オールドメディアの暴走と沈黙。

<京都府南丹市で安達結希さん(11歳)が亡くなった事件では、捜査初期の情報不足の中で、インターネット上に根拠のない臆測やデマが急速かつ大量に拡散した。たとえば、特定の人物を犯人視する言説や、その人物に関する誤った個人情報、事件の背景をめぐる根拠のないストーリーがSNS上で流された。
 重大事件において繰り返されるこの現象は、個人のモラルの問題にとどまらず、認知バイアスやSNSの構造と密接に関係している。誤情報は無関係な人々への深刻な被害や捜査への悪影響をもたらしかねず、その危険性を改めて検討する必要がある。

■あいまいさ耐性の問題
  子どもが長期間にわたって行方不明になっているという状況は、人々に不安や悲しみ、怒りなど、さまざまな感情を引き起こす。そうした感情を揺さぶられる状況にあって、この事件では、情報が断片的であり、不可解な点も多かった。
  すると、人はその感情の「落ち着き先」として、何らかの説明をもたらしてくれる「物語」を求めたくなる。
  これは、「あいまいさ耐性」と呼ばれる人間心理が背景にある。出来事の因果関係が不明な状況に置かれると、人は「わからないままにしておく」というあいまいで不確実な状況に心理的負荷を感じ、仮説や根拠のない作り話であっても、意味づけを与えてくれるものを求める傾向がある。
 こうした人間心理を背景にして、多くの臆測やデマが生まれ、それが大量にインターネット上で拡散することとなった。
  また、確証バイアスの影響も考えられる。人は一度受け入れた「物語」に合致する情報を選択的に収集し、それを強化する傾向がある。これを確証バイアスという。逆に、それは、矛盾する情報を受け入れないというフィルターともなる。SNS環境では、アルゴリズムによって類似した情報が提示され続けるため、この傾向が増幅される。
 例えば「家族に不審点があるのではないか」という仮説が一部で共有されると、それを支持する断片的情報や解釈が連鎖的に拡散され、反証的な情報は可視化されにくくなる。この過程で、仮説は次第に「事実」であるかのように認識されていく。
  実際に、家族が逮捕されたことを受けて、「ほら最初から言った通りじゃないか」などと主張している人もいるが、逮捕は捜査の積み重ねによるものであり、何も彼らの根拠のない「物語」が正しかったということにはならない。それは後付けの理屈であり、たまたま「仮説」が当たったにすぎない。
 なのに、そのことは忘れて、あたかも最初からすべてお見通しだったかのような根拠のない自信を強めてしまっている。

 ■オンライン特有の問題
  さらに、オンライン特有の環境要因として、匿名性と責任の拡散が挙げられる。匿名的状況では、発言に対する社会的コストが低下し、通常であれば控えられる断定的・攻撃的な言説が表出しやすくなる。 
 これは「オンライン脱抑制効果」として知られており、根拠の乏しい情報であっても発信のハードルが著しく下がる。また、情報の発信主体が多数に分散することで、「自分一人くらいなら問題ない」という責任の希薄化が生じ、結果としてデマや臆測の再生産が加速する。
 集団過程の影響も無視できない。類似した意見を持つ者同士が相互作用することで、意見がより極端化する「集団極性化」が生じる。初期には「可能性の一つ」として語られていた仮説が、繰り返し共有されるなかで「ほぼ確実」「間違いない」といった強い確信へと変化していく。この過程では、反対意見や慎重論が排除されやすく、結果として均質で強固な誤情報コミュニティが形成される。
  加えて、動機づけの側面として、承認欲求に満足や感情的満足の問題も重要である。衝撃的な事件に関する情報は高い関心を集めやすく、拡散することで「いいね」や共有といった即時的な報酬が得られる。SNSや動画配信を収益化している人にとっては、金銭的な報酬も得られる。
 この報酬構造は、情報の正確性よりも新奇性や刺激性を優先する方向に行動をシフトさせる。あいまいな状況において、特定の人物を「加害者」として「推理」することは、注目を集めやすく、「自分は警察よりも先にこんな推理ができる」という偽りの「優位性」を抱くこともできる。
  もちろん、警察もあらゆる可能性を考慮して捜査しているわけであるから、警察も家族が容疑者であるという推理は初期段階から持っていたであろう。素人のほうが警察に先んじていることなどあるはずがなく、警察は捜査上の理由や証拠の不十分さから情報を出していなかっただけである。

■専門家による無責任な情報発信
  今回、特に目を引いたのは、専門家と呼ばれる人も、こうした「物語」や臆測の拡散に加担していたことだ。
  ある元警察官たちは、動画発信サイトにおいて、早くから自らの臆測に基づく不確かな情報や見立てを垂れ流し、視聴数が過去最大であったと喜んでいた。
  子どもが行方不明になっているという状況で、その重大さよりも視聴数を喜び、視聴数を上げることに腐心するとは、きわめて醜悪な姿であるとしか思えない。しかも、彼らが拡散した情報には、いくつもの間違いやデマの類も含まれていた。
 彼らは、本来なら専門家として、一般の人々がSNSなどでデマや臆測を拡散していることに歯止めを掛け、戒める役割を果たすべきであるのに、一緒になって、あるいはその先鋒を切って同様の行動に加担していた。
  承認欲求の満足や視聴数による収益という即時的な報酬が、このように人を変えてしまうことをまざまざと見せつけられる事態であった。こうした状況を見ていると、言葉は悪いが、まるで事件をエンターテインメントとして消費しているようにすら見えてしまう。
 問題は、単に誤情報や臆測に基づく根拠のない情報が流通することにとどまらない。それにはさまざまなリスクが伴う。 
 第一に、無関係な人物が犯人視されることで、深刻な名誉毀損や二次被害が生じる可能性がある。本件ではたまたま犯人視された人が実際に逮捕されるということになったわけであるが、まだ容疑段階である。また、実際に過去の事案では、誤った情報によって事件とは無関係の個人が社会的に追い詰められたケースもあった。
 第二に、捜査への影響である。誤情報が広範に拡散されると、警察への通報や情報提供の質が低下し、重要な手がかりが埋もれるリスクがある。また、関係者への過剰な詮索が行われることで、容疑者が証拠を隠滅したりするなども考えられ、証拠の収集や保全に支障を来す可能性もある。これは刑事司法の観点からも看過できない問題である。
  第三に、社会全体のリスクである。特定の説明や物語が過度に強調されることで、実際の犯罪リスクや予防策に対する理解が偏る可能性がある。根拠のない臆測に基づく結論は、現実的な対策よりも感情的な反応を誘発し、合理的な議論を困難にする。

■考えられる対策
  では、どのような対策が求められるのだろうか。個人レベルでは、情報の出所を確認し、不確実な情報を拡散しないという基本的態度が不可欠である。また、「わからない状態を受け入れる」という認知的姿勢も重要である。すべての事象が即時に説明される必要はなく、むしろ時間をかけて検証されるべきであるという理解をわれわれは共有する必要がある。 
 特に、ネット社会においては、安易な情報を簡単に拡散することができるため、われわれは一層の情報リテラシーが求められる。
 同時に、プラットフォーム側の責任も大きい。アルゴリズムが刺激的な情報を優先的に可視化する構造は、誤情報の拡散を助長しうるため、一定の抑制策やファクトチェック機能の強化が検討されるべきである。 
 さらに、報道機関においても、速報性と正確性のバランスを慎重に取り、推測的報道を避ける姿勢が求められる。
  総じて、本件で観察されたデマや臆測の拡散は、個々人の問題というよりも、認知バイアス、感情反応、オンライン環境、報酬構造が相互作用した結果として理解されるべきである。したがって対策もまた、多層的である必要がある。
 重大事件においてこそ、情報の不確実性を前提とした冷静な態度が社会全体に求められている。そして、安易な情報拡散は、何よりも亡くなった被害者を冒涜することにも等しい行為であると肝に銘じる必要がある。>(以上「東洋経済」より引用)




 辺野古沖抗議船転覆による女子生徒死亡事故と比して、南丹市で起きた小6児童の行方不明事件の扱いは過熱気味だった。「南丹市事件で露呈した“専門家”の暴走 「推理ごっこ」を煽った無責任と捜査に支障をもたらした罪」と題して、過熱気味だった報道狂騒曲に対して原田 隆之(筑波大学教授)氏が苦言を呈している。当然と云えば当然の批判ではないだろうか。
 事件は児童が遺体として発見され、継父が「遺体遺棄」の被疑者として逮捕された。当初から疑われていた継父だったが、こうした結果を迎える前から継父に関して日本人ではないのではないか、といった誤情報が出たりして特定の国に対する感情悪化を招いたりした。

 オールドメディアの暴走が目立った事件だった。連日かなりの「尺」を割いて、報道番組は取材合戦を演じた。その解説者として元警察官などの「専門家」を登場させて、推測なども交えて推理物仕立てに解説させた。
 なぜ、これほどオールドメディアはこの事件に熱狂したのだろうか。その反対に、ほとんど無視された事件があった。それは辺野古沖監視船転覆事故だ。それにより「平和学習」に参加していた女子生徒が一名亡くなった。制度的・継続的にみて、辺野古沖監視船転覆事故の持つ意味は重大だ。それは教育基本法に関わる「政治と教育」と云った極めて厳格な領域に踏み込まざるを得ない大問題だ。なぜなら全国の高校の中には修学旅行と称して中国や韓国へ行き、そこで極めて政治的に捏造された対日批判プロパガンダ「記念館」や「少女像」を見せられるからだ。

 そうした「平和教育」の中で、辺野古沖監視船転覆事故が起きた。だが、それは「平和」とは縁も所縁もない国の事業に対する「反対運動」でしかない。国に反対する運動が「平和教育」だと云うのなら、そのことを件の高校校長は公の場で説明すべきだ。
 これほど重大な問題に対して、多くのオールドメディアは沈黙している。「政治と教育」に関して、それこそあらゆる専門家を登場させて、報道番組で議論したことなど皆無ではないか。なせオールドメディアは「政治とカネ」には何年も執拗に追及するのに、「政治と教育」という重大な問題に対して沈黙しているのだろうか。文科省は修学旅行のあり様に対して、全国校長会を開催して厳しく説明・徹底すべきではないか。

 今回の京都の事件に関して、送迎のあり様が問われている。学校は確実に児童の登校を確認すべきだ。なぜなら今回の事件は児童を学校へ送り届けてなかったことから始まっているからだ。学校が確実に登校を確認する体制を取っていたら、児童は殺されずに済んだかも知れない。なぜなら犯人が児童と二人きりになる機会がなかったからだ。
 オールドメディアは格式高い「井戸端会議」の場になってしまった。なぜ事実だけを報道することに専念しなかったのだろうか。「専門家」による揣摩臆測の解説など不要だ。辺野古沖監視船転覆事故に関しては、その事実すら報道していないではないか。たとうば「平和丸」の船長の氏名と、彼の謝罪が報じられただろうか。なぜ、肝心な事実すら報道しないのか不可解でならない。この二件の報道姿勢の乖離は何だろうか。オールドメディアの暴走と沈黙について、改めて考えさせられる。

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