誰も信じていない菅氏をただ一人だけ信じる亀井氏。
菅氏だけではない、政府経産省を信じている国民は皆無に近いだろう。彼らは「独善」というキーワードを共有している。国家や国民のことはどうでも良い、自分達さえ心地好ければ国民が被爆していようが、郵政資金がどうなろうが知ったことではない。
菅氏はただ政権維持ができるなら「脱原発依存」が個人的な発言になろうと、行司役の経産省が原発理解を得る公聴会を電力会社と協力して演出して自作自演の「学芸会」にしようと、自分たちの心地好い状況さえ維持できれば国がどうなろうと知ったことではない。
虐められっ子のように経産大臣が国会で泣いて見せた。バカバカしくて情けなくなった。男が人前で涙を見せるのは恥とする文化が日本にはあったが、テレビでヘタな「学芸会」を見ているうちに表現力が身についたのだろう。「辛い胸中を表現するには…」と思ったわけではないだろうが、海江田氏は醜態をさらした。
経産大臣として経産官僚がやったことは許されないだろう。それならさっさと官僚を罷免して、自らも菅政権の閣僚を辞めることだ。
かつて宇野重吉という名優がいた。舞台でも映画でも彼は淡々と演じるのを身上とした。喜怒哀楽を激しい身振りや大声を発して表現するのではなく、日常的なごく普通の生活者を演じることで深い悲しみや大きな喜びを観衆に伝えた。
政治理念や政治哲学は記者会見などで大見えを切って伝えなくても、一国の首相なら日々の立ち居振る舞いで国民に伝わるはずだ。「脱原発依存」というのなら、まず自然とそうなるような仕組みを作らなければならない。法律で全料買い取りを義務付けても、原発の代替となりうるほど自然エネルギー発電が増大することにはならない。発・送電分離を行って発電事業の地域独占を廃することだ。基本的な仕組みを変えなければ、大きな変革は何もできない。経産官僚に任せていては自分たちの心地好い現状を決して変えようとはしないだろう。彼らは国を食い潰す巨大なシロアリだという認識を政治家が持たなければ何も変わらない。
官僚の下請けになった政治家は使い物にならない。官僚の意見を代弁するだけの政治家なら国民が選ぶまでもない。少なくとも民主党の閣僚なら毅然として国民目線で物事を考え理念に裏打ちされた政策を官僚に指示することだ。国家と国民のために何をなすべきかを思考したこともない、解ろうと努力したこともないパフォーマンス政治家ならトットと政界から去ってもらいたい。みんなの迷惑になるだけだから。