小沢氏のイメージはマスメディアが勝手に創り上げた創造物に過ぎない。
マスメディアの創り上げた小沢氏のイメージはネガティブなものばかりだ。しかし小沢氏の政治家としての軌跡と果たした役割を一つ一つ検証していくとそうした「悪辣なイメージ」とは程遠い哲人のような人物像が浮かび上がってくる。
私は小沢氏とは一面識もないし、小沢氏と何等の利害関係もない。だから冷静に小沢氏が果たした来た役割を客観的に眺めることが出来る。政治家たちにとっては仲間か敵かしかないし、仲間であっても俺より立場が上か下かで鎬を削ることになる。だから政治家による小沢氏評は好悪に限らず割り引かなければならない。
マスメディアの小沢氏評は彼らの利権を侵害するのかそれとも利権を擁護するのかによって大きく異なる。小沢氏は記者会見を最初にフリーランスにも解放した政治家だ。全国紙マスメディアにとってこれほどの脅威はないだろう。
国民が受け取る各人物のイメージの大部分はマスメディアによって決まる。マスメディアがどのようにその人物を報じるかによって国民はそうした人物なのだろうと想像し固定観念として頭脳の引き出しに仕舞い込む。一度仕舞い込まれたイメージの訂正はなかなか困難だ。
嘉田知事の姉が「小沢氏に利用されないように」と嘉田知事に注意したという。妹を馬鹿にしてはいけないし、姉が小沢氏の何を知っているというのだろうか。おそらく姉も小沢氏とは一面識もないだろうし、余計なお世話で妹に忠告した小沢氏評もマスメディアが「布教」した積年のイメージでしかないだろう。
橋下氏は週刊誌の一回の誹謗記事で「キャンキャン」と吠えまくった。しかし小沢氏は四年近い連日マスメディアが垂れ流す捏造誹謗記事の嵐に黙って耐え、完全無罪を勝ちとった。どちらが人物的に懐が大きいか歴然としている。
一般人なら橋下氏と同じ反応を示すしかないだろう。いわれなき人権侵害とプライバシー暴露攻撃には法的手段に訴える前に相手を同じように恫喝するしかない。しかし第三の権力といわれるマスメディアは彼が手にしている影響力の恐ろしさにいま少し謙虚でなければならないだろう。
無罪確定を受けてもマスメディアはまだ小沢氏に正式謝罪していない。彼らがせっせと創り上げた小沢氏のイメージを一掃する義務がマスメディアにはある。創り上げたイメージを使って小沢氏をさらに根拠なく攻撃するのは「中学生のイジメ」以上に陰湿で悪辣だ。品格あるマスメディアの出現は百年河清を待つのと同じことなのだろうか。