責任は安倍氏にもある、韓国を甘やかしてきた結果が今日の日韓関係だ。
<日韓外相会談では、いわゆる徴用工訴訟問題をめぐる対立が鮮明となった。韓国メディアは24日、河野太郎外相と康京和(カン・ギョンファ)外相による会談の場が「終始、重く凍りついた雰囲気」(朝鮮日報)だったと報じた。
康氏は会談で、日韓請求権協定に基づく仲裁委員会の開催を受け入れず、歩み寄りを見せなかったにも関わらず「韓日関係全般に否定的影響を及ぼさぬよう、両国外交当局が賢明に解決していく必要がある」と述べた。「慎重な言動の重要性」も日本に求めた。
「慎重な言動」とは、河野氏が21日、最高裁判決について「文在寅(ムン・ジェイン)大統領が責任を持って対応してほしい」と発言したことへの批判だ。河野発言の背景には徴用工問題への対応を文氏から任された李洛淵(イ・ナギョン)首相が「限界がある」とサジを投げたことがある。首相が義務を放棄した以上、大統領が日本との約束事を守り対処するほかない。
会談に先立ち、韓国外務省報道官は「韓国外務省としては日本企業が最高裁判決を履行する場合、何の問題もないとみる」と述べた。日韓間の財産・請求権問題の完全かつ最終的な解決を定めた日韓請求権協定を、韓国外交当局が、日本企業に賠償を促すかたちで完全に無視している。会談冒頭、河野氏が「事の重大性を理解していない大変な発言だ」と批判したのは当然のことだ。
しかし、韓国では各メディアが河野氏の発言を「外交的欠礼」と批判している。康氏の日本への「慎重な言動」の要求も同一線上にあり、韓国側による請求権協定への違反や日韓関係の法的基盤を一方的に毀損(きそん)しているとの自覚はないようだ。康氏は外相会談で責任を日本側に押しつけ、今回も責任を日本側に押しつける形となった>(以上「産経新聞」より引用)
韓国政府は未だに日韓併合が続いていると勘違いしてはいないだろうか。同じ日本国民だから主権国たる韓国の統治下で起きている事態も、日本国内で起きている事態と同様に扱われるべきだ、という考え方だ。
それは例えば水俣病患者がチッソを相手に訴えてチッソが賠償を行った「公害訴訟」を想起させる。韓国政府は徴用工訴訟の韓国裁判所の判決に日本政府は従うべきだ、と主張するのは韓国が主権国家たる存在であることを放棄している、という認識は皆無だと表明しているに等しい。
日韓間で1965年6月に正式な条約を締結して「日韓併合時代のすべての問題」は解決済みとされている。しかし、それ以降も日本政府は韓国から慰安婦問題で「謝罪せよ」と繰り返し迫られ、村山談話や河野会見で「謝罪」を繰り返してきた。
しかしこのブログで何度も書いてきたが慰安婦は職業売春婦であり、当時の日本は売春を禁じていなかった。だから「職業」として従事していた売春婦が「性奴隷」として国際社会に提訴することも日本にとって不当だし、ましてや「謝罪要求」されるいわれもない。
だが、当時の村山首相は談話を発表して韓国側の要求を呑んだ形で「謝罪」した。これが事態を悪化させた。日本は韓国が要求すれば何でも受け入れる、と勘違いさせた。
そこからは理不尽な「捏造」の連続だ。いつの間にか「韓国女性慰安婦」が20万人になり、様々な「日本による韓女性の拉致・連行」が捏造された。そうした「捏造」は韓国で行われたことであり、日本の国家主権が及ぶ事柄ではないが、日本政府はそれぞれに速やかな事実確認と抗議を行うべきだった。
しかし、そうしたことを怠って安倍氏は「最終合意」なる日韓間の「約束」と、日韓双方の民間団体という形をとって韓国の民間団体へ賠償金10億円を提供した。これがさらに韓国内の「民間団体」を増長させて「徴用工訴訟」にまで到った。韓国を甘やかしてきた結果が今日の日韓関係だ。
河野外相が取った態度は「最終合意」を出さないで、最初から安倍氏が取るべきだった。韓国名入り反日・民間団体に恐れをなして、安倍氏は「最終合意」なる姑息な妥協案に乗るべきではなかった。
韓国が独立国家なら日本との国家間の条約をまずは遵守しなければならない。同時に韓国民にも国際条約で「解決」したことだと説明する責任は韓国政府にある。
韓国には法理を無視して事態を悪化させる伝統でもあるのかと疑いたくなる。南北統一に関してもそうだ。ただ南北交流を行い、南北統一チームを結成すれば南北統一が近づくかのような幻想に陥っている、としか思えない。なぜ冷静な「南北統一」工程表を策定し、政治体制をどうするのか、経済体制をどうするのか、国家統治形態をどうするのか、といったコマゴマとした具体的な話し合いと取り決めを順次行わなければならないが、そうした具体的な話し合いは一切行われていないようだ。ただ「雰囲気」で南北統一を醸成しているだけのようだ。それでは、いつまでたっても南北統一は近づいてこない。
日韓関係が今日ほど悪化したことは歴史的にない。その原因は韓国の反日政策にあるのは明らかだ。繰り返される「謝罪要求」と、その先にある「賠償要求」の連続に、日本国民の多くはウンザリして、疲れ切っている。韓国とかかわりになるのはゴメンだ、という雰囲気が日本国民に蔓延している。この後遺症は末永く残るだろう。しかし、その責任は韓国にある。
康氏は会談で、日韓請求権協定に基づく仲裁委員会の開催を受け入れず、歩み寄りを見せなかったにも関わらず「韓日関係全般に否定的影響を及ぼさぬよう、両国外交当局が賢明に解決していく必要がある」と述べた。「慎重な言動の重要性」も日本に求めた。
「慎重な言動」とは、河野氏が21日、最高裁判決について「文在寅(ムン・ジェイン)大統領が責任を持って対応してほしい」と発言したことへの批判だ。河野発言の背景には徴用工問題への対応を文氏から任された李洛淵(イ・ナギョン)首相が「限界がある」とサジを投げたことがある。首相が義務を放棄した以上、大統領が日本との約束事を守り対処するほかない。
会談に先立ち、韓国外務省報道官は「韓国外務省としては日本企業が最高裁判決を履行する場合、何の問題もないとみる」と述べた。日韓間の財産・請求権問題の完全かつ最終的な解決を定めた日韓請求権協定を、韓国外交当局が、日本企業に賠償を促すかたちで完全に無視している。会談冒頭、河野氏が「事の重大性を理解していない大変な発言だ」と批判したのは当然のことだ。
しかし、韓国では各メディアが河野氏の発言を「外交的欠礼」と批判している。康氏の日本への「慎重な言動」の要求も同一線上にあり、韓国側による請求権協定への違反や日韓関係の法的基盤を一方的に毀損(きそん)しているとの自覚はないようだ。康氏は外相会談で責任を日本側に押しつけ、今回も責任を日本側に押しつける形となった>(以上「産経新聞」より引用)
韓国政府は未だに日韓併合が続いていると勘違いしてはいないだろうか。同じ日本国民だから主権国たる韓国の統治下で起きている事態も、日本国内で起きている事態と同様に扱われるべきだ、という考え方だ。
それは例えば水俣病患者がチッソを相手に訴えてチッソが賠償を行った「公害訴訟」を想起させる。韓国政府は徴用工訴訟の韓国裁判所の判決に日本政府は従うべきだ、と主張するのは韓国が主権国家たる存在であることを放棄している、という認識は皆無だと表明しているに等しい。
日韓間で1965年6月に正式な条約を締結して「日韓併合時代のすべての問題」は解決済みとされている。しかし、それ以降も日本政府は韓国から慰安婦問題で「謝罪せよ」と繰り返し迫られ、村山談話や河野会見で「謝罪」を繰り返してきた。
しかしこのブログで何度も書いてきたが慰安婦は職業売春婦であり、当時の日本は売春を禁じていなかった。だから「職業」として従事していた売春婦が「性奴隷」として国際社会に提訴することも日本にとって不当だし、ましてや「謝罪要求」されるいわれもない。
だが、当時の村山首相は談話を発表して韓国側の要求を呑んだ形で「謝罪」した。これが事態を悪化させた。日本は韓国が要求すれば何でも受け入れる、と勘違いさせた。
そこからは理不尽な「捏造」の連続だ。いつの間にか「韓国女性慰安婦」が20万人になり、様々な「日本による韓女性の拉致・連行」が捏造された。そうした「捏造」は韓国で行われたことであり、日本の国家主権が及ぶ事柄ではないが、日本政府はそれぞれに速やかな事実確認と抗議を行うべきだった。
しかし、そうしたことを怠って安倍氏は「最終合意」なる日韓間の「約束」と、日韓双方の民間団体という形をとって韓国の民間団体へ賠償金10億円を提供した。これがさらに韓国内の「民間団体」を増長させて「徴用工訴訟」にまで到った。韓国を甘やかしてきた結果が今日の日韓関係だ。
河野外相が取った態度は「最終合意」を出さないで、最初から安倍氏が取るべきだった。韓国名入り反日・民間団体に恐れをなして、安倍氏は「最終合意」なる姑息な妥協案に乗るべきではなかった。
韓国が独立国家なら日本との国家間の条約をまずは遵守しなければならない。同時に韓国民にも国際条約で「解決」したことだと説明する責任は韓国政府にある。
韓国には法理を無視して事態を悪化させる伝統でもあるのかと疑いたくなる。南北統一に関してもそうだ。ただ南北交流を行い、南北統一チームを結成すれば南北統一が近づくかのような幻想に陥っている、としか思えない。なぜ冷静な「南北統一」工程表を策定し、政治体制をどうするのか、経済体制をどうするのか、国家統治形態をどうするのか、といったコマゴマとした具体的な話し合いと取り決めを順次行わなければならないが、そうした具体的な話し合いは一切行われていないようだ。ただ「雰囲気」で南北統一を醸成しているだけのようだ。それでは、いつまでたっても南北統一は近づいてこない。
日韓関係が今日ほど悪化したことは歴史的にない。その原因は韓国の反日政策にあるのは明らかだ。繰り返される「謝罪要求」と、その先にある「賠償要求」の連続に、日本国民の多くはウンザリして、疲れ切っている。韓国とかかわりになるのはゴメンだ、という雰囲気が日本国民に蔓延している。この後遺症は末永く残るだろう。しかし、その責任は韓国にある。