原子力専門家たちの呆れた弛緩ぶり。
日本原子力研究開発機構は25日に本機構傘下J-PARCにある原子核素粒子実験施設で放射性物質が漏れる事故があったと発表した。事故が起こったのは23日で男性六人の研究者が最大で1.7ミリシーベルト被爆したという。
もちろん被爆したこと自体も問題だが、直ちに報告することなく3時間も遅れ、しかもフィルターのない換気扇を稼働させて放射性物質を室外へ拡大飛散させたことだ。研究者といえども原子力行政に携わる者がこの体たらくで良いのだろうか。
原子力ムラの存在が問題視され、特定利権集団の構造的存在が牽制機構を持たず、危機感が希薄なまま放置されているのではないかと指摘されて来た。まさしくその一端を垣間見せる事態が発生したことは由々しきだ。
危機感なき原子力行政は直ちにすべてのオペレーションを停止すべきだ。極端に過ぎるかもしれないが、周辺住民のみならず国民に与える恐怖感は並大抵のものではない。福一原発事故は未だに構内の瓦礫処理すら手に付かず、ましてや原子炉に近づくことすら叶わないまま2年以上も経過している。
日本の科学技術の総力を結集して福一原発のダダ漏れ放射能を一日も早く封じなければならない。地下水が原子施設に流れ込んでいるのなら、なぜ地下ダムの建設を直ちに行わないのだろうか。日本の土木技術を結集すれば不可能ではないはずだ。
なぜ巨大な集塵機(掃除機)を造って、福一構内の飛散した瓦礫や放射性物質を収集しないのだろうか。なぜ東京ドームのようなものを建設してスッポリと福一原発そのものを覆わないのだろうか。なぜ送・排水管を蛇腹ビニールホースをいつまでも使って鉛管に置き換えないのだろうか。疑問は山ほどあり、遅々として進まない福一原発事故処理に苛立つばかりだ。
そこにもってきて今回の緊張感なき事故と、それに対する対応ぶりには原発行政に携わっている連中を総取り替えしなければダメではないかとさえ思えてくる。
そのくせ原発再稼働だと騒いでいる連中がいるとは驚きを通り越して怒りさえ覚える。たかが電気ではないか。電気のために国民の生命と財産を危機に晒す権利は誰にもない。原子力に携わる者全員に危険物質を扱っているという緊張感を常に堅持するように求める。