節度のない発言には、それなりの責任が伴うことをジャーナリスト諸氏は心して記者会見の場に臨むべきだ。
<兵庫県の斎藤元彦知事が、男性2人からX(旧ツイッター)の投稿で名誉を傷つけられたとして、名誉毀損(きそん)罪で兵庫県警生田署に刑事告訴し、受理されたことが3日分かった。斎藤氏の代理人弁護士が取材に明らかにした。受理は6月9日付。
男性2人は6月3~4日、自身のXのアカウントで「斎藤元彦は人殺し」などと記載。斎藤氏側はこの内容で名誉を傷つけられたとして告訴したとしている。
斎藤氏側は6月3日の定例記者会見で、斎藤氏の疑惑告発文書問題に関する質疑応答が行われている際、フリージャーナリストの男性から「人殺しやないかお前は」などと発言され、名誉を傷つけられたとして告訴し、同9日に受理された>(以上「産経新聞」より引用)
男性2人は6月3~4日、自身のXのアカウントで「斎藤元彦は人殺し」などと記載。斎藤氏側はこの内容で名誉を傷つけられたとして告訴したとしている。
斎藤氏側は6月3日の定例記者会見で、斎藤氏の疑惑告発文書問題に関する質疑応答が行われている際、フリージャーナリストの男性から「人殺しやないかお前は」などと発言され、名誉を傷つけられたとして告訴し、同9日に受理された>(以上「産経新聞」より引用)
「兵庫・斎藤知事が名誉毀損罪で男性2人を刑事告訴 Xで「人殺し」と投稿」との記事を見て、当然の措置だと思った。
兵庫県知事に対する誹謗・中傷は度を越えていた。しかも記者会見の場でフリージャーナリストが「人殺しやないかお前は」と面罵するとは言語道断だ。
フリーとはいえジャーナリストが事実報道を心掛けるのではなく、自らの思い込みに心を縛られて取材相手を罵るとは言葉を失う。いかなる先入観も排除して、取材相手と冷静に向き合って事実のみを伝えるのがジャーナリストの役目だ。さもなくばジャーナリズムは特定の団体の報道部に堕してしまうだろう。
兵庫県は斎藤知事が登場して以来、斎藤知事を排除しようとする県庁内外の思惑が強く表れていた。それは斎藤知事が前知事の県政を大きく転換したからだ。その象徴的なものが新県庁建設計画の撤回だった。約1000億円もの建設費を見込む新庁舎建設は現在の兵庫県財政状況からして適切ではない。むしろ県庁舎の新設よりも兵庫県立高校の無償化こそ優先すべき、との斎藤知事の判断を兵庫県民は支持した。
また兵庫県幹部職員の天下りも以前から問題になっていた。その悪しき慣習を斎藤知事は断ち切る決断を下した。そうした県政改革が一部県庁職員や県議会議員にとって不都合だった。そうした折も折、斎藤知事の怪文書に対する扱いを「公益通報者を不当処分した」として、県議会は百条委員会を設置した。
しかし百条委員会が結論を出す前に、県議会は斎藤知事の不信任決議を行った。県議会としていかなる見解から百条委員会の結論を待たずに斎藤知事の不信任決議を断行したのか。云うまでもなく、百条委員会は最終的に「告発」するのが目的だ。県議会は斎藤知事に「告発」するのに値する充分な嫌疑あり、として百条委員会を設置したのではないか。だが、最終的に百条委員会は斎藤知事を告発していない。では、何のために誰が百条委員会の設置を言い出したのか、その県議が経過説明すべきではないか。結果として、斎藤知事は辞職し、再選挙で見事当選を果たした。
フリージャーナリスト氏は斎藤知事を面罵する前に、県議会のありようを取材すべきではなかったか。兵庫県民は斎藤知事の嫌疑に充分な根拠がないと判断して、斎藤氏を知事に再選した。その斎藤知事に対して相変わらず「人殺しやないかお前は」と記者会見の場で叫ぶとはジャーナリストの資格はない。彼は質の悪い単なるアジテーターでしかない。
昨今、ジャーナリストの質の低下が著しい、と感じているのは私だけではないだろう。時事通信所属のカメラマンが高市氏の支持を落とす、と記者控室で発言するなど報道に関わるものとしてあり得ない発言だ。またネットに動画がアップされているが、政府の記者会見の場で繰り返し私的な感想を問い質す神奈川新聞社の記者がいる。なんとも信じがたい光景が記者会見の場で展開されている。節度を喪った記者は単なるアジテーターでしかない。
斎藤知事が「名誉棄損」で告訴に踏み切ったのは当然の措置だ。節度のない発言には、それなりの責任が伴うことをジャーナリスト諸氏は心して記者会見の場に臨むべきだ。