岩屋氏は日本国民として最低の常識すら有してないようだ。

<自民党は15日、国旗損壊罪創設に関するプロジェクトチームの会合を開き、法案の骨子について議論した。

 慎重派の岩屋毅・前外務大臣は記者団の取材に応じ、「私の考えは一貫していて、こういう立法を行う必要性、必然性は無い。しかしその上で、百歩譲って、きょう一万歩という言い方をしましたが、あえて立法するならば、極めて限定的な形式犯、『公に掲揚されている国旗を著しく損壊する行為はこれを処罰する』という以外に、書きようはないと。今日示された骨子は過剰規制だ。これは国民に萎縮効果を招きかねない。従ってこの内容では賛同しがたいということを申し上げました」と述べた。
 SNSに国旗損壊画像などを投稿したものを処罰するという案については「これも過剰規制だと思いますね。元々立法には私は賛成してないんですよ。ただ、今日の骨子の中にそういうものがありましたが、何をしたかではなくて、何を伝えたかを罰するというのは、まさに表現行為を罰するということになるので、これは表現の自由に抵触すると思います」との見解を示した。
 記者の「ほかにも反対、慎重な立場の方はいたか?」という質問には、「明確な賛成反対というんじゃなくて、そこはさすが自民党で、これはちょっといかがなものかと、心配だというようなご意見もありました。まだ続いてますけどね」と述べた。>(以上「ABEMA」より引用)




“国旗損壊罪”自民が法案骨子議論 岩屋前外相「過剰規制だ」「国民の萎縮を招きかねない」「表現の自由に抵触する」反対の考え示す」との見出しに強い違和感を覚える。それは国旗損壊罪を制定するのが「過剰規制だ」「国民の萎縮を招きかねない」「表現の自由に抵触する」として、岩屋氏が反対の考えを示したことだ。
「過剰規制」とは何だろうか。まさか国旗一つ一つにナンバーを打って、損壊したか否かを国が選定した検査員が検査して歩く、というのではあるまい。普通に使用していた破損したのなら、別に罪に問われることはあるまい。「損壊罪」だから、損壊する意図をもって損壊した場合に成立する「犯罪」だ。

 また「国民の萎縮を招く」とは、いかなる事態を指しているのだろうか。国旗損壊罪があるから国民が委縮して国旗を後生大事に仕舞い込む、とでも心配しているのだろうか。さらに「表現の自由に抵触する」とは、国旗を損壊するのも表現の自由だとでもいうのだろうか。それなら渋谷や新宿などのシャッターにスプレーで落書きするのも「表現の自由」を発揮しているのか。
 モラルなき国民の「自由を尊重する」と云うのは、自身もモラルなき人間でしかない。国家の象徴たる国旗や国歌を尊重しない国民が、国家によって尊重され保護されることはない。それが常識ある「関係」だ。岩屋氏は国民によって選出された国会議員だから様々な特権を手に入れている。岩屋氏は彼を支持した有権者の象徴ともいえる存在だ。それは取りも直さず、多くの国民の「常識」を代表しなければならない。決してチンピラや非常識な国民を代表してはならない。

 岩屋氏の「何をしたかではなくて、何を伝えたかを罰するというのは、まさに表現行為を罰するということになる」とは珍奇な論理だ。国旗を損壊して「何を表現しているか」を罰してはならないとは、人を殺害して「何を伝えようとしたかを忖度すべきだ。それを罰するのは表現の自由を縛ることになる」と発言しているのと同じだ。どれほど非常識な発言をしているかお解りだろうか。岩屋氏は判断する論理的能力を欠いていると断定するしかない。
 国歌斉唱に反対だから起立もしないし歌うこともしない、とは「私は日本国家を尊重しない」と発言しているのと同じだ。そんな教員がいるとしたら、直ちに罷免すべきだ。日本国歌を尊重しない人物が日本国民を教育するのは適当でないからだ。たとえ外国人であっても、日本国歌斉唱時には立ち上がって、それなりの敬意を示すのが常識だ。現に大リーグで活躍する日本人選手諸氏も米国国歌斉唱時には帽子を取り直立して敬意を表している。それが常識ある行為だ。岩屋氏は日本国民として最低の常識すら有してないようだ。

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