里山に棲みついた熊は殺処分しなければならない。

<ロックバンド一風堂のリーダーで、ミュージシャン土屋昌巳(73)が10日までにXを更新。「駆除」や「処分」の表現について、所見をつづった。

  土屋は「本当に個人的な所見なのですが」と前置きした上で「どんな生命に対しても『駆除』とか『処分』という表現はとても嫌だなと思います」と投稿。「人間が当たり前に上位にいるような、傲慢な表現に感じます。自分たちに不都合なものは全て、生命も物と同じであるかのような表現に感じます」と続けた。 
 フォロワーからさまざまな意見が寄せられ、土屋は続く投稿で補足説明。「よく読んでいただければおわかりいただけると思いますが、僕は言葉のお話をしているのではありません」と記すと「『駆除』や『処分』という表現の背後にある僕たち人間の驕りについて、罪についてお話しているのです」と真意を明かした。
  都市部出没で騒動化しているクマにも触れ「今、熊の出没がタイムリーな話題なので、皆さんすぐに熊を連想されるかも知れませんが、動物に限ったことではありません。植物や自然や全てについてです」と説明。「全ての人たちがそうではありませんが、概して人間は自分たちに不都合かどうかで、人間以外のものを犠牲にしてしまうことが多いのは事実です。時に、より簡単な方法を選んでいるだけに見えることもありますし、きっと軽んじている部分もあると思います」とつづった。
  土屋は「駆除や処分というのは、すごく深く根付いてしまった僕たちのメンタリティが生む表現のように感じます」と私見を述べた上で「前のポストでお断りしているように、これは僕の個人的所見です。同意を強いる気持ちもありませんし、SNSにいるどなたか存じ上げない方に思想を強いられる謂れもありません。
  ただ、僕自身、人間としてとても恥じているだけのことです」と強調した>(以上「日刊スポーツ」より引用)




「『駆除』『処分』という表現はとても嫌」著名ミュージシャンが私見「人間の驕り、罪」」との見出しに強い違和感を覚える。熊の「駆除」や「処分」という言葉に人間の驕りを見る、というは如何なものだろうか。
 土屋氏は「私見」と断りながらも、書き込んだSNS上で批判されることに反発している。私見を披歴したのであれば、その私見に対する様々な反論が寄せられるのは最初から覚悟すべきことだ。それが嫌なら、SNSに私見を書き込まなければ良い。

 ちなみに「熊殺処分」に明確に反対表明している「動物愛護団体」はある。しかし彼らもまた多くの人たちから猛烈な批判を浴びせられている。それは熊に「生きる権利」を認めたなら、同時に「熊に食われる危険性」をも甘受しなければならないからだ。
 昨今、里山に棲みついたアーバン熊が街中を徘徊して、各地で騒動になっている。熊はツキノワ熊にせよ、羆にせよ、人間が素手で立ち向かえる動物ではない。ましてや子供や高齢者なら「人の味」を覚えた熊にとって「餌」でしかない。

 土屋氏は「どんな生命にとっても」と生きとし生きるものすべてに生きる権利があるかのように思われているようだが、人の社会では「人」を中心として法律が組み立てられている。だから、いかに名犬と云えども「犬」を轢き殺しても道路交通法は適用されない。また屠殺場で毎日屠殺されている牛や豚や鶏などには「生きる権利」は認められないとでもいうのだろうか。また沖縄などでは「ハブ」を殺処分した場合は報奨金が支払われる。つまり「人の命」を中心に法令は組み立てられている。
 しかし人が全知全能の生物、であるとは思っていない。他の生物との「共生」関係の上に人の生命も保たれていることは周知の事実だ。だから環境破壊を最小限に止めて、絶滅危惧種を守ろうとしている。その反対に日本の環境を破壊する外来種は排除しようとしている。それが人社会の姿だ。

 熊は賢い動物だ。かつて熊は保護すべき「益獣」とされていて、捕獲されても山へ放たれていた。しかし、そうしたことから熊が人に捕獲されても殺されないと学習したのかも知れない。
 「権利」という言葉は明治時代に思想家の西周(にし あまね)がrightの訳語として造語したものだ。英語のrightそのもの主な意味は、「正しい」「右(の)」「権利」の3つだが、品詞によって大きく変わる。最もよく使われる形容詞では「正しい」「正解の(事実や道徳に合っている)」。 副詞としては「まさに、ちょうど」と訳され、名詞としては「権利(人間が生まれながらに持つものなど)」と「右」という意味がある。また 間投詞としては「そうだね、その通り」という意味もある。

 つまり「熊にも生きる権利がある」とは暗に「熊にも(人間が生まれながらに持つ)権利がある」ということになる。それは文章としてチグハグだ。なぜなら熊は人間ではないからだ。
 ほかの動物の命も尊重されるべきだが、あくまでも人間の命が守られてこそ尊重されるべきもので、人間に害をなす動物は排除されるべきだ。
 里山に棲みついた熊は必ず人里に出る。なぜなら人里には餌が豊富にあり、山で餌を探すよりはるかに楽だからだ。しかも人間は熊にとって脅威を与える動物ではなく、他の熊と縄張り争いすることもない。だから里山に棲みついた熊は決して山奥へ戻らない。そのため、里山に棲みついた熊は殺処分しなければならない。放置していれば、必ず被害者が現れる。

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