレビでヘタな「学芸会」を見ているうちに表現力が身についたのだろう。「辛い胸中を表現するには…」と思ったわけではないだろうが、海江田氏は醜態をさらした。  経産大臣として経産官僚がやったことは許されないだろう。それならさっさと官僚を罷免して、自らも菅政権の閣僚を辞めることだ。    かつて宇野重吉という名優がいた。舞台でも映画でも彼は淡々と演じるのを身上とした。喜怒哀楽を激しい身振りや大声を発して表現するのではなく、日常的なごく普通の生活者を演じることで深い悲しみや大きな喜びを観衆に伝えた。  政治理念や政治哲学は記者会見などで大見えを切って伝えなくても、一国の首相なら日々の立ち居振る舞いで国民に伝わるはずだ。「脱原発依存」というのなら、まず自然とそうなるような仕組みを作らなければならない。法律で全料買い取りを義務付けても、原発の代替となりうるほど自然エネルギー発電が増大することにはならない。発・送電分離を行って発電事業の地域独占を廃することだ。基本的な仕組みを変えなければ、大きな変革は何もできない。経産官僚に任せていては自分たちの心地好い現状を決して変えようとはしないだろう。彼らは国を食い潰す巨大なシロアリだという認識を政治家が持たなければ何も変わらない。    官僚の下請けになった政治家は使い物にならない。官僚の意見を代弁するだけの政治家なら国民が選ぶまでもない。少なくとも民主党の閣僚なら毅然として国民目線で物事を考え理念に裏打ちされた政策を官僚に指示することだ。国家と国民のために何をなすべきかを思考したこともない、解ろうと努力したこともないパフォーマ

この国の一般会計規模92兆円が「適正規模」なのかから始めなければならない。

 足らないから増税する、というのはいかにも安易ではないだろうか。財務省はこれまでは足らざるところを赤字国債で賄って、実際の税収以上の予算を組み続けてきた。それが異常な事態だと国民も思わず、平然と受け入れた来た。  しかし考えれば解ることだが、収入以上の暮らしをいつまでも続けられるわけはない。いつかは破綻するのだが、そこに若干のカラクリが隠されている。国の財布は一つではなく、一般会計だけでは推し量れない巨額の特別会計の存在がある。    国民の目の行き届きにくい「特別会計」の存在を国民は知っているが、詳しくは知らされていない。そして政治家も国民の目から遠ざける財務省の意向に従った方向で政治を進めてきた。  たとえば「民営化」は素晴らしい、という刷り込みを行って次々と民営化を行った。国鉄事業から始まって電電公社や専売事業や郵政事業や道路公団などを民営化して莫大な国家財産を民間へ移してしまった。そして民営化と同じような効果として「保険事業」や「外為会計」などの特別会計が存在する。    本来会計システムは第三者に簡明に分かるように仕組みを簡素にするものでなければならない。いかに巨大な世界戦略企業でも、いかに多くの関連企業を傘下に抱えた企業でも、連結決算などで会計諸表を見れば一目瞭然に解る仕組みになっている。しかし国家会計だけ、そうした方向へ向かわないのはなぜだろうか。財務官僚を筆頭に、各省庁の官僚たちが国民に解り難くしている方が都合が良いと考えて、故意にそうしたいるとしか思えない。    国民の税を預かって国民のために使っている、と官僚たちが基本的認識にあれば国民に解りやすい、全体が見通せる会計システムを国も地方自治体も採用するのが本来ではないだろうか。なぜ政治家はそうしろ、と官僚を督励しないのだろうか。  何度もブログで書いてきたが、再び書かなければならない。公会計も国際基準の「複式簿記」へ移行すべきだ。世界で日本と北朝鮮と2、3のアフリカ諸国しか採用していない「単式簿記」を日本が使い続けなければならない必然性がどこにあるのだろうか。    複式簿記を官公庁は採用して、会計基準に則った帳票を作成し公表すれば商業高校の生徒たちなら一目見ただけで直ちに財務状況が理解できるはずだ。それほど難しいことではない。  国民には「税務申告」で複式簿記による会計帳簿の備え付を義務付けて

誰の責任だ。

 民主党の次期代表選の候補者を論って「B級候補」とは何たることだろうか。それでは聞くが、日本の大手マスコミを構成している言論人が果たしてA級言論人だろうか。見るに堪えないほどのC級どころかD級言論人ではないだろうか。  この国を食い潰そうとしている官僚機構に対して敢然と言論で挑む言論人は皆無だ。日本の大手マスコミはただただ唯々諾々と官僚の広報機関に堕して久しい。毅然とした論陣を張って「我一人なりともいざ行かん」と斬り込む言論人は大手マスコミに皆無だ。    現在の政治状況を招いた責任の大半は大手マスコミにある。小沢氏に謂れなき「政治とカネ」なるプロパガンダを連日連夜広報し続けて、国民をすっかり「小沢氏=巨悪」と洗脳してしまった。民主党の中心軸となるべき人を検察官僚と下請け大手マスコミが結託して馬鹿げたプロパガンダで排除してしまった。だから民主党がこの体たらくに堕してしまったとしても仕方ないだろう。その責任は検察と大手マスコミにある。シラッとした顔をしてテレビで「連日猛暑で…」などと原稿を読んでいるMC諸君、少しは唇が寒くはないか。    産経も散々小沢氏の有りもしない「政治とカネ」なるプロパガンダを吹聴しなかったか。小沢氏の悪口雑言を根拠もなく書き立ててカネ儲けをしなかったか。少しは反省して恥じ入ってはどうなのだ、民主党次期代表選挙候補者はB級だなどとヘタな料理番組のキャッチを使うよりも、真剣にこの国の政治状況を憂い、その責任の大半は自社も含めた大手マスコミにあったと、なぜ真摯な反省をしないのだろうか。    幸いにして産経の系列に「いざっ」があって、ネットの書き込みをさせているからこのブログを含めて大手マスコミのハンドリングに因らない意見が掲載されている。かろうじて弥次郎兵衛の均衡が取れて世論が一方にダッダッと流れないで済んでいる。  健全な世論は健全な論評によって成り立つ。自由放題の恣意的な、世論操作とも思える偏向した報道では何も生まれないどころか、戦前の暗黒の世を招くだけだ。少しは反省して背筋を伸ばしてはどうだろうか。  

ガバナンスなき官僚の独善・独走。

  この国は独立国家として政府統治が機能しているのだろうか。それぞれの省庁の官僚たちや、あるいは省庁の縛りさえ喪失した単独の官僚たちが独善的に勝手な動きをしているのではないかと思えてならない。  財務省はやみくもに増税・負担増を国民に求めてあらゆる官僚機構の合理化や縮小努力を放棄したままだ。彼らは予算査定で不必要な部署への予算カットにより消滅させる権限を持っているが、官僚同士の馴れ合いから財務省主導による「事業仕分け」でもチマチマとした指摘に終始し碌な成果は上がっていない。    米国の財布代わりのIMFが日本に「増税要請」してきたのも、米ドルの危機があったからに他ならない。報道では頻りと8/2の米国債デフォルトを騒ぎ立てているが国内財政の国債発行枠などは大した問題ではない。その背後に円換算で1京円を超える対外債務を抱えていることが問題を深刻化している。さらに問題なのは米ドルは日本の日本銀行券のような政府保証すらない。米ドルを発行している中央連邦準備金理事会とは国家機関ですらない一企業に過ぎず、ドル札とは準備金(地金)を持たない小口の無利子国家負債証書に他ならない。つまりデフォルトすれば全世界で流通しているドルの価値がたちまち紙屑と化す可能性があるのだ。  IMFは日本が財政を維持して米ドルを支えるために米国債を大量に買い入れて欲しいと願っている。しかし日本は増税や負担増を実行する経済環境になく、むしろ景気刺激策が必要な環境にある。財務省は忠実な米国のポチかもしれないが、日本国民の税や負担金を預かる財務省でないのだけは明らかだ。    そうしたさなか、民主党の中井氏が官僚を通訳代わりに伴って北朝鮮の拉致問題担当高官と接触していたとの疑惑が浮上した。何ということだろうか。日本は米国や中国も含めた6ヶ国協議の枠組みの一員だ。それが6ヶ国協議の動きとは別に北朝鮮と接触するなどということはあってはならない。それなら6ヶ国協議の場で強く「拉致問題が解決しないうちはどんな結論を得ても日本は北朝鮮支援事業に賛同しない」と宣言することだ。衰えたといえども北朝鮮を支援する国力のある国は日本しかない。米国も中国も北朝鮮支援の勘定書きを日本に押し付けようと思っているのだ。    幼保一元化などにまた新しい省庁を作るつもりのようだが、官僚たちはどこまでも焼け太りが好きなのだろうか。焼け太っ

言論界よ「立ち上がれ」ではなく「総懺悔し責任をとれ」だろう。

  この国のここ2年有余の間に起きた政治的謀略の主役は検察東京地検特捜部であり共犯として大手マスコミが扇動役をつとめたことを忘却したかのような論評だ。  言論界が立ち上がるべきとの論は少なくとも「首相をコロコロ替えるのは良くない」と民主党代表選で菅氏再選を強力にアシストした責任はあるが、それ以上に小沢氏を標的とした元秘書への西松の不正献金疑惑から始まった一連の捏造疑惑報道合戦でどれほど国民世論を誤った方向へ扇動したか、真摯な反省なくしていかなる文言も空虚に響くだろう。    東京地裁が検察証拠とした取調べ調書の大幅証拠不採用・却下があったにもかかわらず、この期に及んでも小沢氏への謝罪も報道機関としての反省の弁も聞かれないのはなぜだろうか。言論人として彼らは何と闘い、何を守るべきかを戦前・戦中の1億総懺悔の気持ちを失念してしまったかのようだ。  野党党首だった小沢氏に対して献金疑惑を報じるのからして的外れだった。小沢氏に献金してどれほどの効果が期待できるというのだろうか。野党へ下野した自民党国会議員が軒並み政治献金を減らしていることからも明らかだろう。贈収賄を企業が実行するには相手の政治家に相当な職務権限がなければ実効性のある効果が期待できないのはいうまでもない。    少しでもまともな判断力のある言論人なら「野党党首の小沢氏」に献金疑惑が持ち上がった時に眉に唾しなければならなかった。水谷建設の元社長から不正献金をしたと証言が飛び出したときにも、事実関係を詳細に取材しなければならなかった。元社長が証言した時の状況と検察との力関係を少しでも怪しめば、愚かな煽り記事を書いたり献金受け渡しの「再現ビデオ」を制作して放送したりしなかったはずだ。しかし、大手マスコミはそうした検証もなく検察情報の垂れ流しに輪をかけて広報した。まさしく大手マスコミは検察の広報機関に成り下がり、小沢氏追い落としのプロパガンダを一幕物の再現ビデオに収めて放映までしでかした。何という愚かしさだろうか。    言論人はこの国に存在しているのかと疑う。少なくとも大手マスコミで禄を食んでいる言論人はフィクション作家であっても断じてジャーナリストではない。細々とネットの中でのみ健全な論評は存在し続けてきたが、それでも「為にする愚かな」小沢氏に対する誹謗中傷の嵐に曝されてきた。  大手マスコミは真剣に反省すべきだ

菅体制はいつまで続くのか。

 菅降ろしを策した張本人が8月下旬に中国を訪問するとは、その時期まで政府要人でい続けるという意味なのではないだろうか。仙谷氏は本気で菅首相を降ろそうとしていたのか、その真意を疑わざるを得ない。    しかも対中政策で決定的な失態を犯した人物がいまさら何をやろうというのだろうか。政府の責任で中国人船長を釈放しておきながら那覇地検に責任を押し付け、弱腰外交を「柳腰」だと強弁した。強い者には弱く、弱い者には強いという典型的なダメ人間な男がこの国の政府要人として訪中するのには反対せざるを得ない。    内容は分からないが訪中に関して自民党の石破氏とも話し合ったとはどういう意味だろうか。石破氏は防衛族で米国のお気に入りの人物だ。確かに米国は中国と仲良くしなければならない経済状態にあり、世界の対ドル保有高で1,2を争う両国が仲良くドルを支えて欲しい米国の意図は理解できる。    しかし退陣を迫られている菅政権の要人として中国を訪問して何を話し合い、何を約束するつもりだろうか。石破氏とともに訪中して米国のメッセンジャーボーイの代役でも勤めるつもりなのだろうか。いすれにせよ、外交はロングスパンで対処すべきもので、コロコロと方針を変更しては足元を見られるだけだ。    対中ODAを見直すはずが、日本へ脅威を与える空母をも持つ国へ引き続きODA供与を引き続き同規模で行うと表明している菅政権は相変わらず「朝貢外交」を続けるつもりなのだろう。  外務省のチャイナスクールの生徒を省内から放逐しない限りまともな対中外交はできないだろう。仙谷氏がまず対中政策ですべきは訪中ではなく、外務官僚の対中担当の刷新だ。

外交交渉にスタンドプレーや焦りは禁物。

 菅氏はバカげたことを目論んだものだ。首相の意向を受けた 民主党 の中井洽元拉致問題担当相が21、22の両日、 中国 ・長春で北朝鮮の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使と極秘に接触したという。結果として北朝鮮は拉致問題は解決済みとの基本姿勢を崩さずうまくいかなかったようだが、日本が交渉を北朝鮮に持ちかけた際にどのような「お土産」を用意していたのかが気になる。    外交交渉を外務省と首相とが二元で展開するのは最も避けなければならないことだ。菅氏の脳裏には北朝鮮を電撃訪問して北から数人の拉致被害者と家族を帰還させた小泉元首相の鮮やかな手際を真似ようとしたのだろうが、その手柄ですら薄汚れた裏取引があったのではないかと指摘されている。    実際、小泉元首相が数人の拉致被害者とその家族を取り戻したものの、それで拉致問題は解決したとして北はそれ以後の話し合いを拒否している。その時に締結された「平壌宣言」は反故にされている。  退陣時期が取り沙汰されている首相が「電撃的な手柄」を立てようとしたのなら間違いだ。コソコソと極秘会談などやらないで、堂々と正門から会談を要求すべきだ。それで拒否するのなら世界に向かって北朝鮮の非を鳴らすしかない。    北朝鮮と対等以上の武力をもつ韓国ですら数百人もの拉致被害者を抱えたまま、問題解決の糸口すら掴んでいない。まともに北朝鮮と対峙できるほどの軍事力も持たない日本が軍部主導の北朝鮮と話し合いなどできるはずがない。世界はいまだに暗黒の中世並みの軍事力至上主義の真っただ中にある。  法治国家を標榜する日本国内でさえ、どのような犯罪があったのか理解に苦しむデッチ上げの事件で大政党の元代表だった政治家が検察により強制調査を受ける戦前の治安維持法の時代さながらの状況にある。まずは国内に正義を取り戻してから、北朝鮮とは新首相の下でじっくりと外交交渉を行うべきだ。

今度は何が目的の「電力不足プロパガンダ」を流すのか。

  受験勉強で大切なのは傾向と対策だ。大手マスコミは新聞テレビを総動員して「電力不足」を宣伝しているが、電力は本当に不足しているのか。そして将来に亘って電力不足を起こさないためには何が必要なのか、を冷静に考えなければならないだろう。いたずらに現在起こっている状況を騒ぎ立てるだけでは「為にする報道」の餌食になるだけだ。    突如として今年湧き上がってきた「電力不足キャンペーン」の正体は何だろうか。それも当初は福一原発事故による原発停止が原因で、原発停止は国民生活と産業基盤の「電力供給」に大きく関わっている、と思わせたくてたまらない連中がワーワーと騒ぎ立てているようだ。しかし東電が福一原発停止のまま夏を迎えたのは今年だけではない。2003年にも福一原発が停止した夏を過ごしている。その時には今年ほど大騒ぎしていないばかりか、電力不足にもなっていない。    経済界までも「電力不足により企業を海外へ移転させざるを得ない」などと発言しだした。彼らも電力の安定供給には原発が必要だとする応援団なのだろう。経団連や経済同友会の会員のうち電力各社は大きな存在だから電力会社の応援団になっても仕方ないが、余りにも「為にする発言」をしていると見識と人物の器量が問われかねないことになるだろう。    本質的にこの国は原発依存をやめなければならない。そして本気で放射性廃棄物と各地の原発廃炉へ向けて、その手順と処理方法を検討しなければならない。未来のこの国の国民に放射能まみれの国土を受け継がすわけにはいかない。我らの時代にしでかした「負の遺産」は我らの時代に処理すべきが筋だろう。    経済界にも進言したい。原発がなければ電力不足に陥る。電力不足では工場を海外へ移転せざるを得ない、という理屈は余り的を得ているとも思えない。海外とは何処へ移転すると予想しているのだろうか。すでに中国は移転よりも撤退の流れにある。それではヴェトナムか。タイか、インドか。果たしてその国の電力事情を十分に調べた上での発言なのか。    経済界が「海外へ」と移転させたいと思う動機の一番は電力事情ではなく、むしろ円高だろう。現在の80円を切るという、これほど異常な為替変動に耐えられない企業が出てきて当然だ。それもこれも日銀が円サプライの健全性を維持する、としているからだ。円が正常なら為替がどうであれ無関心なのか、それとも米