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民主党国会議員は菅政権の非民主党的政策を容認するのか。

 国家公務員給与引き下げを一割として民主党の公約二割引き下げは呆気なく反故にされようとしている。公務員給与引き下げの波及効果は大きく、地方公務員にも当然及ぶだけでなく、公務員給与に準ずる、としている概ね省庁外郭団体やNHKや各地の電力会社などの給与も引き下げざるを得ないだろう。  しかし引き下げを一割でお茶を濁してはならない。民間勤労者は平均年給426万円で暮らしているのに、公務員は約700万円となっている。二割引き下げても民間給与より上回っている。しかも民間給与とされている数字には派遣業やバイトなどは含まれていない。    子供手当も高速道路1000割引も6月で打ち切られようとしている。民主党が目指していた官僚制内閣から脱却する象徴的な政策に位置付けていたマニフェストを菅政権はゴミ屑のように丸めて捨て去ろうとしている。それも政権延命の取引として官僚丸投げの自民党の言いなりになってだ。  しかも増税まで目論んでいるというのだから呆れ果てる。この大災害で国富の失われたデフレ環境でさらに増税デフレを国民に押し付けようとしているのだ。それに対して大手マスコミは官僚の広報機関よろしく国民世論は6割近く支持している、と増税を後押しする。大手マスコミの実施する世論調査の数字は本当なのかと疑いが募るばかりだ。    この期に及んで民主党国会議員は何をしているのだろうか。菅氏は民主党的な政策をことごとく反故にして、財務省の手先与謝野氏を党外から政権に入れてまでして官僚の機嫌を取り結び、官僚の言いなりに政策の舵を切ろうとしいる。もはや民主党に残された時間はない。  それでも決起しないのなら、民主党は政権を取っていながら下野したも同然だ。何とも不甲斐ないことだが、政権政党でいながら民主党は野党に蹂躙されている。政権獲得選挙で掲げた高邁な理念は何処へ行ったのだろうか。国民が民主党をばかにして見限っているのは菅氏のバカさ加減が原因だけではない。民主党の国会議員が揃いも揃って小沢氏を排除する愚かな党幹部を交代させないでいるからだ。    いかに大手マスコミが「政治とカネ」で叩こうが、訴因にもなっていない中堅ゼネコンの元社長を法廷で「与太話」を証言させ、それで小沢氏に一億円の疑惑が新たになったと、バカな論説を掲載する大手マスコミの呆れ果てたプロパガンダを垂れ流そうと、国民の多くは真実を見抜いて

日本は防衛軍を十分に備えよ。

 武力による外交を禁じている、世界で唯一の非常識な憲法を押し付けられている日本は防衛軍なら保持できる、という立場だ。それなら防衛軍を十分に備えることだ。    その国を守るのにその国の国民が守るのは常識だ。現在の日本は米軍が駐留し、軍備で補完関係にある。国外への展開と攻撃力は米軍が担当し、日本は国土へ侵攻してきた敵と戦う軍備しかないという、変則的な軍事力しか保持していない。    しかし外国が自国に利益がない場合でも日本のために日本へ侵攻してきた国と交戦するとはいえない。日米安保条約があるではないかというかも知れないが、10条からなる日米安保条約を精読されることを勧める。どこにも「日本を侵攻する他国と米軍は自動的に戦う」とは書かれていない。    米軍の統帥権は米国大統領が保持しているが、駐留米軍は大統領命で動くわけにもいかない。米国議会の同意が必要だとされている。例外規定としては米軍基地が攻撃されるか、日本に滞在している米国人が攻撃されるかした場合はこの限りでないとされている。つまり駐留米軍は一義的には自軍と米国人保護のために日本国領土の一部を治外法権として第二次世界大戦の占領軍として進駐して以来居座り、あまつさえ「思いやり予算」を要求している。    日本の軍事専門家と称する人たちは「駐留米軍の存在」が日本の安全保障に不可欠、だと異口同音に唱えるが、日本の国土防衛のために米国軍人の一人として血が流されただろうか。日本の駐留米軍基地を前線基地として米軍が世界的に展開して各地で紛争を引き起こして米兵が多数戦死している。それは日本の安全保障となんら関わりのない米軍の勝手な日本国内基地の利用だ。    何処かの国は「お人好し」で、何処かの国は「悪意に満ちている」と考えるのは危険だ。そもそも日本人ほど外国に対してお人好しな国民は世界に珍しい。それは戦略なきODAのばら撒きによく表れている。近年中国が実施しているアフリカ諸国や中南米への海外援助の「資源外交」意図がスケスケ過ぎて、かえって日本人の方が顔が赤らむほどの分かり易さと好対照だ。    日本国以外は「隙あらば」と、公園で遊ぶ少女を狙う邪なロリコンと同じだと思えば間違いない。日本が未曾有の大震災に見舞われている現在、露国は露骨に領空侵犯を繰り返しているし、中国船は尖閣諸島近海を頻繁に横行している。韓国は言わずもがな、だ

菅政権は「菅個人商店」なのか。

 民主党代表で国の首相だから何をやっても許される、というのは間違いだ。民主党の党首とは民主的な手続きで選ばれ民主党を代表して党運営を行う役割を一定期間だけ委任されているに過ぎない。菅氏は何を勘違いしているのか、党内の民主的な手続きを一切経ないままに民主党的な看板政策を次々と変更乃至破棄している。    民主党が所属議員二三人ですべてが食卓について食事する仲ならそれでも良いだろう。いわば個人商店の社長なら独断専行でも意思疎通ははかれる。しかし400人を超える国会議員がいて、その半分近くを「敵」に回して碌に相談もせずに菅氏が一人で何事も決めるのでは軋轢を生まない方がおかしい。    しかし大手マスコミも鳩山氏が普天間の移設先に辺野古沖を日米合意案として指定した時には非難の嵐だったが、菅氏が辺野古沖でも地元住民から反対意見の強いV字型滑走路案を米国へ提示するとしても不満の大合唱が起こらないのはなぜだろうか。鳩山氏が同じことを行えば公約違反(実はマニフェストにも入っていなかった「県外移設」の鳩山氏の演説を論ったに過ぎないのだが)と騒ぎ立てるが、菅氏なら音なしの構えなのだ。これほどあからさまな二重基準が大手マスコミに存在するとは驚きだ。    普天間移設先が沖縄県内に必要だというのなら、グアム移転経費は出さないことだ。あれもこれも必要だ、というのは友達へのオネダリではなくカツアゲというものだろう。今後とも長く付き合うには友達に「イヤダ」ということも覚えなければならない。そうしないと国民が反米に傾かないとも限らないだろう。    菅氏の個人商店は従業員を抱える商店よりも、女房と二人で切り盛りする野菜屋あたりがお似合いだ。カイワレやキュウリは大好物のようだから、夫婦で野菜を商う個人商店なら菅氏でも勤まるだろう。しかし株式会社のような大所帯は到底無理だ。菅氏のマネイジメント能力は夫婦二人ぐらいしかできない。専門委員を入れてもかえって三下り半を突きつけられる始末だ。  官邸を出て、東京の郊外の家へ帰って野菜屋でも始めたらどうですか。

「主張」の唱える社会保障とはどんなものか、批判ばかりでなく具体像を示すべきだ。

 財政が厳しいから「子供手当」は廃止し、社会保障も少子高齢化が進むから今後とも毎年一兆円ずつ歳出増となるから国民への負担増は避けられない。しかも税による最低年金保障も財政規律から現実的でない。ーーというのなら、「主張」氏はこの国の社会保障をどうせよというつもりなのだろうか。    毎年1兆円ずつ社会保障が増える、というのは誤りだ。ここ暫くは増え続けるだろう。しかし団塊の世代が消え去る二十年後は人口減社会によって社会保障は減少へ転じる。それも劇的に減少していくが、保険制度で運用する限り、現在の少子化傾向が止まっていなければ現役世代は絶えず高負担を強いられる。夫婦二人で生涯に1.34人しか子供を産まないのだから、絶えず老人人口の全人口に占める比率は大きいままだ。    つまり日本の国民経済規模がハイスピードで縮小していく時代が訪れる。世界的にも珍しいことだが、日本は愚かなことに複式簿記を採用していないから、この国の基本的な減価償却費の総計が幾らか国民はもとより、国会議員にもすぐには分からない会計構造になっている。  会社経営で困難なのは会社規模の成長期ではなく、縮小期の経営だといわれている。将来の日本は縮小期の国民経済を抱えて、国家予算のかなりの部分を割いて全国に投下した膨大な社会インフラを維持しなければならない事態に陥る。それもそれほど遠くない将来においてだ。    現在の日本国民は未来の日本国民に膨大なツケを遺している。なにも「財政赤字」などの一度ハイパーインフレを起こせば帳消しになるような規模の小さな話ではない。全国に造ってしまった54基もの原発のことだ。直ちに廃炉にすべきと思うが、政府にも官僚にも大手マスコミにもそうした意志はないようだ。しかしいずれかの時点で耐用年数が来るか、福島第一原発のように事故を起こして停止せざるを得なくなるか、廃炉にしなければならないのは見えている。その経費を誰が負担するのか。そして出てくる膨大な放射性廃棄物をどうするのか。そうしたツケを未来の日本国民にツケ回ししているという現実を失念している。そのジコチューぶりには驚きを禁じ得ない。未来の日本国民に現在を生きる我々は合わせる顔がないほどのことをしでかしている。    人口予測は戦争などがない限りまず外れない。未来の日本国民に人口減社会も押し付けたまま、少子化対策をおざなりにしようとして

20ミリシーベルトは本当に安全か。

 福島県対策室の副責任者を務める人がバイクでレジャーボートを引っ張っていて道交法で反則金を科せられていたという。 福島県で何が起こっているのか、危機意識のない代表者のような行動だ。  かたや、福島県の放射能汚染をめぐって、幼児や学童の安全基準として国が引き上げた20ミリシーベルトに抗議して、一人の専門家が内閣参与の役職を辞任した。    国は 福島県内の子ども被ばく許容量を年間20ミリシーベルトに引き上げた。これまで、一般の人の被ばく許容量は1ミリシーベルトと定められていた。危険な作業を行う放射線管理区域の5ミリシーベルトすらも大きく上回る数字だ。もっとも放射能被害を受けやすい成長期の子供たちにとって、20ミリシーベルトは本当に安全なのだろうか。     もうじき子供の日だ。この国は子供手当を廃止し、放射能被害の安全基準を大幅に緩和して、放射能汚染地帯の幼稚園や小中学校に子供たちを通わせる。長島氏は国防に関して「専門家」を気取っているが、国民の安全に関してそれほど関心がないのだろう。そうだとすれば、長島氏の関心がある「国防」とは米国の補完自衛隊とボチ予算に関してだけなのだろう。国防といいつつ視野狭窄に陥り、視点から国民が欠落した「専門家バカ」と何ら変わらない。この時期に釣りの話ではないだろう。    菅政権はこの国の未来までも破壊するつもりなのだろうか。辞任すべきは専門家ではなく、菅首相だ。一日も早く退陣して国民が選択した本来の民主党に政権を返すべきだ。

「子供手当」は本当にばら撒きなのか。

 どうやら菅氏は災害復興補正予算の成立と引き換えに「子供手当」廃止を野党と約束したようだ。今年の6 月をもって「子供手当」は廃止となり、先行した扶養手当廃止などによる所得税増税部分だけが残ることになる。    議連もなければ族議員もいないのが「子供手当」だ。もちろん圧力団体となる「業界団体」もない。しいていえばこれからの日本を担う子供たちが「権利者」だが、彼らには選挙権がない。少子化社会に未来はあるのか、という問いかけは未来の問題だ、と思っていて良いのは現在の60歳以上の大人たちだけだ。  若い世代は覚悟した方が良い。前年比人口減が毎年続くのが少子化社会だ。少人数の現役世代で高齢者を支える、というマヤカシの年金保険制度を高齢者福祉の根幹に据える限り、対前年比で保険金の掛け金が不足する事態は永遠に続くのだ。現在の基金部分の積立金150兆円は災害復興の一時立替金として「別途使用」が解禁とされた。これから同様にして次々と年金基金は取り崩されると覚悟した方が良いだろう。    なぜ1回きりの特別な調達に年金基金を使ったのだろう。なぜ特会の緊急性のない積立金を使わなかったのだろうか。たとえば労働保険会計には緊急性のない積立金が6.5兆円もある。特会のカネは自分たちのものだと勘違いした官僚が「私の仕事館」や「スパウザ〇〇」といったリゾートホテルまがいの施設を各地に作ったアノ特会だ。  しかし官僚たちは嵐が頭の上を過ぎ去るのを待って、自分たちの自由になる財布を確保しておこうとして、決して表に出さない。しかも労働保険には議員の応援団もいれば官僚の強固な防衛スクラムもある。    菅氏は民主党の民主党たる政策を反故にし、未来の国民に大きな「負担」を残す「子供手当」廃止を選択したというのなら、民主党の中で09年政権交代の意義を真摯に考える議員は立ち上がらなければならない。  税を官僚に任せて一定の官僚機構の下に水が高い所から低い所へ流れるように、カネを国から地方へ流す過程で各種団体を潤して行くように仕組むのが官僚の得意技である制度事業だ。  「田越の水」という言葉をご存知だろうか。灌漑用水路を造らず、上の段の田を潤した水を畔の一部を切り開いて下の段の田の灌漑用水として使い、さらに下の段へと流す灌漑用水を「田越の水」という。制度事業とはまさしく「田越の水」に国民の税を使うということだ。そ

東電の損害賠償は国で責任を持つ、というがどういうことか。

 東電だけで福島第一原発事故の賠償を負担しきれないから、国が責任を持って損害賠償に当たるということなのだろうか。当然、原発に関しては推進してきた国に責任の一端はある。しかるべき部署のしかるべき行政責任は問われなければならないだろう。    しかし恰も東電に当事者として責任がないかのような議論には首を傾げざるを得ない。原発が発電単価の安い発電装置だとして導入に力を注いだのは電力各社でもある。しかしそれらがすべて捏造された資料と積算に依るものに過ぎず、実際はまだ放射性廃棄物の最終処分場すら決まっていない、従ってトータルコストの出ていない発電装置だったのだ。    さらに福島第一原発事故だ。福島第一原発と同程度の原子力発電所は全国に幾つあるというのだろうか。それらを廃炉にするまでの費用も「原発の発電単価」に含まれていないようなのだ。これほど杜撰な発電単価の算出とその比較で「原発は安価で環境にも優しい」と宣伝してきた広告会社は誇大広告で告発されなければならないだろう。町の健康食品が少しでも薬事法に抵触する広告をすればたちどころに告発され逮捕されるのを国民は数えきれないほど目にしてきた。当然そうあるべきで、原発に関しても「発電単価が安価といわれているが、原発に関してはまだそのトータルコストは算出されていない。環境に優しい、というのも事故を起こさないことが前提で、一旦事故を起こせば放射能汚染の範囲は予測できない」というべきであろう。    さて、政府は原発事故の原因追及をする機関を立ち上げるという。菅氏はいくら屋上屋を重ねれば気が済むのだろうか。原子力委員会や原子力安全保安院が機能していなかったのなら、直ちに廃止すべきだ。そして彼らの責任も問われなければならない。彼らが「原発の安全性」にお墨付きを与えていたのなら、国民に対する背信行為だ。何のための機関と何のための学者や専門家委員だったのだろうか。    しかも問題なのは今度の災害事故が全くの晴天の霹靂でないことだ。福島第一原発の危険性を指摘した専門家や、国会で質問した議員がいたことだ。それにも拘らず問題意識もなく、すべてをスルーして対策を講じていなかったことだ。これほど無責任な連中を国は専門家として処遇し、学者としてご意見を拝聴していたのだ。何ということだろうか。  福島の現地住民が原発立地に賛成したから仕方ないではないか、と

検察の起訴事由は「与太話」の類であってはならない。

   村木氏の冤罪により「凛の会」の主要な犯罪部分は消滅した。後に残るのはそうした郵政事業の割引制度を悪用した当事者の犯罪が残っただけだ。検察が描いた政・官癒着の構造は当初から存在していなかったことが証明されている。いかに裁判所が判検交流により検察とズブズブの関係とはいえ、裁判制度の根幹をなす起訴状の変更を安易に許してはならない。裁判所は事件の根幹をなす部分が消滅したのだから「公訴棄却」を宣言すべきだろう。    小沢氏の秘書が関与した犯罪として大々的に東京地検が動き、大手マスコミも一年半以上にわたって連日のように検察情報リークを無批判に垂れ流した「事件」があった。その核心をなすとされた「西松建設の違法献金」疑惑と、「水谷建設の贈収賄」疑惑があった。しかしどういうわけか西松建設から同じように「違法献金」された他の国会議員は何事もなく無罪放免とされ、小沢氏の二人の元秘書だけが逮捕された。    しかし大久保氏の公判で西松建設の違法性が証言により否定されると、検察は「訴因変更」をして石川氏と同じく「期ズレ」に起訴理由を変えてしまった。  そして一昨日になって石川氏の公判廷に立件すらされなかった「水谷建設の贈収賄」疑惑の発端となった水谷建設元社長を証人出廷させて「贈収賄」証言をさせた。何のためにどのような必要性からそうしたことを行ったのか驚きを禁じ得ない。    昨日、ブログで元社長を証言させたのは、検察と裁判所の司法当局による、「法と証拠」に基づく審理を旨とすべき公判廷を汚す行為だとして批判したが、あらためて批判しなければならない。    公判廷は「与太話」を披歴する場ではない。「こうこうであったげな」とか「こうこうしてこうなった模様」とかいった揣摩臆測の想像力を肥大化して虚構の宇宙へ旅立つ場ではなく、明快なロジックに則って一つの結論へ収束する確かな証拠と物証に裏付けられた証言を積み重ねて事件そのものを確固たる事実として認定する場だ。    さっそく検察の広報機関紙と化した大手マスコミが「元社長に利のない証言をわざわざするはずはない。だから元社長の証言内容は事実だろう」という論調を展開していた。  何とも愚かな連中が大手マスコミに巣食って大きな顔をしてのさばっているものだ。たとえば本当に1億円が水谷建設から消えていたとして、その領収書がなければ誰かが着服したことになる。

名古屋市議800万円が政令市で最低の議員報酬とは。

 市議会議員がどのような活動をしてどのような成果が地方自治体に顕著に表れているのか地域住民は寡聞にして知らない。しかし高額な議員報酬を手にしているのだけは河村市長の問題提起により全国民が知ることになった。なんとも高額な議員報酬を手にしていたのに驚きを隠せない。    政令市で名古屋市議の800万円が最低となったという。勤労者の平均年俸が426万円ともいわれる現在、800万円が最低とは全国の地方議員の年俸を総点検しなければならない事態だと思わざるを得ない。国も地方も財政破綻の危機に瀕しているが、そこで働く人たちに危機感が乏しいのはなぜだろうか。なぜ公務員から「自分たちの俸給は高額に過ぎて、皆さんから徴収した税を頂戴するのが心苦しい」という声が上がらないのだろうか。そして地方議員も「自分たちの報酬は適正だろうか」との検証を議員からやろうとしないのはなぜだろうか。    まず魁より始めよ、ではないだろうか。公務員の俸給を下げるには首長や議員たちが自ら引き下げなければ議論にならないだろう。国会議員も四の五の理屈をつけて高給を食み、あまつさえ政党助成金まで手にしている。政治にカネがかかるのだ、という誤った常識は排除しよう。  通信費にカネがかかる、というのならそれに代わるネットの活用を図り、選挙運動にも認めようではないか。膨大な費用と資源の無駄としか思えない選挙ポスター掲示板も選挙に本当に必要なのか、真剣に議論しようではないか。それのみならず、普段から町中にベタベタ貼っているポスターも禁止にしたらどうだろうか。そうした経費と労務を掛けるのなら、もっと国家と国民のためになる活動をすべきだろう。    恣意的な裁量権の大きく入り込む余地のある「公職選挙法」を徹底して改定しようではないか。そして今は禁止となっている立候補者が一堂に会しての「立会演説会」を義務付けようではないか。それもおざなりではなく、各所で行うように義務付ければポスター掲示板を方々に設ける必要もなくなるだろうし、中身のない街宣の連呼も様相を異にするだろう。

水谷建設元社長の1億円贈収賄証言を報じる大手マスコミ。

 小沢氏元秘書の逮捕につながった西松献金疑惑が違法性のないものとなって頓挫していた検察にとって、水谷建設贈収賄事件が救いの神に思えたのも頷ける。その発端となったのが脱税事件で収監中の元社長が拘置所で行った証言だった。  それに色めき立って暴走した検察が証拠固めもしないで大久保氏や石川氏など小沢氏元秘書を締め上げたのだ。しかし、いくら調べても証拠は上がらず、単に水谷建設元社長の「証言」だけの事件になってしまった。そのため元秘書たちの訴因から外されてしまっている。    それを法廷で証言させ、いかにもそうしたことがあったかのような印象を国民に植え付けるために大手マスコミはわざわざ報じているとしか思えない。  水谷建設が中堅ゼネコンといえども、現金で銀行が5千万円ずつ出せばそれに該当する記録は残っているだろうし、銀行員も覚えているだろう。そして東京のホテルへ新幹線で運び、テーブルの下で手渡したというのだが、5千万円入った紙袋がどれほど異様な大きさか、検察は実際に検証したのだろうか。    そうした傍証も何もなく、ただ水谷建設元社長を証言させたのは検察の捜査及び逮捕動機が正当なものであったと印象付けるためだけのもので、大手マスコミも「だから大々的に疑惑を報じたのだ」との言い訳をするために必要だったのだろう。  しかし起訴事由にない元社長の証言とは何だろうか。法廷で証拠固めも出来なかった元社長に証言をさせて自分たちの捜査を正当化させようとするためだけとしか映らない。「法と証拠」に基づく起訴であるべきで、狂言芝居とも受け取られかねない「証言」が何の証拠になるというのだろうか。そしてそれを法廷で実施させた裁判官はどのような効果を認めたのだろうか。    裁判による「闇の解明」ではなく、裁判による「検察の違法捜査の解明」が徐々に進んでいるが、それを片言も報じない大手マスコミとはいったい何者なのだろうか。元社長の証言内容を伝えるのなら、当然その証言がいつ何処でなされ、それによる捜査がどのように行われ、その「リーク情報」を大手マスコミはいかに垂れ流したかも、自省を込めて報道すべきだろう。