ロシアの国内政治事情を大会に色濃く反映したソチ五輪。
なぜアメリカ大統領をはじめ、何人かの西側首相がソチ五輪の開会式を欠席したか、その理由を御存知だろうか。それはソチのあるチェチェンがイスラム教を信仰するチェチェン人の多く暮らす地域だったからだ。
元々旧ソ連の一連邦国だったチェチェン地方は旧ソ連の崩壊時に独立を宣言した。しかしその地域から原油が採掘されていたことからロシアはチェチェンの独立を認めないでロシアに併合してしまい、激しい独立運動をロシアの圧倒的な軍事力で独立運動を蹴散らしてしまった。
そうした歴史を持つ地域にロシアが冬季オリンピックを招致してロシアの支配下にあることをチェチェンの人々に刷り込もうとした。オリンピックが平和の祭典ではなく異民族支配の道具に使われた。
それに反発してオバマ氏たちは開会式に欠席したのだ。しかし安倍首相は「北方四島」の件をプーチン氏と話すとして国会日程などを強硬に調整して、専用機で駆けつけた。日本は「民族自決」を認めない、強者の論理を受け容れたと世界の人たちから思われても仕方ない行動を取ってしまった。
オリンピックが平和の祭典だと思って浮かれている人たちはローマ市民統治の手法を思い返すが良い。ローマ皇帝はローマ市民にパンと娯楽を与えて政治に無関心になるように仕向けた。
それを可能にしたのはほぼ地中海沿岸をぐるりと軍事侵攻して版図とし、それらの植民地からの収奪物資によってローマの消費社会を支えていたからだ。しかし、そうした富の偏在は長くは続かない。社会的な矛盾は社会を崩壊させる萌芽となる。
商業主義を散々指摘されているオリンピックはソチに限ってはロシア国内統治の政治利用の道具とされた。なぜソチ開催をオリンピック開催地決定委員会は認めたのだろうか。
東京オリンピック招致決定に到る膨大な資金を投じたプレゼンテーションや決定会議周辺で展開されたお祭り騒ぎなどを見れば、もはやオリンピックが「平和」の祭典ではなく、特殊な会計決定権を持つ一握りの人たちの既得権益に過ぎないようだ。
東京が2020年オリンピック開催があるから、それまでに災害に強い都市になるのだとしたら本末転倒だ。オリンピック開催なぞと関係なく、東京都民と日本のために日本の首都は安全で快適でなければならない。
日本橋の上をコンクリートの醜悪な高速道路が覆いかぶさっている図は快適だろうか。それは1964年の東京オリンピックに間に合わせようとしてヤッツケ仕事で建造したものだ。長く日本の首都のインフラとして世界に誇れる施設ではない。
たとえばパリには一世紀以上も前のパリ万博のランドマークとして建てられたエッフェル塔が今もパリの景色を損なわない風格を持って立っている。首都高は東京のインフラとして世界に誇れるものだろうか。むしろ江戸市民が愛した水の都・東京の風景の方が世界に誇れるものであったはずではないだろうか。
時代と共に進化すると考えるのは早計だ。より功利的になり、より狡猾に動く人たちが時代を支配するだけだ。しかし、その業績の多くは歴史の評価に耐えられないもので、時代と共に消えていくものでしかない。
ロシア当局はソチオリンピックによりチェチェン支配のエポックを築いたと思っているかもしれない。しかしそれは民族自決を甘く見過ぎている。ソ連はカビス海沿岸の原油を確保するために一体何年間チェチェン人を軍事的に抑えつけていただろうか。だが、それによりロシアとチェチェン人が一体化することはなかったと、チェチェン紛争で明確になっている。
安倍氏は日本の「北方四島」のためにロシアによるチェチェン支配に手を貸したと謗られても仕方ないだろう。確かに北方四島返還のために努力する姿勢は否定しないが、他のやり方はないだろうか。
なぜ日本政府は近隣諸国による日本の領土侵犯や不法占拠を国際社会に訴え、宣伝活動を大々的に行わないのだろうか。事あるごとにロシアによる60万人シベリア抑留や北方四島占拠を国際世論に訴えないのだろうか。
なぜ米国による東京大空襲や全国各都市を終戦直前まで焼夷弾で市民もろとも焼き払った悪逆非道さを訴えないのだろうか。なぜ原爆記念碑の一人称的な「繰り返しません」という自虐的な文言を改めようとしないのだろうか。
日本だけが非常識の中にあってはならない。戦争は外交的な最終手段として国際的に認められている。世界各国はそうして観念で他国を侵害し脅し唆す。外交とはそういうものだ。
安倍首相がソチへ飛んで行ったのは間違いだった。オバマ氏たちと同様にオリンピックの政治利用を批判すべきだった。北方四島返還がプーチン氏におべっかを使って戻るようなことはない。まずはロシア国民に「自分たちは恥ずかしいことをしている」と悟らせなければならない。そのためには日本の主張を世界へ向けて発信し続けることだ。
元々旧ソ連の一連邦国だったチェチェン地方は旧ソ連の崩壊時に独立を宣言した。しかしその地域から原油が採掘されていたことからロシアはチェチェンの独立を認めないでロシアに併合してしまい、激しい独立運動をロシアの圧倒的な軍事力で独立運動を蹴散らしてしまった。
そうした歴史を持つ地域にロシアが冬季オリンピックを招致してロシアの支配下にあることをチェチェンの人々に刷り込もうとした。オリンピックが平和の祭典ではなく異民族支配の道具に使われた。
それに反発してオバマ氏たちは開会式に欠席したのだ。しかし安倍首相は「北方四島」の件をプーチン氏と話すとして国会日程などを強硬に調整して、専用機で駆けつけた。日本は「民族自決」を認めない、強者の論理を受け容れたと世界の人たちから思われても仕方ない行動を取ってしまった。
オリンピックが平和の祭典だと思って浮かれている人たちはローマ市民統治の手法を思い返すが良い。ローマ皇帝はローマ市民にパンと娯楽を与えて政治に無関心になるように仕向けた。
それを可能にしたのはほぼ地中海沿岸をぐるりと軍事侵攻して版図とし、それらの植民地からの収奪物資によってローマの消費社会を支えていたからだ。しかし、そうした富の偏在は長くは続かない。社会的な矛盾は社会を崩壊させる萌芽となる。
商業主義を散々指摘されているオリンピックはソチに限ってはロシア国内統治の政治利用の道具とされた。なぜソチ開催をオリンピック開催地決定委員会は認めたのだろうか。
東京オリンピック招致決定に到る膨大な資金を投じたプレゼンテーションや決定会議周辺で展開されたお祭り騒ぎなどを見れば、もはやオリンピックが「平和」の祭典ではなく、特殊な会計決定権を持つ一握りの人たちの既得権益に過ぎないようだ。
東京が2020年オリンピック開催があるから、それまでに災害に強い都市になるのだとしたら本末転倒だ。オリンピック開催なぞと関係なく、東京都民と日本のために日本の首都は安全で快適でなければならない。
日本橋の上をコンクリートの醜悪な高速道路が覆いかぶさっている図は快適だろうか。それは1964年の東京オリンピックに間に合わせようとしてヤッツケ仕事で建造したものだ。長く日本の首都のインフラとして世界に誇れる施設ではない。
たとえばパリには一世紀以上も前のパリ万博のランドマークとして建てられたエッフェル塔が今もパリの景色を損なわない風格を持って立っている。首都高は東京のインフラとして世界に誇れるものだろうか。むしろ江戸市民が愛した水の都・東京の風景の方が世界に誇れるものであったはずではないだろうか。
時代と共に進化すると考えるのは早計だ。より功利的になり、より狡猾に動く人たちが時代を支配するだけだ。しかし、その業績の多くは歴史の評価に耐えられないもので、時代と共に消えていくものでしかない。
ロシア当局はソチオリンピックによりチェチェン支配のエポックを築いたと思っているかもしれない。しかしそれは民族自決を甘く見過ぎている。ソ連はカビス海沿岸の原油を確保するために一体何年間チェチェン人を軍事的に抑えつけていただろうか。だが、それによりロシアとチェチェン人が一体化することはなかったと、チェチェン紛争で明確になっている。
安倍氏は日本の「北方四島」のためにロシアによるチェチェン支配に手を貸したと謗られても仕方ないだろう。確かに北方四島返還のために努力する姿勢は否定しないが、他のやり方はないだろうか。
なぜ日本政府は近隣諸国による日本の領土侵犯や不法占拠を国際社会に訴え、宣伝活動を大々的に行わないのだろうか。事あるごとにロシアによる60万人シベリア抑留や北方四島占拠を国際世論に訴えないのだろうか。
なぜ米国による東京大空襲や全国各都市を終戦直前まで焼夷弾で市民もろとも焼き払った悪逆非道さを訴えないのだろうか。なぜ原爆記念碑の一人称的な「繰り返しません」という自虐的な文言を改めようとしないのだろうか。
日本だけが非常識の中にあってはならない。戦争は外交的な最終手段として国際的に認められている。世界各国はそうして観念で他国を侵害し脅し唆す。外交とはそういうものだ。
安倍首相がソチへ飛んで行ったのは間違いだった。オバマ氏たちと同様にオリンピックの政治利用を批判すべきだった。北方四島返還がプーチン氏におべっかを使って戻るようなことはない。まずはロシア国民に「自分たちは恥ずかしいことをしている」と悟らせなければならない。そのためには日本の主張を世界へ向けて発信し続けることだ。