投稿

債務超過額が1兆円とは。

 JALの債権機構が債務残高の確定を急いでいたところ、8600億円程度とされていた債務超過が1兆円に達するという。  8月末までの再建計画提出に向けて、銀行に貸付債務の償却額の話し合いをしなければならないが、銀行側が態度を硬化するとみられている。    そもそも国交大臣が破綻による再建ではなく、国による支援で再建するとしたことが間違いだ。企業経営で経営に失敗した企業は市場から去るのが大原則だ。それをマル・エアラインを消してはならない、と情緒的な発言をして国が丸抱えの再建へと踏み切ったのだ。しかしJAL内部には以前から「最後は国が助けてくれるさ」という甘えの体質があったという。    社員がそう考える根拠は大勢の天下りを受け入れていることと、政治路線といわれる地方空港を結ぶ多くの赤字路線を引き受けていることだ。JALを潰せば困るのは天下りを押し付けた国交省と強引に空港を開設した大勢のかつての与党議員たちだ。だから、新任の大臣が大鉈を振るうことはない、と腹を括っていたのだ。そうしたことから大甘の再建計画をJALが出してきてのだが、果たして再調査すると債務超過額が1400億円も増えたのだ。    今からでも遅くない。JALは破綻させるべきだ。そして一度は株主と社員・OBもすべてJALに関わった人たちがしっかりと責任を取って、それから彼らで再建を目指すべきだ。それが出来なければ身売りすることだ。経済原則に従わない再建策で早くもJALは結果を出そうと格安運賃を打ち出して競合する全日空から反発を招いている。再建資金つまり税の投入で運賃引き下げはおかしいのではないか、との反論だ。    国民は一日数便しか飛ばない赤字タレ流しの空港を本当に必要としているのだろうか。これほど狭い国土で新幹線や高速道路が公共交通手段をある程度カバーしている状況で、飛行機が飛ばなければならない必要性とは何だろうか。離島に関しては別に福祉目的で考えれば良いので、それこそコミュータ航空で対応することも考えられるだろう。    この国の年間運営コストをいかにして引き下げるのかを真剣に考えなければならない時に、国は何度目の再建計画をJALに行おうとしているのか、マル・エアライン存続の代償の大きさの割に効果が一向に上がっていない赤字体質温存の甘えの体質を一掃するためには経済原則に任せるのが良いと考えるが。

正直なだけマシかもしれない。

 中国の国策報道をあざ笑う日本の国民はこの国のマスコミがやってきたことを余り考えたことがないのかも知れない。やっていることは中国のマスコミと五十歩百歩だ。    中国はあからさまに政府の政策に沿った報道をすべきと規定しているが、日本は報道の自由が保障されているにも拘らず実に偏った報道に終始している。この方がよほど姑息ではないだろうか。    たとえば食料自給率に関してもカロリーベースで表示しているのは世界でも韓国と日本ぐらいだ。ほとんどの国では消費金額ベースで表示している。カロリーベースでは百%近く自給している野菜や牛乳などはほとんどカウントされず、反対に穀物のうち米は百%だが小麦はゼロ%に近い。そうしたことから不当に低い自給率が弾きだされ、国民に危機感を煽っている。しかし世界標準で自給率をカウントすれば67%となり英国の61%を上回る。    日本のマスコミは意図的して取材せず怠慢を決め込んでいる。国会議員一人当たり専有面積100㎡を確保する立派な議員会館が完成したと報じても、坪単価幾らで総額幾ら掛ったかを記した記事はどこにもない。    第三の権力として政治家と官僚を見張る役目があるにもかかわらず、日本のマスコミは特定の政党や特定の政治家を叩き潰そうと躍起になる妙な癖を持っている。そして国民世論を操作して根拠の良く分からない世論調査で政局を左右する。テレビ時代の大衆報道となって政治が大衆化したのは良いかも知れないが、政治の扱いまでもお笑いとあまり大差なくなっては政治への敬意は薄れてしまうだろう。    国民は自由を保障された社会で一方的なマスコミ報道の不自由さに辟易している。これでは中国のマスコミのように「日本の大マスコミは官僚と検察に奉仕する」と発言した方が正直ではないだろうか。

マニフェストの重みを。

 枝野氏や玄葉氏などが小沢氏の執行部批判に対してさっそく反論しているようだ。さすがは「イラ菅」を首相とする子供内閣の閣僚だ。子供の喧嘩のように一兵卒に向かって騒ぎ立てているのは何とも彼らが一兵卒に見えてくる。今選挙のさなかに彼らがなすべきは小沢氏への反論ではなく、国民へのマニフェスト変更の経過と丁寧な説明のはずだ。    前回のマニフェストは総選挙の前に取り纏められ、それを以て政権交代を果たした重いものだ。新政権では全力でマニフェスト実現へ向けて邁進すべきを、変更したことを批判されると「小沢氏は人気取りの発言をしている」と反論している。  はからずも前回のマニフェストが人気取りのものであったと馬脚を現した格好だが、さも現実路線へと切り替えた自分たちの方が正しいといわんばかりだ。    菅氏が税制論議を始める、と発言したのなら問題はなかった。しかし踏み込んで10%に言及したのは国民へではなく財務官僚に対する人気取りだ。直接支給も規模を縮小して制度事業を拡大しようとするのは官僚組織の肥大化をもたらすものだ。そもそもマニフェストの見直しをするように言ったのは当時の幹事長小沢氏かも知れないが、それを取り纏めて発表したのは現政権だ。しかし最終的に党内論議を経て機関決定されたものか、不透明な感は否めない。    一兵卒へと降格させた小沢氏も含めて、民主党は党内で議論したのか寡聞にして知らない。小沢氏に執行部批判させたくないのなら、すべての民主党議員が出席する議員総会にかけて新マニフェストを採択決定すべきだった。そうした手続きを経ていないのなら一兵卒議員の批判には真摯に耳を傾けるべきで、批判で返しては子供のようだといわれても仕方ないだろう。    新執行部の子供らしい不手際は小沢氏に対する反応だけではない。選挙のさなか選挙後に連立を組む相手候補の名を挙げるとは何事だろうか。現にいま組んでいる連立党に対して失礼なだけでなく、名を挙げられた党に対しても礼を失していないだろうか。いやそれよりも、与党だけでは過半数に達しないとの選挙分析でも出ているのだろうかと邪推されかねない。今は目の前の選挙に全力を尽くすべき時であって、同僚議員の批判に対して苛立ったり選挙後の政局を語ったりする時ではないはずだ。    彼らには大軍団を総指揮して選挙を戦った経験がないのだろう。目の前の事態に冷静な対応が

将来の情報化社会への対応も想定したものに。

 行政のIT化は避けられない。今後とも行政改革とともに個人情報を一纏めにして管理する要請は高まりこそすれ、情報をシステムごとで管理する方向には向かわないだろう。    その場合、システムごとに個人の番号を設けるのは何とも無駄だし統合する場合には障害にすらなるだろう。    役所へ行って非効率だと思うのは窓口で連動しているはずのものがシステムで統合されていないか、もしくは窓口担当者のIDコードの侵入範囲が限定されていて侵入できないのか、あっちこっちの窓口へ行って資料を取らなければならない場合などだ。    国家で個人情報を一括管理するのは当然の趨勢だし、その場合は個人で覚えられない個人コードなど設けても仕方ない。ためしに今すぐ自分の住基コードを諳んじられる人がいるだろうか。    何処にいても大抵の人が自分の個人コードや家族の個人コードが分からないようでは困る場合が多い。個人が特定できるためには西暦の生年月日や漢字表記の氏名や戸籍上の住所を並べて個人コードとし、個人のIDとして暗証コード五ケタを加えたもので登録すれば良いだろう。    あたかも銀行の預金通帳のように口座番号が一連の生年月日・氏名・戸籍住所であり、暗証番号がIDコードとして個人が自由に変更登録できるようにしておけば良い。そうすれば将来役所や個人のPCから各種証明書が自由に取れるだろう。個人情報管理のために取得した履歴をネットで閲覧できるようにしておけば安全性が増すだろう。    この国の非効率は各省庁が巨大なメインフレームを抱え込み、巨額な経費をかけて運用している割には行政の効率化に寄与していないことだ。地方自治体も個人情報を国家情報局(仮称)へ問い合わせれば済むようにしておけば良いし、住民票の転入転出も各地方自治体から国家情報局へ報告するようにしておくことだ。    そこには現在地方自治体や国家機関が知り得ている個人情報をすべて集めることが必要だ。さもなくば行政効率に寄与することはできないし、社会保険はその窓口へ行かなければ情報が取得できないとか、所得証明はしかるべき窓口へ行かなければならないとか、資産証明もしかるべき窓口へ行かなければならないとか、国民に負担を強いる現在の官庁が変わらないだろう。すべての情報を集中管理させておいて国家や企業が勝手に個人情報を使わないように監視する委員会を設置しておくこ

選挙は国の将来の選択だ。

 生活が第一なのはいうまでもないが、政治家は国の将来像を国民に示す義務もある。普通の人が頑張ってどういう国にして次の世代に渡すのか、ということも国民に問わなければならない。民主党も憲法調査会を党内に設置するとしているが、議論はまだのようだ。しかし政権を握る政党がその体たらくでどうするつもりだろうか。    万が一にも北朝鮮が暴発したら、韓国とともに米国は戦うことになるが日本は憲法の縛りで手も足も出ない。国際的に普通の国は同盟国が攻撃を受ければ支援するのが常識だ。日本が国際的には非常識な国として存在し続けるのは将来の日本国民のためにはならない。そうした有事を想定して法整備をしておくのが責任ある政党というものだ。そうした意味では日本には戦後一貫して責任ある政党は存在しなかったことになる。    自民党であろうと民主党であろうと、党としての憲法論議を平生から国民に分かるように開示しなければならない。だが憲法議論が行われていないとしたら、政治家として怠慢の誹りは免れない。後生大事に憲法第9条を桐箱に入れて奉っていれば平和が保てると考えるのは日本がいつまでも米国の隷属国家であって良とする考えだ。そうした国で愛国心を育てるのはコンクリートに種を撒くようなものだろう。    始まっている参議院選挙のマニフェストで民主党は憲法の在り方を明記していないようだが、それはこの国の基本問題を未解答のまま答案を提出したようなものだ。「普通の人が頑張れる国」も結構だが、普通の国家なら当然持つべき軍隊を持たないとしている姑息なレトリックをどうするのか。そろそろ憲法解釈で乗り切るのをやめて、国民に日本国のカタチを問う国民投票をする時期が来ているのではないだろうか。

原理原則は守るべきだ。

 民主党は去年の夏に官僚制内閣打破を掲げて国民の支持を仰ぎ政権を得た。それからわずか八ヶ月で国民の審判を得ずして方向転換したのでは単に政権維持のためにマニフェストを破棄したと受け取られても仕方がない。そうした行為を日和見主義という。    以前書いたブログを再び繰り返すことになるが、人を批判する場合は明確な根拠に基づき提示して行うのが最低限のマナーだ。小沢氏に法的な瑕疵があるのならきちんと事実を指摘し根拠条文を示して批判すべきだ。なんとなくマスコミが疑惑がありそうだとして書いたからそうなのだろう、と信じるのなら「信心も鰯の頭」と大して変わらないことになる。それは論評ではなく主観的な思い込みに過ぎない。  小沢氏の疑惑とされるもののうち、政党を解党した際に旧政党の資金を個人的に運用した云々は為にする議論だ。政党資金は次の新党結成に際して名称変更と組織変更をして資金を引き継けば政党法上何ら問題はない。万が一にも私的流用していればあれほど執拗な検察が見逃すはずがないだろう。透明度というのなら強制捜査を受けた小沢氏はどんな国会議員よりも身綺麗になっているはずだ。    マニフェストで掲げたことは四年間で実施すべき事柄だ。それが頓挫すれば衆議院の任期途中で変更するのではなく、改定したマニフェストを掲げて解散総選挙を実施するのが筋だ。それが国民との約束というものではないだろうか。そうしないで突如としてマニフェストと全く方向の異なる消費税10%、と党内議論も経ないで代表が勝手に発言するとは、小沢氏以上の強権的な独断専行だ。その裏には財務官僚のレクチャーがあったといわれているが確かな証拠はない。    ただはっきりとしているのは増税により景気が回復したことは一度もないということだ。それよりも消費税導入時と、3%から5%へ増税した時も景気は悪化している。それを5%から10%に増税して景気を回復すると言っているのは政治家では菅氏だけだ。しかも菅氏の発言をまとめると景気回復のためには財政出動が必要だと言っているのと同じことだが、これまで財政出動で景気回復したこともない。ただ国債残高を増やすことには貢献したが。    国民と約束したことはきちんと守るのが政権政党の在り方だ。財源がないというのなら役目を終えた他の事業をやめるとか、人件費を削減するのが常套的だ。そのためにはあらゆる国への収入を

高速道路無料化社会実験とは

 無料化すれば混むのではないか、という議論がある。確かにこれまで料金を払うほどなら一般道路を走ろう、と我慢していた人たちまでも高速道路へ入って混雑するのも頷ける。    高速道路は有料という障壁を設けて一部の人たちに使用を認める、というものではなかったはずだ。建設費用の償還が済めば無料化する、というのがそもそもの約束だった。それが途中から料金による建設費償還のプール制という何だか分かったような分からないような制度へ移行してしまって永遠に無料化にならない、つまり道路公団の利権が永遠に続く体制へ移行したのだ。    高速道路が無料化によって混雑すれば高速道路本来の「高速通行」が保てないという反対意見も理解できる。しかし一般道路の事故率と高速道路の事故率とを比較すると圧倒的に高速道路の方が低い。車が生活道路を爆走するのでなく、車専用道路を走る方が地域社会に暮らす者にとっても安全なのは言うまでもないだろう。そして高速道路が混雑しても一般道路の混雑と比べれば時間ロスはそれほどでもない。    まだ一部無料化だから料金所は残ったままだ。混雑が一番発生するのは指摘するまでもなく料金所だ。だから全線無料化すれば現在の混雑とはまた違った混雑が見られるはずだ。そうした状況を検討して対策を練るのが本来の混雑解消対策だ。    ただ高速道路無料化で影響を受ける公共交通機関への配慮も欠かせないだろう。新幹線は別として鉄道やフェリーや長距離バスなどには深刻な影響が出ると思われる。そうした交通機関へは各地のSE(サービスエリア)などのテナント使用料の一部などを補償財源として無料となった高速道路使用者が負担する仕組みを考えなければならない。    とにかく無料化実験は始まった。高速道路がこの国に持ち込まれた折の約束通りなら、首都高や東名・名神などはとうの昔に無料になっていたはずだ。それがプール制という騙しのような手法によって有料のまま高速道路利権が温存されている。官僚による妨害や官僚に情報を依存している大マスコミによる無料化へのネガティブキャンペーンが展開されるだろうが、ガソリン税や消費税などと勘案すれば何重にも取られている「高速道路通行料」という名の税をなくすことが高額輸送費解消の一助になるのだ。

丁寧な説明こそ必要だ。

 菅氏は一旦は口から「消費税」と発言したからには知らん顔をすることはできない。しっかりと本意を説明することが必要で、決して「消費税」隠しなどしてはいけない。    そもそも党内論議もなく、新しく作った政調委員会などで論議して出てきたものでもない。突如として菅氏が勝手に発言したものだ。恐らく誰かに誑かされてマスコミに財政規律を考慮している賢明な首相だ、とアピールしたかったのだろう。    確かに900兆円に迫る国債残高は異様な大きさでギリシアの国家破綻を連想させるものだが、日本は外国に引き受けてもらっているのは5%程度で、ほとんどは国内で消化している。そうした意味では日本の財政状況は国際的には深刻な問題ではない。    菅氏はよほど官僚に気に入られようと焦ったのだろう。民主党政権の首相として鳩山氏とは違うとアピールしたかったのだろう。しかし、アピールする内容と相手を間違えた。官僚にはビシビシと無駄を排除し官僚の給与にも切り込むぞと宣言し、国民に対して「生活が第一」のスローガンを堅持すべきだった。    消費税は税収額が景気に左右されにくい、官僚にとってありがたい税だ。それを増税するのは官僚の悲願だろう。しかし、その前にやるべきことがある。国民に増税をお願いするのなら不透明な公共事業単価の積算根拠の明示や、民間と比べて高止まりしている給与の切り下げや、不当に官尊民卑となっている年金の一元化を直ちに是正すべきだろう。    民間企業はコストカットに血眼になって企業努力をしているのに、官僚は検察庁ですら裏金作りに勤しんでいる。そして発覚したところで誰一人として逮捕起訴されていない。「裏金」とは巧妙な言い換えに過ぎず、普通に罪状に翻訳すれば「公金横領」と立派な名のつく、金額にしても小沢氏の不動産問題と比べても桁が違う巨額なのにも拘らず、マスコミも本気で報じたためしがない。    菅氏は国民に新しく税負担を求めるのなら懇切丁寧な説明と、その前提となるコスト削減を徹底して行うべきだ。そして政治家も定数削減などの自身の身を切ることも日程を明らかにして実施することだ。

世論誘導の成果はどう出るか

 昨年二月以来、官僚を代表する検察と大マスコミによる小沢・民主党潰しの総攻撃に遭い、お坊ちゃん総理の鳩山氏は呆気なく政権を放り出し、代わった管首相は官僚の中の官僚といわれる財務省にすり寄り、突如として消費税増税を言い出した。  経済音痴といわれる管氏は大学教授の独創的な増税による経済成長という学説を拝聴して取り入れ、官僚が大喜びする不可思議な理論を展開しだした。少し景気が戻ったとして増税に転じて不況に逆戻りした橋本政権の過ちを失念したのだろうか。    さらに参議院選挙では改選時の議席54を目指すとし、たとえ下回っても辞任するつもりはないという。何とも不思議な人だ、管氏は。鳩山氏の政権では副総理として加わり、関与したか否かに関わらず当然普天間問題に関しても責任があるはずだが、大マスコミはそのことに関しては執拗に追及するどころか実に寛大だ。それも日米合意を尊重すると、鳩山氏の轍を踏まないように国民よりも米国優先の立場に立ったからなのか。    しかし民主党潰しに狂奔してきた本質は変わらず、大マスコミはこれから選挙当日へ向けて増税論議を梃子に菅民主党を攻撃するだろう。官僚にとって一番手強い小沢氏は無役となり地方巡業の旅に出て選挙の表舞台から降りてしまった。代わって大マスコミの前ではしゃいでいるのは子供のように騒ぐのが好きなポピュリズム議員だ。彼らはわずかな世論の風でどうにでも操作できる小物ばかりだ。到底、官僚や大マスコミの敵ではない。    すでに菅政権で官僚制内閣は復権している。あとは参議院で与党が過半数割れして衆参ねじれとなり政治が機能不全に陥れば、後は官僚のやりたい放題だ。選挙結果でそうした体制ができるのか、大マスコミの大本営タレ流し報道の成果がどう出るのか。政治はその国民のレベルを決して超えない、という箴言を胸に抱きつつ見守るしかない。

相手により態度を変えるのはどうなのか。

 鳩山氏であろうと菅氏であろうと日本の国民と政府を代表する首相であることに変わりない。それにもかかわらず一方は自分の意に染まない発言を繰り返しているから会談を拒否してみたり、一方は合意を受け入れたから最初から話しかけたりする、というのでは米国大統領というものが実に浅薄な存在に見えてしまう。    日常の人間関係でも気に食わない者とは口も利かず、そうでない者には話しかけたり肩を抱いたりする人を、日本では「気分屋」といいあまり上等な人物だとはしない。しかもそうする人の立場が優位にある場合は「いやな奴」だと思うのが普通だ。オバマ大統領は日本国民から「いやな奴」だと思われるのに充分な態度を取ったことになる。    ただ、そうした恫喝のような態度を一々報じるマスコミも、何とも情けない。オバマ大統領が話しかけただとか、隣り合わせの席に座って昼飯を食っただとか、そんなことが国内へ知らせる事柄なのか。それよりも米国発の金融危機やユーロ圏(ギリシア)発の金融危機など、欧米の金融がおかしくなっていることへの議論がどのようになされたのかを逐次知らせるのが重要だろう。特に米国は再び巨額な双子の赤字をタレ流しているではないか。  ドルはすでに世界にどれほど流通しているのか、ドルサプライが基軸通貨として米国が責任を持って管理すべきを中国と日本、とりわけ日本には引受枠まで押しつけて増刷しているではないか。そうした無責任体制ともいえる基軸通貨管理を各国が米国に対して要請するのも国際金融の規制を設ける上では必要ではないだろうか。    オバマ大統領が菅首相に話しかけただとか、抹茶アイス談義をしただとか、そうした配信をするよりも金融問題に対処するG8なのなら、欧州の金融危機はギリシアだけで終息するのか、その保証はどのような金融枠組みをユーロ圏で設定し対処したのかをマスコミは報じるべきだ。ユーロ危機に際しては日本も基金の拠出に加わっている。日本の金融危機の場合は日本の問題として欧米から何の支援もなく、あまつさえ冷笑を買いながら日本一国だけで処理したが。    そうした嫌味の一言でもオバマ大統領に言い返して日本が負担してきた多額な国際通貨安定への拠出に見合った発言権を確保すべきではないか。マスコミもただ随行してはしゃぐのではなく、問題点をしっかりと指摘し、日本の採るべき道の一つなり国民に示すべきではないだ