度を超えた「わるふざけ」は犯罪だ。
いじめが問題になっている。大津市の中学校で中学生がいじめにあっていて、それを苦にして自殺したというのだ。陰湿にして執拗ないじめは人を死に追いやる。しかし、それは「いじめ」と呼ばれるべきものなのだろうか。むしろ傷害罪を適用すべき犯罪ではないだろうか。
子供は残酷な側面を持っている。虫の手足をちぎって遊んだり、蛙を意味もなく地面に叩きつけて殺してみたりする。それを注意して「生物」の命の大切さを教えるのが大人の存在だ。
度を過ぎた「悪ふざけ」を注意するのも大人の責任だ。電車の中で携帯電話を大声で掛けている中・高生を注意するのは勇気がいるが、やはり大人たちは注意すべきだ。社会を構成している責任者たる大人がその役目を放棄すれば、社会は箍を失って締め付けが効かなくなる。締め付けが効かなくなれば「何をやっても良い」と勘違いした子供たちが暴走するのわ助長するだけだ。
度を過ぎた「悪ふざけ」は犯罪だと大人たちは教えなければならない。自殺の練習をしていた、というのなら度を過ぎた「悪ふざけ」で自殺幇助罪、もしくは傷害致死を適用すべきだ。本来なら少年たちの身近にいる大人たち・両親がイタズラとイジメと障害罪の境目を教えなければならなかった。難しいことではない、自分がされて嫌なことは、相手も望まないことだと教えれば良いだけだ。
そうした親子の関わりがなかったのが、そもそもの中学生を哀しい自殺へと追いやった元凶だ。その親がPTA会長であろうと医者であろうと関係ない、単に子育てに愚かな親だったということに過ぎない。
さらに中学の教師や校長たちは何をしていたのだろうか。近頃の教師や校長たちは昼休みの時間などに子供たちとドッジボールなどをして遊ばないのだろうか。
多忙を理由に挙げる教師がいるが、昔の教師と比べれば格段に楽になっているはずだ。第一教師一人当たり子供の数が格段に少なくなっている。第二にIT機器の利用による雑務の簡素化が上げられよう。それでも対応できなかったとしたら、それは教師や校長の個人的な能力の問題だ。それを適切に行政組織として人材配置できなかったとしたら教育委員会の問題だ。
社会が何もかも安易に容認するのは良くない。刺青は良くない、という観念が社会として薄れ、若者にとってファッションの一部になっているという。しかし刺青は刺青だ。かつて反社会的人間の識別符牒として犯罪者に彫り込んだものだ。決してボディーペインティングやシール貼り遊びではない。それを軽々に容認する社会は一体何だろうか、口煩い大人の存在が消えた社会は本当に住みやすくなったのだろうか。
度を過ぎた「悪ふざけ」は犯罪だ。若者に嫌われようと、大人たちは子供たちや若者に「度を過ぎた悪ふざけ」に注意しよう。それも一人だけが言うのではなく、大人たちがスクラムを組んで子どもたちや若者たちに社会のあり方を示すためにどしどし注意しよう。