人の生活空間を人が操る鉄の塊が疾走する社会とは「狂気の社会」だ。

19日午後0時25分ごろ、東京都豊島区東池袋の交差点などで、乗用車が歩行者や自転車を次々とはね、ごみ収集車などに衝突した。警視庁によると、近くに住む女性と3歳の娘が心肺停止の状態で病院に搬送され、間もなく死亡が確認された。乗用車を運転していた板橋区の無職男性(87)を含む8人もけがをした。男性は「アクセルが戻らなくなった」と話しており、同庁が事故原因を調べている。
 死亡したのは豊島区東池袋の無職松永真菜さん(31)と娘の莉子さん(3)。莉子さんは真菜さんが運転する自転車の後部座席に乗っていた。他8人は40〜90代の男女で、うち3人が重傷だが命に別条はないという。
 同庁交通捜査課によると、乗用車は現場手前でガードパイプに接触。その後、赤信号を無視して横断歩道に突っ込み、自転車の男性をはねた。スピードを緩めずに直進し、次の横断歩道で松永さん親子が乗った自転車をはね、左から曲がってきたごみ収集車に衝突した。乗用車は回転しながら、三つ目の横断歩道で通行人4人を次々となぎ倒し、信号待ちをしていたトラックにぶつかって停車したという。
 乗用車のドライブレコーダーには、事故を起こす直前、男性が同乗していた80代の妻と「危ない」「どうしたんだろう」などとやりとりする音声が残されていた。ガードパイプに接触してから停車するまで約150メートル暴走し、ブレーキを踏んだ形跡はなかった>(以上「時事通信」より引用)


 またしても高齢者の暴走運転で悲惨な犠牲者が出た。マスメディアはこの事故を大々的に報じて「高齢者=自動車事故」を刷り込むのに躍起になっているようだ。
 しかし暴走運転するのは「高齢者」だけではない。それは自動車という文明の利器の持つ根本的な欠陥だ。加速や減速に舵の操作まで「運転者」に全面依存する「疾走する鉄の塊」を生活の場に持ち込むのが、そもそもの間違いだ。

 自動車を是認している社会は自動車事故をも容認している社会だ。根本的に自動車事故を憎むことなく、「道交法」による死亡「事故」は「事故」だからという理由で「殺人」の刑法とは格段に量刑が厳しくない。
 上記記事の若い親子を「死」へと追いやった老人は決して死刑になることはない。なぜなら、それは「事故」だからだ。しかし殺人ではない、事故だから量刑は重くない、というのは「死人」に対する差別ではないだろうか。

 なぜ自動車には「製造者責任法」が適用されないのだろうか。その「機器」を利用して利用者または利用者の近くにいる者が「死に到る」かもしれない、という機器が普通の暮らしに入り込んでいるとしたら大問題ではないだろうか。
 もしも掃除機を使っている人が掃除機に吸い込まれる死亡事故が日常的に起きたり、近くにいる人が掃除機に吸い込まれて「死亡する事故」が日常的に起きても、人はそれを使い続けるだろうか。しかし自動車だけは年間数千人も自動車事故で死亡していても、人は使い続けている。これほどの欠陥商品が人類史上に存在したことがあっただろうか。

 なぜ「自動停止装置」が義務として自動車に装備されないのだろうか。進行方向に人や障害物を認識して、このままのスピードで進行したなら「事故」を起こすと自動車が認識したなら「自動停止」する「装置」の設置を自動車製造業者に義務として課すべきだ。
 もちろん自動運転を一日も早く開発して、自動運転自動車に切り替えるべきだ。極めて機能的に「不安定」な人間が舵を握って高速で鉄の塊を歩行者のいる直ぐ傍を疾走させるのは「狂気の沙汰」だ。十年一日どころか、百年一日のごとく「自動車事故」が日常的な時代が「文明社会」とは聞いて呆れる。

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