中居性加害問題は芸能界引退で済む話ではない。

<フジテレビからスポンサーが続々と撤退している。この原稿を執筆している22日15時時点では、CMを差し替える企業が少なくとも70社を超えているという。
 人気タレントの中居正広氏の「女性とのトラブル」にフジテレビ幹部が関与していたとの週刊誌の報道を受けて、同社の港浩一社長は2月の定例会見を前倒しして1月17日に記者会見を行ったが、そこでの発言がかえって裏目に出た格好だ。

「回答を差し控える」を連発した不誠実な記者会見
 参加媒体を記者クラブ加盟社だけに限定し、テレビ局であるにもかかわらず映像配信を認めず、写真撮影も冒頭のみという厳しいルールを敷いた。
 会見の内容も、プライバシーや新たに設置する調査委員会に委ねることを理由に「回答を差し控える」を連発し、不誠実と受け取られかねない対応に終始した。
 週刊文春の女性アナウンサーによる接待が常態化していたとの記事に関して尋ねられると、「なかったと信じたいと思います」と歯切れの悪い回答だった。
 しかも、新たに設置予定の「第三者の弁護士を中心とする調査委員会」は、現時点では日本弁護士連合会がガイドラインで示す「企業等から独立した第三者のみをもって構成される」「第三者委員会」ではないようだ。
 23日に開く臨時の取締役会で同ガイドラインに基づく第三者委員会を設置するとの報道も出ているが、真相究明に当たって独立性が担保されるかどうかは依然不透明である。
 これを受けて19日には、元朝日新聞記者が有志とともに「記者会見の『やり直し』と、徹底した真相解明を求める」署名をオンライン署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」に立ち上げるなど波紋が広がっている。

表沙汰になるまで問題を"放置"していた疑い
 会見で港社長は、中居氏のトラブルを発生直後の2023年6月初旬に把握したと述べた。
 そうなると1年以上もの間、何事もなかったように看板番組で中居氏を起用し続け、週刊誌の報道が出るまで"放置"していた疑いが浮上してくる。
 つまり、フジテレビはそもそもこの問題を適切に解決しようとする気があったのかという疑念である。
 時系列的に見て、まず今回のような週刊誌の報道が発端となり、それに伴って騒動が次第に拡大し、大株主である米投資ファンドからの強い圧力や海外メディアへの波及が国内外で話題になる中で、ようやく重い腰を上げたのではないかと推測せざるをえないからだ。

 仮にそうだとすれば、なぜこのような事態に発展するまで不祥事を不祥事と認識し、徹底した調査や抜本的な改善を進めることができなかったのか、事なかれ主義すぎないか、という気持ちになる。

多くの日本企業に共通する「事なかれ主義」
 とはいえ、日本企業を見ていくと、このような疑問を抱く事例は少なくない。筆者が東洋経済オンラインに寄稿した記事「中居騒動でフジが露呈『日本的組織』の根深い問題 いかに内部が狂っていても外まで伝わらないワケ」には多くの声が寄せられたが、中には「うちの会社も……」といった共感の声が少なくなかった。
 なぜ、日本企業は自浄作用を持たず、社内の不祥事に向き合うことができないのか。そこには、組織の目標に基づいた合理的な選択よりも、組織メンバー同士の「関係性」を優先する日本特有の事なかれ主義が強く作用していることが少なくない。
 これは戦後、日本の敗因を研究する中で主張されてきたことであり、現在もなおビジネスの現場でよく目にする光景である。
「人間関係を過度に重視する情緒主義や、強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステムの存在が、失敗の主要な要因として指摘される」――これは歴史学者の戸部良一らによる社会科学の手法を用いた旧日本軍の戦史研究の名著である『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社)における一節だ。
 戸部らは、それを「日本的集団主義」と呼んだ。一般的に集団主義と聞くと、個人の存在を認めず、集団への奉仕と没入を最高の美徳とする価値基準を想起しがちだが、そうではないと否定する。
「個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされる」考えであるとし、「そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の『間柄』に対する配慮」だという(同前)。
 戦争中、数々の作戦で成果が思わしくなかったり、壊滅的な被害を招いたりしても、中止や方針転換などの意思決定に相当の時間を要した。その後の責任の所在もあいまいなままになる例も多かった。
 そこには、現場がどれだけ悲惨なことになろうとも、最終的には個人間の付き合いや情緒といった非合理的な力学に左右されるという実態があったのである。

「間柄」を最優先してしまった
 フジテレビの今回の騒動に置き換えると、中居氏と幹部の「間柄」、幹部と社長の「間柄」が特に重要視され、被害者とされる女性や、悪評にさらされる関係者たちは二の次にされた……と言ってしまうのは、真相が判明していない現時点では、推測が過ぎるのかもしれない。
 ただ、フジテレビの公式ホームページに記者会見における発言と同じ文章が掲載されているが、「視聴者の皆様をはじめ、関係者の皆様に多大なご迷惑・ご心配をおかけしています」と、世間に対する謝罪の言葉は述べられているものの、被害女性に対する謝罪の言葉はない。
 そうなると、自浄作用はなかなか望めないという見通しもおおよそ想像ができる。この局面においても「間柄」を最優先しているからだ。

根本的な問題に触れることを避けた「失敗の本質」
 話を『失敗の本質』に戻すと、戸部らは、戦局を変えるほどの大敗北を期した作戦であるにもかかわらず、通常は作戦終了後に開かれる作戦戦訓研究会が開かれなかった事例を引いている。
 作戦を指揮した軍の幹部たちは、お互い詮索されることや、責任追及されることを恐れて、根本的な問題に触れることを避けたのである。
「本来ならば、関係者を集めて研究会をやるべきだったが、これを行わなかったのは、突っつけば穴だらけであるし、みな十分に反省していることでもあり、その非を十分に認めているので、いまさら突っついて屍に鞭打つ必要がないと考えたからだった」(吉田俊雄『四人の連合艦隊司令長官』文春文庫)と回顧している。
 戸部らは、「ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる」と述べている。
 また、同書では日本軍の構造的欠陥が戦後、政治やメディア組織に受け継がれたという予見的な記述でしめくくられており、非常に不気味である。
 日本軍が特定のパラダイムに固執し、環境変化への適応能力を失った点は、「革新的」といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである。すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し、そのパラダイムで説明できない現象をすべて捨象する頑なさは、まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようですらある。(同前)
 昭和から令和にかけて、フジ・メディア・ホールディングスのグループ人権方針にあるような「人権尊重」「差別・ハラスメントの禁止」が強く求められるようになった。
 けれども、前述のように「間柄」が優越すれば、どのような人権侵害も許容され、差別・パワハラも黙認されるという状況が出現しうるのだ。
 これが前回取り上げた「企業などの社会組織が『運命共同体』としての性格を帯びること」(中居騒動でフジが露呈「日本的組織」の根深い問題)とともに、硬直したパラダイムの一翼を担っているのである。
 フジテレビの激震が民放各局にも走っているはずなのに、妙に及び腰な印象を受けるのは、おそらく叩けばほこりが出るだけでなく、同種の困難を抱えているからなのかもしれない。
 先人たちの失敗と教訓といえば他人事に聞こえるが、人物と時代が変わっただけで本質的な課題がDNAのごとく継承されているように見える。他山の石になるのはまだまだ先の話なのかもしれない>(以上「東洋経済」より引用)




中居騒動で露呈「日本的組織」の本質的な危うさーーフジテレビ「事なかれ」批判は他人事ではない」と題して、真鍋 厚 ( 評論家、著述家)氏が目にした中居騒動から透けて見える「日本的」な会社風土について解説している。一読して共感する部分も多々あるが、中居的な問題処理が日本企業的風土とばかりは云えないような気がする。
 むしろ日本的風土、もしくはオールドメディア的な風土と言い換えるべきではないかと思う。なぜなら中居問題が週刊誌でスッパ抜かれても、中居本人が妙な「謝罪文」を発表してスッパ抜き記事が事実に基づいている、と本人からの告知がなされるまで報道管制を敷いていたかのように沈黙を続けていたからだ。

 最も時代の最先端を駆けているような、或いは時代の先導役を果たしているかのように振舞っているオールドメディアは、最も前近代的な報道管制を敷いていたと批判されても仕方ない横並び一線の沈黙を守っていたからだ。
 週刊誌のスッパ抜き直後に、由々しき人権侵害、とばかりに「性加害」事件を独自に取り上げるテレビ局なり新聞社が一社なりとも現れなかったのだろうか。それこそオールドメディアの自死行為と云っても差し支えない現象ではないだろうか。

 さらにフジテレビ社長が自ら催していた「みなと会」なるものが中居性加害事件の前身にあたる「性献納」接待だったと暴露されているにも拘らず「私は一切知らなかったし、そうした事はなかったと信じたい」などと白々しいにも程がある談話を会見で述べるとは馬脚が現れてもヒヒーンと泣く大根役者のようだ。
 関西テレビ社長に就任している当時のフジテレビ専務にしても、一部内部通報で彼も性加害については知っていた「はずだ」と内部告発されていると知ってか知らずか「私は(フジテレビ局内で性献納があったことなど)一切知らなかった」と白々しくも述べている。

 しかも中居性加害事件がテレビ局員絡みの「性献納」で、かなり昔から行われていたことは明らかになっているにも拘らず、中居以外のタレントの名が出て来ないのも不思議だ。本当にテレビ局員の手引きによる性加害事件は中居だけの特殊な嗜好を持つタレントによる性加害事件だった、というのか。
 次々と広告スポンサーがフジテレビへの出稿を止める事態の深刻さと事件の広がりを受けて、中居は「芸能界を引退する」と発表したようだ。いやいや、たとえ引退しなくても中居を使用するテレビ局は何処にもないし、たとえ出演させてもスポンサーは一社たりとも付かないだろう。現代社会はそれほど性加害に対しては厳しい目を向けている、ということが松本氏の「性献納」事件から学ばなかったのだろうか。

 芸能人は聖人君主たれ、とは云わないが、かつてのような「女遊びも芸の肥やし」などといった戯言は現代では通用しない。ましてや「性献納」とはいつの時代の話だろうか。中居は芸能界を引退すると発表したようだが、女性の人権を無視して「性」を弄んだ者の当然の報いだ。齢50を過ぎて社会の常識をやっと理解するとは、いかに彼が非常識な世界にいたか想像するだけでゾッとする。

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