天皇陛下としての最後の誕生日の御会見。

【天皇陛下】この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
 第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
 しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。
 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。
 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。
 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。
 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
 今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています>(以上「朝日新聞」より引用)


 本日は翌年春に天皇陛下が譲位なさるために、今年が最後の天皇陛下としての誕生日だ。偶然にも天皇陛下と同じ日に誕生した私にとっても、今年は天皇陛下と同じ日の誕生日を迎える最後の日となった。
 上記記事の天皇陛下の「会見全文」を拝読するとき、天皇陛下がいかに国民と共にあられるかが解かり深く心を打たれる。悠久の歴史を刻む民族国家としての日本の国柄に世界に冠たるものがあるのもひとえに天皇陛下の存在による。

 天皇皇后両陛下が先の大戦の激戦の地を訪れられ、多くの命を失った人たちへの慰霊の旅を続けて来られたことも深く心に残る。もとより日本を度々襲った災害により被災した人たちを労わり、復興への励ましのご訪問も同じ日本国民として、どれほど勇気づけられたことだろうか。
 武人たちが武力により天下を切り従えた時代であっても、その時々の権力者たちも天皇を崇拝してきた。決して自らが皇帝になろうとして、天皇家を絶滅させようとはしなかった。それが日本の国柄を特徴づけている。

 天皇陛下は少年時代に終戦を迎えられ、戦後社会で成長されて国際社会へ復帰する日本の苦難の歴史とともに歩まれて来た。政治的発言を極端に控えられるお立場から、安倍自公政権に関して一切言及されないが、自らの立場と思いを「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」とのお言葉に凝縮して表明された。
 つまり自らの地位は日本国憲法により規定されたもので、いかにして憲法に規定された「象徴」としての天皇として勤めるべきかを模索された日々だったのではないかとご推察する。それは暗に「解釈改憲」に基づき憲法規定を蔑ろにして自衛隊を「専守防衛の武力組織」から「普通の軍隊」に変貌させようとしている安倍自公政権に対する批判ではないだろうか。

 即位の年にベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終息したことに言及されたのも世界平和を希求する強い意志の表れではないだろうか。日本は帝国主義と植民地主義の暗黒の人類史を終息させた「有色人種」の国だ。
 先の大戦は有史以来続いてきた「奴隷」人類史を終わらせるために日本が欧米列強に立ち向かった「奴隷解放戦争」だった。確かに戦争には敗れたが、それにより地球上から植民地は一掃され、欧米列強による「有色人種への奴隷」支配は1960年代までで終息した。日本国民は自虐史観の固い殻に閉じ籠るよりも、世界平和を希求する国民として、胸を張って軍産共同体が暗躍して民族を対立させ宗教対立を煽って紛争の種を撒き続ける現行世界の「支配体制」を終わらせなければならない。

 地球儀俯瞰外交などというチンケな政治姿勢ではなく、戦争なき人類世界の構築へ日本は貢献すべきだ。それが日本国民から政治権力を付託された政治家の使命だ。それと同時に平和を希求される天皇陛下の祈りでもある。
 平和とは戦争のない状態だけを指すのではない。すべての人類が人として人権を尊重され、人がすべての人の人権を尊重する世界のことだ。政治とは「経世済民」を旨とすべきだ。人類はいかなる独裁者も必要とはしない。

 キリストは豪邸に住まわれていたか。マホメッドは独裁政治権力の限りを尽くしていたか。仏陀は暖衣飽食を望まれていたか。なぜ彼らの教えを現代に告げる者たちは開祖たちと異なる暮らしをしているのか。
 宗教は決して人類を救済しない。千年以上も続く宗教間対立がそれを如実に表している。人類を救済するのは人類だけだ。世界平和は全人類が心から希求しなければ決して実現できない。前人類が強い医師で世界兵をを希求しない限り、酒池肉林を望む一握りの亡者たちにより紛争の種は蒔き散らかされ、人類は永遠に「戦乱の暗黒人類史」から解脱できないだろう。そうしたことを前段で暗に天皇陛下は発言されている。

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