現在の日本に男女相違はあっても、社会的な女性差別などない。
<東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長による「女性の多い会議は時間がかかる」発言に対し、国内外で「女性蔑視」との批判が巻き起こった。自民党・稲田朋美元防衛相は自身のTwitterに、「私はわきまえない女でありたい」「女性も臆せず意見を言うべきだから」などと投稿した。自民党内からの踏み込んだ発言。真意は何なのか、森発言はなぜ起きたのか。稲田氏に聞いた。(インタビュー:ジャーナリスト・森健、構成:Yahoo!ニュース 特集編集部)
――森喜朗会長が「女性蔑視発言」の責任を取り、辞任を表明しました。所感を聞かせて下さい。 稲田氏:今回の発言(の影響)が長引いたこともあって、世界から「日本は男女平等が実現されていない」「男女不平等の国」と受けとられることもあったのかと感じます。そういったなかで、森会長が重い決断をされたのだと思います。 ――問題の発言をどう受け止めましたか。 稲田氏:日本に潜在的にある、女性の発言を軽視したり、偏見をもって捉えたりする風潮を表しているのではと感じました。
Twitter投稿の真意
2月4日、稲田氏はTwitterに「私は『わきまえない女』でありたい。なぜなら、女性も少々空気読めないと思われても、臆せず意見を言うべきだから」と投稿した。ただし稲田氏は「保守系」の議員として活動をしているため、投稿に対しては、「がっかりした」「そんな人だと思わなかった」などの批判が一部の支援者からあったという。発信の真意はどこにあったのか。 稲田氏:世の中の人が私をどう見ていたかなんですけど、ずっと「わきまえない人」だったんです。政治の世界で男性議員だったら、何かを通す際は8割ぐらいの力でもよいのかもしれません。しかし、女性議員の場合、100%の力でやりきるぐらいでないと成し遂げることはできないんです。「わきまえない」ぐらいでないとやってはいけない。 それに「わきまえる」「わきまえない」っていう言い方は、単に女性に対してだけでなく、上の人が会議で決めてきたことに対する姿勢も指していると思います。会議の場で(キャリアの浅い議員が)「おかしいですよね?」と声を上げることは、「わきまえない人」ということになる。でも国会議員である以上、おかしいと感じたことには異論を唱えないといけないのではないでしょうか>(以上「yahooニュース」より引用)
引用記事は長い記事の一部を引用させて頂いた。なぜ中途で引用を切ったかというと、読むに値しないと判断したからに他ならない。
なぜ読むに値しないのか。それは日本社会に男女差別など存在していないと思うからだ。稲田氏は女性は100%の力を出さないと評価されない、と不満を抱いているようだが、何も女性に限ったことではないだろう。誰でも何事に対しても100%の力を出さないで評価されることなど何もない。むしろ世の中では100%の力を出しても成し遂げられないことの方が多いのではないだろうか。
――森喜朗会長が「女性蔑視発言」の責任を取り、辞任を表明しました。所感を聞かせて下さい。 稲田氏:今回の発言(の影響)が長引いたこともあって、世界から「日本は男女平等が実現されていない」「男女不平等の国」と受けとられることもあったのかと感じます。そういったなかで、森会長が重い決断をされたのだと思います。 ――問題の発言をどう受け止めましたか。 稲田氏:日本に潜在的にある、女性の発言を軽視したり、偏見をもって捉えたりする風潮を表しているのではと感じました。
Twitter投稿の真意
2月4日、稲田氏はTwitterに「私は『わきまえない女』でありたい。なぜなら、女性も少々空気読めないと思われても、臆せず意見を言うべきだから」と投稿した。ただし稲田氏は「保守系」の議員として活動をしているため、投稿に対しては、「がっかりした」「そんな人だと思わなかった」などの批判が一部の支援者からあったという。発信の真意はどこにあったのか。 稲田氏:世の中の人が私をどう見ていたかなんですけど、ずっと「わきまえない人」だったんです。政治の世界で男性議員だったら、何かを通す際は8割ぐらいの力でもよいのかもしれません。しかし、女性議員の場合、100%の力でやりきるぐらいでないと成し遂げることはできないんです。「わきまえない」ぐらいでないとやってはいけない。 それに「わきまえる」「わきまえない」っていう言い方は、単に女性に対してだけでなく、上の人が会議で決めてきたことに対する姿勢も指していると思います。会議の場で(キャリアの浅い議員が)「おかしいですよね?」と声を上げることは、「わきまえない人」ということになる。でも国会議員である以上、おかしいと感じたことには異論を唱えないといけないのではないでしょうか>(以上「yahooニュース」より引用)
引用記事は長い記事の一部を引用させて頂いた。なぜ中途で引用を切ったかというと、読むに値しないと判断したからに他ならない。
なぜ読むに値しないのか。それは日本社会に男女差別など存在していないと思うからだ。稲田氏は女性は100%の力を出さないと評価されない、と不満を抱いているようだが、何も女性に限ったことではないだろう。誰でも何事に対しても100%の力を出さないで評価されることなど何もない。むしろ世の中では100%の力を出しても成し遂げられないことの方が多いのではないだろうか。
国会議員の女性の数をもっと増やそう、というのに異論はない。むしろかつて選挙を戦った経験のある者としては、女性の方が当選にかなり有利ではないかとの実感がある。女性もドンドン立候補すれば良い。
立候補に当たって女性の方が有利ではないかと思う。会社員が公職に立候補するには会社勤めを止めなければならないだろうし、そううすれば男性には女性よりもハードルが高いのではないだろうか。
お喋りは女性だけではなく、男性にもいる。森氏の発言は女性蔑視であって、女性差別ではない。社会的な男女差別など日本には存在しない。
あるとすれば男女の相違を差別だと過剰反応しているのではないだろうか。姓に於いて男女に相違があるのに異論はないはずだ。それも「差別」だとするのは勘違いだろう。バイデン氏がトイレの男女の壁を取り払え、というのは生物学的な相違を理解していない馬鹿げた見識だ。
「稲田氏はTwitterに「私は『わきまえない女』でありたい。なぜなら、女性も少々空気読めないと思われても、臆せず意見を言うべきだから」と投稿した」というが、それは男女差別に対する憤懣ではなく、稲田氏の個人的な性格の問題ではないだろうか。
稲田氏が防衛大臣当時に国会で臆せず「(自衛隊の)派遣部隊からの日報は有りません」と嘘を吐いたではないか。後に日報は防衛省で隠蔽されていたことが判明している。そのことに関して稲田氏は国民に対して「誤った答弁」をしたことを詫びただろうか。既に稲田氏は充分に「わきまえない女」だ。これ以上「わきまえない女」になったなら人間失格になりかねないから、そうした馬鹿げた願望は捨てる方が良いのではないだろうか。