「娘の意思、代弁すべきでないのでは」 元同志社大教授が辺野古事故遺族の投稿を疑問視とは?
<「娘の意思、代弁すべきでないのでは」 元同志社大教授が辺野古事故遺族の投稿を疑問視
沖縄県名護市辺野古沖で船2隻が転覆し、平和学習中だった同志社国際高(京都府)2年の武石知華(ともか)さん(17)ら2人が死亡した事故を巡り、元同志社大学大学院教授の浅野健一氏が17日、那覇市内で開かれた学習会で、武石さんの遺族による投稿サイト「note(ノート)」での発信を疑問視する発言をしたことが同日、参加者への取材で分かった。
「たとえ親子でも別人格」
学習会は「抗議船転覆事故乗り越え、辺野古新基地建設阻止を強化しよう」と題し、浅野氏が代表世話人を務める「人権と報道・連絡会」が主催。告知チラシには「極右の高市早苗自維政権と産経新聞が率いるキシャクラブメディアが、この事故を徹底利用して米軍辺野古新基地建設阻止闘争に対し、誹謗(ひぼう)中傷を繰り返している」などと記載されていた。>(以上「産経新聞」より引用)
「「娘の意思、代弁すべきでないのでは」 元同志社大教授が辺野古事故遺族の投稿を疑問視」との見出しに言葉を失う。事故死した娘の代弁を親がしなくて誰がするというのか。元同志社大教授浅野健一氏は「たとえ親子でも別人格」とは笑止千万だ。娘が成人していて、尚且つ存命しているのなら元同志社大教授の言い分に妥当性が認められる。
沖縄県名護市辺野古沖で船2隻が転覆し、平和学習中だった同志社国際高(京都府)2年の武石知華(ともか)さん(17)ら2人が死亡した事故を巡り、元同志社大学大学院教授の浅野健一氏が17日、那覇市内で開かれた学習会で、武石さんの遺族による投稿サイト「note(ノート)」での発信を疑問視する発言をしたことが同日、参加者への取材で分かった。
「たとえ親子でも別人格」
学習会は「抗議船転覆事故乗り越え、辺野古新基地建設阻止を強化しよう」と題し、浅野氏が代表世話人を務める「人権と報道・連絡会」が主催。告知チラシには「極右の高市早苗自維政権と産経新聞が率いるキシャクラブメディアが、この事故を徹底利用して米軍辺野古新基地建設阻止闘争に対し、誹謗(ひぼう)中傷を繰り返している」などと記載されていた。>(以上「産経新聞」より引用)
「「娘の意思、代弁すべきでないのでは」 元同志社大教授が辺野古事故遺族の投稿を疑問視」との見出しに言葉を失う。事故死した娘の代弁を親がしなくて誰がするというのか。元同志社大教授浅野健一氏は「たとえ親子でも別人格」とは笑止千万だ。娘が成人していて、尚且つ存命しているのなら元同志社大教授の言い分に妥当性が認められる。
しかし娘は17歳の未成年で、しかも事故死している。誰が娘の無念さを代弁するというのか。元同志社大教授浅野健一氏の伝なら、殺人犯人に対して検察が罪を問うのは「殺害された本人とは別人格」だから代弁すべきではない、ということになる。
また「この事故を徹底利用して米軍辺野古新基地建設阻止闘争に対し、誹謗(ひぼう)中傷を繰り返している」と発言しているようだが、法を無視した「反対運動」にどれほどの正当性があるというのか。誹謗・中傷されて然るべき「反対運動」ではないか。それとも「反対運動」が褒められるべき論理性でも備えているというのか。
浅野健一氏はいかなる論理から子を亡くした親の悲痛な叫びに「黙ってろ」と言えるのか。それとも平和丸の船長が公式の場に出て子の親に謝罪し、心から詫びたのだろうか。たとえボランティアといえども、船舶に一般人を乗船させた場合の船長が取るべき規範は定められている。その乗船客の救助が最優先される、という船長の義務を平和丸の船長は転覆事故をおこした後に遂行したのか。
いや、それ以前に転覆した「不屈」の救助に、定員満員の平和丸で駆けつける、というバカな判断をした船長の責任こそ問われるべきだ。浅野健一氏が不安定な「抗議船」小型ボートに定員限界まで乗船させて、外海へ出る行為が「平和教育」だとする学校法人の教育的判断そのものを批判しないのも不思議でならない。
また浅野健一氏がいかなる学識・研究論文により同志社大学の教授になったのか知らないが、彼が批判すべきは荒天模様の海に小型ボートに高校生を定員限界まで乗船させて外海へ出る「平和教育」を強行した船舶運航責任者ではないか。実に非常識な人物が教授を務めていたと思わざるを得ないし、その程度の人物を教授としていた同志社大学とはマトモな大学なのか、大学そのもののあり方にも疑問を抱かざるを得ない。
日本には私立大学がゴマンとある。そして大学教授の肩書を有する者もゴマンといる。常識すら弁えない教授がテレビにも出演して、時として奇想天外な報道解説している。もちろん思想信条の自由は尊重すべきだが、頓珍漢な自説を公器を使って公言する自由までは保障してないはずだ。
卑しくも教育者の端くれであったなら、教育基本法に忠実であるべきだ。そもそも私たちは法治国家の中で生きている。「抗議活動」も法律の範囲内でなされるべきだ。「反対行為」なら何をしても許される、ということはない。公道で無許可で座り込みするのは法律違反だ。教育者であれば、先ずは人としての規範について教えるべきではないか。