この国の一般会計規模92兆円が「適正規模」なのかから始めなければならない。

 足らないから増税する、というのはいかにも安易ではないだろうか。財務省はこれまでは足らざるところを赤字国債で賄って、実際の税収以上の予算を組み続けてきた。それが異常な事態だと国民も思わず、平然と受け入れた来た。


 しかし考えれば解ることだが、収入以上の暮らしをいつまでも続けられるわけはない。いつかは破綻するのだが、そこに若干のカラクリが隠されている。国の財布は一つではなく、一般会計だけでは推し量れない巨額の特別会計の存在がある。


 


 国民の目の行き届きにくい「特別会計」の存在を国民は知っているが、詳しくは知らされていない。そして政治家も国民の目から遠ざける財務省の意向に従った方向で政治を進めてきた。


 たとえば「民営化」は素晴らしい、という刷り込みを行って次々と民営化を行った。国鉄事業から始まって電電公社や専売事業や郵政事業や道路公団などを民営化して莫大な国家財産を民間へ移してしまった。そして民営化と同じような効果として「保険事業」や「外為会計」などの特別会計が存在する。


 


 本来会計システムは第三者に簡明に分かるように仕組みを簡素にするものでなければならない。いかに巨大な世界戦略企業でも、いかに多くの関連企業を傘下に抱えた企業でも、連結決算などで会計諸表を見れば一目瞭然に解る仕組みになっている。しかし国家会計だけ、そうした方向へ向かわないのはなぜだろうか。財務官僚を筆頭に、各省庁の官僚たちが国民に解り難くしている方が都合が良いと考えて、故意にそうしたいるとしか思えない。


 


 国民の税を預かって国民のために使っている、と官僚たちが基本的認識にあれば国民に解りやすい、全体が見通せる会計システムを国も地方自治体も採用するのが本来ではないだろうか。なぜ政治家はそうしろ、と官僚を督励しないのだろうか。


 何度もブログで書いてきたが、再び書かなければならない。公会計も国際基準の「複式簿記」へ移行すべきだ。世界で日本と北朝鮮と2、3のアフリカ諸国しか採用していない「単式簿記」を日本が使い続けなければならない必然性がどこにあるのだろうか。


 


 複式簿記を官公庁は採用して、会計基準に則った帳票を作成し公表すれば商業高校の生徒たちなら一目見ただけで直ちに財務状況が理解できるはずだ。それほど難しいことではない。


 国民には「税務申告」で複式簿記による会計帳簿の備え付を義務付けているのに、公会計が千年も以前からの「歳入・歳出」の単式簿記を使っているのはどのような合理的根拠も有しない。それが国家や地方自治体で許されるのなら、民間企業が単式簿記を採用して摩訶不思議な「特別会計」を有し、関連子会社と連結決算をしないでも「税務当局による指導」を拒否できるようにしなければならないだろう。国家にできないことを民間企業には厳しく求める官僚の独善的な体質を直ちに改めなければならない。


 


 国民は財務省が公報する数字しか知らされていない。それによって「増税・負担増」の議論を政治家が洗脳され、国民に押し付けているに過ぎない。国家会計の全体像を把握している経済学者や評論家が果たしているのだろうか。彼らの多くは財務省の「加工した会計報告書」を見て判断しているに過ぎない。そのような状態を続けていて「基幹税目の増税が必要だ」との議論に与しろとは余りに独善的な話ではないだろうか。


 政治家に国家財政の全体像が見えていないから議論も散文的にならざるを得ない。その責任は会計システムを故意に不可解なシステムに放置してきた官僚たちにある。まともな議論をしたいなら、財務省はまともな会計諸表を国民の前に提示しなければならない。話はそれからだ。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。