検察の起訴事由は「与太話」の類であってはならない。

 


 村木氏の冤罪により「凛の会」の主要な犯罪部分は消滅した。後に残るのはそうした郵政事業の割引制度を悪用した当事者の犯罪が残っただけだ。検察が描いた政・官癒着の構造は当初から存在していなかったことが証明されている。いかに裁判所が判検交流により検察とズブズブの関係とはいえ、裁判制度の根幹をなす起訴状の変更を安易に許してはならない。裁判所は事件の根幹をなす部分が消滅したのだから「公訴棄却」を宣言すべきだろう。


 


 小沢氏の秘書が関与した犯罪として大々的に東京地検が動き、大手マスコミも一年半以上にわたって連日のように検察情報リークを無批判に垂れ流した「事件」があった。その核心をなすとされた「西松建設の違法献金」疑惑と、「水谷建設の贈収賄」疑惑があった。しかしどういうわけか西松建設から同じように「違法献金」された他の国会議員は何事もなく無罪放免とされ、小沢氏の二人の元秘書だけが逮捕された。


 


 しかし大久保氏の公判で西松建設の違法性が証言により否定されると、検察は「訴因変更」をして石川氏と同じく「期ズレ」に起訴理由を変えてしまった。


 そして一昨日になって石川氏の公判廷に立件すらされなかった「水谷建設の贈収賄」疑惑の発端となった水谷建設元社長を証人出廷させて「贈収賄」証言をさせた。何のためにどのような必要性からそうしたことを行ったのか驚きを禁じ得ない。


 


 昨日、ブログで元社長を証言させたのは、検察と裁判所の司法当局による、「法と証拠」に基づく審理を旨とすべき公判廷を汚す行為だとして批判したが、あらためて批判しなければならない。


 


 公判廷は「与太話」を披歴する場ではない。「こうこうであったげな」とか「こうこうしてこうなった模様」とかいった揣摩臆測の想像力を肥大化して虚構の宇宙へ旅立つ場ではなく、明快なロジックに則って一つの結論へ収束する確かな証拠と物証に裏付けられた証言を積み重ねて事件そのものを確固たる事実として認定する場だ。


 


 さっそく検察の広報機関紙と化した大手マスコミが「元社長に利のない証言をわざわざするはずはない。だから元社長の証言内容は事実だろう」という論調を展開していた。


 何とも愚かな連中が大手マスコミに巣食って大きな顔をしてのさばっているものだ。たとえば本当に1億円が水谷建設から消えていたとして、その領収書がなければ誰かが着服したことになる。唯一領収書がなくても本人の個人所得が問われないのは違法な政治献金か贈収賄だ。そうでなければ「業務上横領」となるし、着服した本人は隠匿した現金を税務申告していないだろうから、当然「脱税」の疑惑により調査を受けることになるだろう。わざわざ贈収賄で罪に問われかねない証言を元社長はやったのだから真実だったのだろう、というのは安易な解釈だ。検察と元社長の間でどのような取引があって「証言」となったのかを、むしろ疑うべきではないだろうか。


 


 水谷建設元社長の証言を受けて、国会でも「小沢氏を改めて証人喚問すべきだ」と息巻く国会議員の動きがあると一部マスコミが報じていた。自民党参議院議員の山本一太氏の名前も挙がっていたが、起訴されなかった事件の証拠採用もしていない「証言」は「与太話」を検察と裁判所が公判廷で演じたに過ぎず、裁判所を含めた司法当局の堕落ぶりを批判するのなら理解できるが、小沢氏を攻撃する材料にしようとするとは、見識の余りに「大衆迎合テレビワイドショー」ぶりに愕然とする。国民から選ばれた国会議員の名誉と信頼が著しく毀損される「与太話」の公判廷での興業に抗議すべきが国会議員として見識ある行動ではないだろうか。 


 


 同時に、水谷建設は元社長が小沢氏の元秘書に「贈収賄で1億円手渡した」とする疑惑が起訴事由から外された時点で元社長を「背任横領」で告発しなければならなかった。今後は株主が現社長などの経営責任を追及することになるのだろう。1億円が闇に消えることはなく、必ず何処かへ何等かの理由で使われたのだ。ただし「優秀な」東京地検特捜部が捜査員を総動員し30億円もの国費を捜査費として投じても立件できなかったのだから、小沢氏へ「贈収賄」で手渡したのでないことだけは明確に断言できる。


 


 裁判所は「与太話」を披歴する場所ではない。一つ一つの証拠と証言によりピンと張りつめた糸のように事件そのものを闇夜に浮かび上がらせる場だ。そしてそれが法に抵触し裁きを受けるべきとする検察による起訴事由を正当なものとする場でもある。断じて「あれがダメなら、今度はこれだ」と訴因変更を認める場であってはならない。


 裁判所判事も「起訴したのだから、この事件番号で済ませてくれや」と面倒がってはならない。一つ一つの事件番号の背後には多くの人生が罪に問われ裁かれようとしているのだ。「疑わしきは被告人の利益」という格言はなぜ生まれたのか、司法に携わるすべての関係者とマスコミは言葉の意味を重く噛みしめなければならない。



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