大変に思慮深い人だ。
これほど酷い捏造報道されていて、怒りを抑えて対応するのは常人なら困難なことだろう。しかし彼の言葉は示唆に富んでいる。国の仕組みをしっかりと見据え、どこに問題があるのかを指摘している。彼の指摘通り民主主義というのはフマデンがどこにあってもならない。
小沢氏抜きの民主党は「残骸だ」と以前このブログに書いたが、それは誤りではなかった。日本の大マスコミが必死になって抹殺しようとしているが、彼らが束になって掛かって行ってもかなわないほどの胆力を感じさせる人物だ。
今朝のテレビ・ワイドショーではさっそくニコニコ動画に出た小沢氏を悪し様に言って「ニコ動画より国会でしゃべれ」と口を極めて非難している。彼らにとって秘密会の審議で、しかも記者クラブしか情報源のない国会内部の会議なら情報を操作できるが、ネットでは操作のやりようがないのだろう。
民主的な国家の条件として「自由な報道」が必須条件だが、それは提供する方の自由だけであっはならない。受け取る側が取捨選択できる自由もなければならない。それが大マスコミが記者クラブを形成して、一定の枠の中でしか報道しないのは「報道の自由」に反する。彼らの操作された報道しか提供されてこなかったこの国は「報道の自由」はなかったといっても過言ではない。
マスメディアが今後凋落したとしても、それは国民が自由な報道を必要としないからではない。大マスコミの側が「自由な報道」を規制したからだ。ネットの中は戦国時代の様相さながらで、右も左も宗教までも自由に発信している。そのどれを選択するかは国民の自由意志だ。各自が各自の責任で選び、それぞれの報道にコミットしていくのが「報道の自由」そのものの在り方だ。
新聞とテレビを抑えた大マスコミが自由にしてきた「不自由」なメディアはこの国の歪んだ姿そのものだ。それを正すのは国民一人一人の「自由」な報道を求める意識に他ならない。