隈氏の建築は木造ラッピング。
<隈研吾さんのこの種の建築を網羅的に調べたわけではありません。
しかし、実際に自分の研究室が入っている東京大学「ダイワユビキタス棟」をつぶさに見、また資料などで確認する限り、鉄骨など別の材で構造を支えたうえで、その表面にカマボコ板のような木材を、金属でネジ止めしており、およそ伝統的な「木造建築」とは似ても似つかないものであるのは間違いありません。
例えば建物のエントランス部分、鉄骨構造になっているのが良く分かります。
建物の外部は、フレームに木材がネジ止めされているのですが、この写真をよく見てください。木の年輪のような模様が、くっきりと浮かび上がっているのが分かると思います。
こういう断面が観察される木材を「板目(いため)」と呼びます。
材木にはこういうタイプのものと、もう一つ別に、年輪がまっすぐに見えているものがありますよね?
まっすぐなタイプの木材を「柾目(まさめ)」と呼びます。
音楽と情報が専門の私が、どうしてこんな木材の区別をあれこれ言うのか、実は理由があるのです。
この「柾目」英語なら「Straight grain」、ドイツ語なら「Gerade Maserung」と言います。
年輪がまっすぐに揃った木材を加工して、ヴァイオリンやピアノなど、伝統的な西欧の楽器は作られるのです。
正確には、このように目が揃った良質の木材をよく選び、何十年と乾燥させたうえで切り出し加工するんですね。
あるいは、曲線の型にはめてお湯の中で時間をかけて曲げていくことで、グランドピアノの、あの特徴的なS字のカーブが創り出される。
曲げることで木材にはバネの性質が加味されて、弦の振動に豊かな共鳴を与えるんですね。
この原理、実は洋の東西を問わず、日本でも違う形で伝統になっています。
「なぜ仏壇とピアノは黒塗りなのか?」といったタイトルで、この連載でも幾度か取り上げていますが、柾目の板の片面だけを黒漆などで塗り、裏面は白木のまま「ちから(応力)」をかけると、電気がなかった時代でも、室内で声をよく響かせることができるのです。
畳や障子、襖などは音を吸収しますが、板張りの側壁は音を反響させます。
時代劇に出てくる「お白洲」は、白砂の上にムシロを敷いて、容疑者(?)を座らせます。
実際に音を計測してみるとよく分かりますが、そういう場所では音が吸収されて響かないので「罪人は大きな声が出せない」んですね。
それに対して「お奉行」が出てくる御座所近辺は、板張りの床や壁などが音を反響させて「大きな声」が響くようになっている。
実は、日本の伝統的な建築音響は、権力構造も反映して設計、施工されているんですよ・・・といった話題は、15~20年ほど前に私が書いた「サウンドコントロール」や「笑う親鸞」などに詳しく解説してありますから、ご興味の方はぜひご一読ください。
19世紀以前、日本でも欧州でも、木材はその基本性質を生かして、居住空間のとりわけ「音響」「調光」「空調」をコントロールするのに活用されていました。
日本でこうした伝統が途絶えるのは1920年代、大正末期から昭和期にかけてRC工法が導入されたことと、第2次大戦後に建築産業が根本的に変質したからと思われます。
隈研吾氏がデザインした建築物の悪評は全国各地から聞こえて来る。伊東 乾(作曲家・指揮者)氏が音楽家の立場から「伝統的木造建築とは異なる隈研吾建築、劣化が早い理由とはーー東京大学にある建築物で、木材の使い方と劣化を調べてみた」と見方を変えた論評を綴ろうとも、隈研吾氏の悪評が消えるわけではない。
しかし、実際に自分の研究室が入っている東京大学「ダイワユビキタス棟」をつぶさに見、また資料などで確認する限り、鉄骨など別の材で構造を支えたうえで、その表面にカマボコ板のような木材を、金属でネジ止めしており、およそ伝統的な「木造建築」とは似ても似つかないものであるのは間違いありません。
例えば建物のエントランス部分、鉄骨構造になっているのが良く分かります。
建物の外部は、フレームに木材がネジ止めされているのですが、この写真をよく見てください。木の年輪のような模様が、くっきりと浮かび上がっているのが分かると思います。
こういう断面が観察される木材を「板目(いため)」と呼びます。
材木にはこういうタイプのものと、もう一つ別に、年輪がまっすぐに見えているものがありますよね?
まっすぐなタイプの木材を「柾目(まさめ)」と呼びます。
音楽と情報が専門の私が、どうしてこんな木材の区別をあれこれ言うのか、実は理由があるのです。
この「柾目」英語なら「Straight grain」、ドイツ語なら「Gerade Maserung」と言います。
年輪がまっすぐに揃った木材を加工して、ヴァイオリンやピアノなど、伝統的な西欧の楽器は作られるのです。
正確には、このように目が揃った良質の木材をよく選び、何十年と乾燥させたうえで切り出し加工するんですね。
あるいは、曲線の型にはめてお湯の中で時間をかけて曲げていくことで、グランドピアノの、あの特徴的なS字のカーブが創り出される。
曲げることで木材にはバネの性質が加味されて、弦の振動に豊かな共鳴を与えるんですね。
この原理、実は洋の東西を問わず、日本でも違う形で伝統になっています。
「なぜ仏壇とピアノは黒塗りなのか?」といったタイトルで、この連載でも幾度か取り上げていますが、柾目の板の片面だけを黒漆などで塗り、裏面は白木のまま「ちから(応力)」をかけると、電気がなかった時代でも、室内で声をよく響かせることができるのです。
畳や障子、襖などは音を吸収しますが、板張りの側壁は音を反響させます。
時代劇に出てくる「お白洲」は、白砂の上にムシロを敷いて、容疑者(?)を座らせます。
実際に音を計測してみるとよく分かりますが、そういう場所では音が吸収されて響かないので「罪人は大きな声が出せない」んですね。
それに対して「お奉行」が出てくる御座所近辺は、板張りの床や壁などが音を反響させて「大きな声」が響くようになっている。
実は、日本の伝統的な建築音響は、権力構造も反映して設計、施工されているんですよ・・・といった話題は、15~20年ほど前に私が書いた「サウンドコントロール」や「笑う親鸞」などに詳しく解説してありますから、ご興味の方はぜひご一読ください。
19世紀以前、日本でも欧州でも、木材はその基本性質を生かして、居住空間のとりわけ「音響」「調光」「空調」をコントロールするのに活用されていました。
日本でこうした伝統が途絶えるのは1920年代、大正末期から昭和期にかけてRC工法が導入されたことと、第2次大戦後に建築産業が根本的に変質したからと思われます。
寿命の短い安普請
前回も触れましたが、いまの日本の法律では、木造建築は22年が法定耐用年数とされています。
これ、少し変な気がしませんか?
例えば「世界最古の木造建築」といえば奈良の法隆寺。創建は607年、一度、斑鳩時代に火災で全焼とも伝えられますが670年代頃に再建された建物が今も残っているので、1300年は優にもっている。
あるいは、東京大学で日常的に目にする「赤門」は、1827年の創建ですから今年198年目。
今現在、耐震補強工事を施す準備が進んでいますが、「耐用年数」「劣化で取り壊し」というような話にはなっていない。
それなのに、木造建物の耐容年数は22年?
いえ、実は同じ木材といっても材がちょっと違うのです。
樹木は若木の時代から、だんだん年輪を重ねて太くなっていきますが、そうなると構造を支えなければなりませんから、芯の方は硬くなり、多くの樹木では木の上の方まで水や養分を運ぶ導管や篩管などは、新しく太くなった、木の周辺部に集中する傾向が見られます。
そのような、みずみずしく柔らかい木の幹の周辺部を「辺材」、芯の方で硬くなった部分を「心材」と呼びます。
同じ丸太でも、芯の方の「心材」は、フェノールなどの成分で目が詰まって赤っぽい色がついているので「赤太」と呼ばれ硬く、白アリなどにも強く、高価ですが耐用年数は長い。
これに対して「辺材」は色が薄いので「白太」と呼ばれるようです。
また幹の周辺からは枝が出ていますから、その部分を切り出すと材木に「節」が入ってしまいます。節の部分は何かとトラブルの元になるので、節のない材の方が値が高い傾向があるようです。
先ほど、ピアノやヴァイオリンなど楽器には「柾目」の材だけが用いられると書きましたが、楽器の表裏の板は柔らかな辺材を用いて豊かな響きを得るのに対し、指板やテールピースなどは硬い心材で余計な共振を防いでいる。
「黒檀」という樹木がよく知られますが、あれだって至る所が真っ黒なわけではありません。
リンクした写真で分かるように、心材が堅く黒くなっていて、ああいう強い材には白アリなどの歯が立たないわけです。
木造建築のデリケートな細部は別にしても、ヴァイオリンやチェロ、ピアノなど、楽器を構成するあらゆる部品が、木材の繊細な性質を生かして作られることは、イタリア・クレモナのストラディヴァリ記念ヴァイオリン製造学校(リューテリア)との共同プロジェクトで、驚くべき細部の知恵を教わりました。
前回も触れましたが、いまの日本の法律では、木造建築は22年が法定耐用年数とされています。
これ、少し変な気がしませんか?
例えば「世界最古の木造建築」といえば奈良の法隆寺。創建は607年、一度、斑鳩時代に火災で全焼とも伝えられますが670年代頃に再建された建物が今も残っているので、1300年は優にもっている。
あるいは、東京大学で日常的に目にする「赤門」は、1827年の創建ですから今年198年目。
今現在、耐震補強工事を施す準備が進んでいますが、「耐用年数」「劣化で取り壊し」というような話にはなっていない。
それなのに、木造建物の耐容年数は22年?
いえ、実は同じ木材といっても材がちょっと違うのです。
樹木は若木の時代から、だんだん年輪を重ねて太くなっていきますが、そうなると構造を支えなければなりませんから、芯の方は硬くなり、多くの樹木では木の上の方まで水や養分を運ぶ導管や篩管などは、新しく太くなった、木の周辺部に集中する傾向が見られます。
そのような、みずみずしく柔らかい木の幹の周辺部を「辺材」、芯の方で硬くなった部分を「心材」と呼びます。
同じ丸太でも、芯の方の「心材」は、フェノールなどの成分で目が詰まって赤っぽい色がついているので「赤太」と呼ばれ硬く、白アリなどにも強く、高価ですが耐用年数は長い。
これに対して「辺材」は色が薄いので「白太」と呼ばれるようです。
また幹の周辺からは枝が出ていますから、その部分を切り出すと材木に「節」が入ってしまいます。節の部分は何かとトラブルの元になるので、節のない材の方が値が高い傾向があるようです。
先ほど、ピアノやヴァイオリンなど楽器には「柾目」の材だけが用いられると書きましたが、楽器の表裏の板は柔らかな辺材を用いて豊かな響きを得るのに対し、指板やテールピースなどは硬い心材で余計な共振を防いでいる。
「黒檀」という樹木がよく知られますが、あれだって至る所が真っ黒なわけではありません。
リンクした写真で分かるように、心材が堅く黒くなっていて、ああいう強い材には白アリなどの歯が立たないわけです。
木造建築のデリケートな細部は別にしても、ヴァイオリンやチェロ、ピアノなど、楽器を構成するあらゆる部品が、木材の繊細な性質を生かして作られることは、イタリア・クレモナのストラディヴァリ記念ヴァイオリン製造学校(リューテリア)との共同プロジェクトで、驚くべき細部の知恵を教わりました。
神社仏閣と町屋で異なる木材の使い方
日本の木造建築に戻ると、歴史的に日本の都市部では「破壊消防」が基本で、いったん火事になると町屋は引き倒されて延焼を防止していました。
幕藩体制期の寺社仏閣、武家や商家が用いてよい木材の違いなどは詳しくありませんが、煩く細かな決まりがあったはずです。
要するに庶民の家は「安普請」が当たり前だった。戦後、焼け跡の日本に林立したバラックも、そのような典型だったと思います。
1300年保つ「法隆寺」のような宮大工の仕事と、一般の民家とは、使用する材も、工法も全く違っています。
歴史を遡れば、伊勢神宮だって20年に1度「遷宮」といってすべてを作り替えるわけですが、これだって(かつて提唱された「天地根元宮造」ではないにしろ)、より簡素で傷みやすい、寿命20数年くらいの木造建築物を建て替え続けていたもの、と解釈されます。
さて、いろいろ背景の確認に手間を取りましたが、私のラボが入っている建築物の「木材」を確認してみましょう。
一見して「白木」で作られていることが明らかですから「白太」つまり丸太の周辺部「辺材」が用いられています。
木目は、すでに確認した通り「等高線」のような模様ですので「板目」つまり比較的安価な材を用いており、結果的に多数の「節」を含むことになります。
この「節」の部分は、木が切り倒された時点で既に生理活性を失っている場合があり(死節=しにぶし)、そこから先に痛んでおく場合もあるようです。
また「辺材」は木の上部に水や栄養を送るパイプの役割を果たしているので、柔らかく、養分に富み、微生物の住処にもなりやすいはずです。
実際(それが何なのか、正体は分かりませんでしたが)コケなのか地衣類なのか、カーペット状に緑の植物が生えているエリアも見つけました。
さて、法隆寺から町火消まで考えても、この種の「辺材」が雨ざらしになった構造の「木部」は、20年程度で「遷宮」する伊勢神宮の伝統に倣うのが適切な気がします。
隈研吾さんの「木造風味」建築は、伊勢神宮の顰(ひそみ)に倣って「20年で建て替えが鉄則」と考えれば、栃木の「那珂川町馬頭広重美術館」(25年で全面改修)も、高知の「雲の上ホテル」(27年目で取り壊し、現在はさら地)のケースも、この原則に照らして、キレイに寿命の説明がついてしまうように思われるのです>(以上「JB press」より引用)
日本の木造建築に戻ると、歴史的に日本の都市部では「破壊消防」が基本で、いったん火事になると町屋は引き倒されて延焼を防止していました。
幕藩体制期の寺社仏閣、武家や商家が用いてよい木材の違いなどは詳しくありませんが、煩く細かな決まりがあったはずです。
要するに庶民の家は「安普請」が当たり前だった。戦後、焼け跡の日本に林立したバラックも、そのような典型だったと思います。
1300年保つ「法隆寺」のような宮大工の仕事と、一般の民家とは、使用する材も、工法も全く違っています。
歴史を遡れば、伊勢神宮だって20年に1度「遷宮」といってすべてを作り替えるわけですが、これだって(かつて提唱された「天地根元宮造」ではないにしろ)、より簡素で傷みやすい、寿命20数年くらいの木造建築物を建て替え続けていたもの、と解釈されます。
さて、いろいろ背景の確認に手間を取りましたが、私のラボが入っている建築物の「木材」を確認してみましょう。
一見して「白木」で作られていることが明らかですから「白太」つまり丸太の周辺部「辺材」が用いられています。
木目は、すでに確認した通り「等高線」のような模様ですので「板目」つまり比較的安価な材を用いており、結果的に多数の「節」を含むことになります。
この「節」の部分は、木が切り倒された時点で既に生理活性を失っている場合があり(死節=しにぶし)、そこから先に痛んでおく場合もあるようです。
また「辺材」は木の上部に水や栄養を送るパイプの役割を果たしているので、柔らかく、養分に富み、微生物の住処にもなりやすいはずです。
実際(それが何なのか、正体は分かりませんでしたが)コケなのか地衣類なのか、カーペット状に緑の植物が生えているエリアも見つけました。
さて、法隆寺から町火消まで考えても、この種の「辺材」が雨ざらしになった構造の「木部」は、20年程度で「遷宮」する伊勢神宮の伝統に倣うのが適切な気がします。
隈研吾さんの「木造風味」建築は、伊勢神宮の顰(ひそみ)に倣って「20年で建て替えが鉄則」と考えれば、栃木の「那珂川町馬頭広重美術館」(25年で全面改修)も、高知の「雲の上ホテル」(27年目で取り壊し、現在はさら地)のケースも、この原則に照らして、キレイに寿命の説明がついてしまうように思われるのです>(以上「JB press」より引用)
隈研吾氏がデザインした建築物の悪評は全国各地から聞こえて来る。伊東 乾(作曲家・指揮者)氏が音楽家の立場から「伝統的木造建築とは異なる隈研吾建築、劣化が早い理由とはーー東京大学にある建築物で、木材の使い方と劣化を調べてみた」と見方を変えた論評を綴ろうとも、隈研吾氏の悪評が消えるわけではない。
そもそも隈氏は彼の建築物で使用する大量の木材をオブジェか何かと思っているのではないだろうか。つまり木材でラッピングした建築物だから、木材部分がラッピングした紙がすぐに捨てられるように、彼が使う木材もそれほど耐用年数を想定したものではなく、従って苔が生えたり朽ち果てたなら、新しい木材でラッピングし直すべきもので、古い木材は捨てられるべきもの、と設計しているのではないだろうか。
だから隈氏を木造建築設計士と呼んではいけない。そもそも彼の事務所は木造建築ではない。彼が設計する建築物の主な構造体は鉄骨でありコンクリートだ。純然たる木造建築ではない。だから宮大工のような匠の技は隈氏の建築物では無縁のものだ。
ただ「生け花」の花は自然の草花を摘み取って剣山に生けたものであるのと同じく、隈氏の木造建築は現代の鉄骨とコンクリートの構造材を木造で飾った「飾り物」の木造建築でしかない。したがって、隈氏の建築物に法隆寺五重塔のような木造建築物の重厚感としなやかな日本の歴史を感じさせるような「深み」はない。ただ白木の材木や皮を剥いだ丸太をオブジェとして屋根や壁の表面を飾っているだけだ。まさに建築物の「生け花」でしかない。
だが、それは屋外に放置する建築物として、いかがなものだろうか。もちろん白木の材木は風雨に晒せば数年と経ずして変色し朽ち始める。建築当初の木の香りや木目の輝きは数日と経たずして失われ、後は日に日の老朽化するのを見守るだけだ。それを木の匠と称するのに値するだろうか。
マッピングマフィンなら日々光を当てるだけだから劣化しないし、電源を切れば消え失せて、元の建築物に戻る。しかし隈氏の木材ラッピングはタチが悪いことに日々劣化する木材の無様さを見る者に印象付けるだけだ。そうした無様な木材ラッピングは隈氏が意図したものではないはずだ。しかし屋外に作られた木材ラッピングは朽ち果てるだけだ。隈氏に木材保護のベンガラや柿渋を塗布するなどといった工夫はないし、雨露から木材を守る意思もない。ましてや宮大工の匠の技もないから、無様さはただただ無様なだけだ。それを以て木造建築の匠と隈氏を称するのは皮肉でしかない。伊藤氏がいかなる観点から隈氏を持ち上げようと、建築や音楽の門外漢の、一般大衆日本国民の一人でしかない私の眼には隈氏の建築木造ラッピングは醜悪以外の何ものでもない。それを建築設計の「匠」と呼ぶのは如何なものだろうか。