国公立の授業料の高さに比して、あまりに貧弱な「給付」型奨学金の額。

<住民税非課税世帯や児童養護施設から進学した大学生らが対象の、返済不要の給付型奨学金の制度導入が決まった19日、学生らからは「大きな一歩」などと前向きな声が上がる一方、今後の拡充を求める意見も相次いだ。
 
 親元を離れ、東京都内の私立大に通う1年の男子学生(20)は「革新的。いい取り組みだと思う」と喜ぶ。入学後は大学独自の給付型奨学金と日本学生支援機構の貸与型奨学金を受けながら通学。子どもが無料で通える学習塾でも教えている。

 新たな給付型奨学金は高校推薦が要件になり、成績などの基準については今後、文部科学省や同機構が指針を策定する。この学生は「低所得世帯の子どもは塾に通えず、成績を重視されると不利。成績を基準とするなら、行政が無料の学習塾を用意するなどの措置も必要だ」と話す。

 経済的に恵まれない家庭の子どもへの学習支援などを行うNPO法人「キッズドア」(東京)の渡辺由美子理事長は「新たな制度ができたことは非常に大きな一歩」と評価。一方で、「この給付額では、低所得世帯の子どもがぐっと大学に進学しやすくなったとは言えない。これをスタートラインにして、金額や対象者をもっと拡充してほしい」と話した>(以上「時事通信」より引用)

 昭和22年生まれの私が通った国立大学の授業料は年額1万2千円だった。当時田舎のアパートの家賃が月額4千円だったから、授業料はアパート代の1/4だったことになる。
 私は二種類の奨学金を戴き、家庭教師などのアルバイトをして家から送金なしで大学を卒業した。私が特別貧困家庭の子弟だったということではなく、当時の大学生は大体そんなものだった。

 卒業後は奨学金の返済に随分と苦しい思いをした記憶があるが、現在の国公立の授業料の異常な高さには驚く。現在で年間535,800円で、入学金が282,000円等々が必要だから、一年次には約817,800万円も要ることになる。余りに高額ではないだろうか。
 そもそも国公立大学は「事業経営」ではなく、国家や地域の人材を育成する役割がある。日本は資源小国で、人材こそが大切な「資源」だ。その「資源」を涵養するために国公立大学は貧困家庭の子弟でも進学できるようにしておくべきではないだろうか。

 授業料免除などの制度がある、というのは官僚答弁のようなもので、その措置を受けるには極めて狭い難関をくぐらなければならない。政府が来年から給付型奨学金を支給する制度を設けたのは評価するが、その支給要綱と金額には大いに不満だ。
 住民税が非課税の子弟が月額2万円ないし4万円というのは余りに少数に少額な支給を行うだけで、給付型奨学金制度を設置していると官僚答弁をするためのアリバイ作りのように思える。人材育成という未来への投資にこれほど少額で、政治家諸氏は恥ずかしくないのだろうか。

 住民税を支払っているサラリーマン家庭でも貧困に喘いでいる家庭は幾らでもいる。十年も前、私が子供たちを大学へ進学させた当時ですら、国公立大学の授業料は年間40万円を超えていた。家庭生活を切り詰めて、やっとの思いで子供たちを卒業させた。
 孫たちの世代が進学するころにはどうなっているのだろうか、と暗澹たる思いになる。日本は未来への投資を忘れたのではないだろうか。国公立大学は「独立行政法人」へと改変され、学びの府から経営の府へと変貌している。「教授バカ」という麗しき伝説の教官たちがいなくなり、経営理念を備えた教官たちばかりになって、果たして良いものだろうかと疑問を抱く。

 能力ある者は経済的な理由で断念することなく、大学へ進学する道がすべての国民に開かれていなければならない。未来への投資を怠った国に、明るい未来が来ないことを、政治家諸氏は肝に銘じておくべきだ。


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