「反日」的な日本国民に対して国家反逆罪などの創設を。
国家と国民が明確な史料と史実に基づいて「竹島」は日本の領土だという立場に立っているさなか、韓国の捏造した主張に迎合する日本国民三名が「竹島は韓国のものだ」と韓国民と共に竹島に上陸して叫んだという。
もちろん、日本は学問の自由や表現の自由が保障されている。領土の帰属をめぐる研究の自由もあるが、しかしそれらは日本国憲法そのものを否定するものであってはならず、日本国憲法の及ぶ版図を否定する他国と共に日本の国家と国民に反対する主張をする自由までも保障されているものではない。
たとえば小説やドラマで殺人犯の心情を表現するのは自由だ。それによって殺人犯に同情する者が現われても公序良俗に反するものではない。しかし、だからといって実際に犯罪を犯せば日本国の法により罰を受けるのは当然のことだ。
領土の帰属をめぐって異説を唱えるのは自由だ。しかし日本の領土を不法にも一方的な言い分により占拠している他国へ行って、日本の国家としての主張と異なる他国へ領土が帰属すると他国民と共に主張するのなら日本国民であることをやめるべきだ。
思想・信条の自由とは国家と対峙するほど重いものだ。しかしその自由を行使しようとするときには相当の覚悟を必要とし、国家による何らかの処罰を受けるのは当たり前のことだ。
日本は他国民により国土を直接侵略された経験を持たない人たちがほとんどだ。かろうじて先の大戦直後の数年間、GHQにより他国民による支配を受けた。しかしわずか数年の支配と隷属による関係で日本国民はすっかり戦前と様相を異にしてしまった。独立国家の国民としての矜持までも失ったかのようだ。
戦後の日本は愚かな首相までも輩出して「謝罪」などという欧米諸国にとって非常識極まる国家的犯罪をしでかし、官房長官は「反日的談話」まで発表する国に堕してしまった。日本は文化人とは「反日的」な人たちだという風潮まで一時期は蔓延していたものだ。それもGHQの占領政策が徹底していたからだ。
その残滓が日本国憲法に残っている。国家反逆罪を定めていない憲法は世界でも類例を見ない。恰も日本は国家として体をなさないように仕組まれた憲法を頂戴しているかのようだ。
世界に唯一の「平和憲法」と自認している第九条が、世界で模倣する国はついに現れず世界で唯一の「戦争放棄」規定を持つ憲法として今日に到っている。それは平和憲法というよりも国家の当然の権利というべき「交戦権」を著しく制限しているからだ。
国家として存立する基盤である国土を侵略された場合にはどの国でも当然の権利として「交戦権」を定めている。そのための軍隊を保持すべきと憲法に定めるのも世界の常識だ。つまり日本国憲法が非常識だから世界のどの国も日本国憲法を真似ようとはしないのだ。それを「平和憲法」だと有難がっている日本国民は国家的な危機に対して能天気に過ぎる。
わざわざ他国へ行って「竹島は韓国のものだ」と叫ぶ日本国民は既に日本国民として国土を棄損する意思を持っていると認識しなければならない。彼らの誤りを処罰する法規定を日本も国家として整備しなければならないだろう。