日本の民主主義は確実に劣化している。それは劣化した「芸」を見せつけられている国民がついに政治感覚までマヒした証拠のように思えてならない。
築地市場の豊洲移転は市場を移転させるだけの問題ではない。2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックでは交通網の要となることが期待された環状2号線開通問題と絡んでいる。当初の移転予定日である2016年11月7日から1年11カ月遅れたことによる負のインパクトはけっして小さくない。
遅延によって生じたのは、追加コストだけではない。豊洲という場所への不安感を都民に抱かせ、それがこれからも残るとすれば、その責任はどうなるのか。今後、ますます厳しい批判の声にさらされることだろう。
小池知事がよりどころとしてきた「人気」は目下、ジリ貧だ。産経新聞とFNNが12月16日と17日に行った合同世論調査では、小池知事に対する支持率は29.0%と、前回より11.2ポイント落ち込んで就任以来最低値を記録。不支持率は64.3%だった。
知事就任直後の2016年8月の同調査では、「小池氏が知事に就任して良かったと思う」が78.3%で、「小池知事の下で都政の刷新が期待できると思う」が68.5%。高い人気を誇っていた。わずか1年4カ月で、大きな期待がしぼんだことになる。
その原因は、築地市場の豊洲移転問題を見るだけでも明らかなのだが、ここ1年数カ月の都知事としての実績だけで小池知事の政治的手腕を判断するべきではないだろう。1992年に参院選で当選してから2016年に知事選出馬のために衆議院議員を辞職するまでの24年間を見なければ、その人となりや能力はわからない。
筆者は永田町に来た1995年から小池氏を見てきたが、「風に乗ろうとしている人、風を起こそうとしている人」という印象は変わらない。言い換えれば「目の覚めるような功績」はない。
環境相時代に「クールビズ」を普及させた点を功績としてカウントする向きもあるが、これは小池氏の専売特許ではない。すでに1997年に京都でCOP3が開かれるなど、環境問題は世界的課題となっており、日本でもその対策が真剣に検討され始めていた。小池氏はカリユシのファッションショーを開くなど、それを広める能力に長けていたということだ。
その一方で、2004年10月15日にチッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決が出され、国と熊本県に賠償責任を認められたにもかかわらず、環境相だった小池氏はなかなか被害者救済に動かなかった。2006年3月17日の衆議院環境委員会では非情にも、「認定基準の見直しについては、環境省は考えていない」と答弁している。
また2007年7月に女性初の防衛相に就任した時、任期が4年以上に及ぶ守屋武昌事務次官の首を獲ろうとして失敗した。しかもそのやり方はルールに基づいたものではなく、事務次官だった守屋氏への連絡も携帯をワン切りして着信歴を残すのみで、知らせるつもりはないことは明らかだった。
そのような人が、「(何かを)変える」ということだけを目的にして、大きな権限をもつ都知事に就任すれば何が起きるか。メディア受けする小手先の改革にまい進するため、混乱が生じてしまうのは当然の帰結だ。
国政政党である「希望の党」の結成においても、目立つのは混乱ばかりだった。「国政は若狭に任せる」と言ったものの、小池知事は若狭勝氏や細野豪志氏が積み上げてきた準備行為を全てリセットし、自ら希望の党を立ち上げたが、その人気は瞬く間に沈み込んでしまった。
国政をも牛耳ろうとした小池知事の希望の党が当初の予想に反して伸びず、小池知事に排除された立憲民主党が躍進したのは皮肉だが、その原因はひとえに小池知事の“人望”のなさにある。永田町ではリーダーの浮き沈みに周囲が巻き込まれるのはよくあることだ。
なぜ小池知事の人気は急速に高まり、急速に沈んだのか。そして、都民、国民は、このあとどのようなツケを払わされるのか。小池問題は「過去の話」ではない。2018年にも大いに注目する必要がある>(以上「東洋経済オンライン」より引用)
決して現代の「エンタメ」を批判するわけではないが、何か目新しい動きやギャグを演じて人目を引けば「人気」が出て巨額な「年収」を手にすることができる。そうした風潮からわけの分らない即興芸や大学生の宴席での一発芸に「毛の生えた程度」の芸で数か月か施半年程度で消える「一発芸人」として延々と生きていく芸人が排出するようになっている。
政治家でも有権者の関心を集め人気を得て当選すれば良い、との「一発政治家」が人気を博すようになった。極端な言い方をすれば民主主義の基本的な所が劣化しているように思えてならない。
小池氏も「一発芸人」として政界入りした。若い元人気キャスター以外に「コレ」といった実績もない、「若い女性キャスター」というだけの「芸」しかなかった。
しかし彼女は当選した。そして小泉氏の「小泉劇場」の刺客候補第一号として東京に進出した。自分の意に沿わない政治家なら「人気者」を対立候補に立てて落選させれば政治生命を絶てる、という民主主義以前の「怨霊」政治を小泉氏は「劇場型」として日本に定着させた。
対立する政治家を落選させれば政治生命を絶てる、という政治制度の仕組みを利用した「排除の面利」を小池氏は利用して都知事として都議会選挙を勝ち抜いた。しかしその都議会選挙に都知事として都民に問うべき政策や政治理念があったわけではない。
ただ「既成政治家」というだけで「いかがわしい」という印象操作をマスメディアを巻き込んで行い、都議会選挙を勝った。その勝利にどれほどの政治的大義があったというのだろうか。
小池氏の「豊洲は安全でない」という根拠のない主張で都民がどれほどの損失を被ったか、冷静な検証がなされなくてはならない。地下空間の地面をコンクリーで固めればガスが出て来ない、という保証があるのだろうか。
そして地下から出るガスがど゛の程度の濃度なら人体に害がある、という科学的なデータに基づいて行政が実施されているのか、それとも地下からガスが出てくるのは何処も同じで、その上に覆うものがあるから滞留しているに過ぎない、というのなら、むしろ空間があって屋外へ排出する「装置」があれば済む話ではなかったか。
二年間以上の「遅延」と地下空間の地面をコンクリートで覆うという措置が「安全性の確保」に資する結果となったのか。専門家の意見を聞くべきだろう。
そうした分野に素人の「人気者」の「芸人政治家」が「抵抗勢力」を作り出して「劇場型」選挙に仕立てて勝利を目指す、という手法は政治家のものではなく、企業の販売戦略を立てる際の宣伝会社の手法そのものではないだろうか。
皮相な選挙戦略に誤魔化され、物事の本質を見抜かない有権者の関心を買えば勝てる、というヘタなエンタメ程度の選挙にはウンザリだ。そういえばつい最近も「国内突破」という誇大宣伝スローガンに有権者の多くが騙された選挙があった。もちろん「国難突破」の北朝鮮の脅威を「国難」として大宣伝したマスメディアも皮相な選挙を演出した「共同正犯」だ。
日本の民主主義は確実に劣化している。それは劣化した「芸」を見せつけられている国民がついに政治感覚までマヒした証拠のように思えてならない。