官僚の数を減じたら行政の筋肉が落ちるとは、何の喩だろうか。
産経新聞の「正論」で大学教授が表題のような情緒的な論評を掲載している。その具体的な数値として外務官僚の数を上げて、諸外国とそれほど見劣りしない官僚数を掲載して墓穴を掘っている。
日本の外交力のなさは外務省のみならず官僚機構全体の責任だ。日本は長らく米国がくしゃみすれば風邪をひくといわれていた。つまり米国の振り付け通りに踊っていれば良い、という感覚が官僚たちの中に根強く残り、いまもってGHQ統制下の日本のような状況だ。
だから英国や仏国と比較して遜色ない外務官僚の数で、格段に落ちる外交力しか発揮していない。そうした事実をなぜ正論は指摘しないのだろうか。
その原因としてこの国に国家としての世界戦略のなさがまず挙げられなければならない。次に国家戦略に従ってどのような布石を打つべきか、すべての官僚が共通認識を持っていないことが挙げられるだろう。
たとえば鳩山氏の「最低でも県外」発言は決してく間違っていなかった。しかし防衛・外務官僚が既得権益勢力に慮って米国に「辺野古沖が必要だ」と発言するように働きかけ実際に発言させた。そのことはウィキリークスの米国外交文書暴露によって明らかになっている。
いわば首相の意向に反して、官僚たちは自分たちの都合で動いたのだ。こんなことが許されて良いわけはないが、日本の大手マスコミは未だに鳩山氏を「外交音痴のバカ」と評している。
官僚の数を減らすのは愚かだ、という正論の根拠は来年度新卒者採用数の半減を上げているようだ。それはそれで問題だろう。六十過ぎの高齢公務員の待遇が現行の年功序列をそのまま適用するのなら大きな問題だ。横柄なばかりで働かない高齢・高給公務員よりは新卒の公務員を雇用する方が良いに決まっている。が、問題はそれだけではない。
公務員がやっている仕事のほとんどは一般企業でいえば「一般管理部門」に該当するセクションに過ぎない。その「一般管理部門」がITの進化により民間企業では予算も人員も圧縮されている。その圧縮割合は民間企業の業態によっても異なるが、民間企業で長く働いていた人なら実感として感じているはずだ。
本来なら電算化により単純計算していた要員は大幅にカットされなければならなかったはずだし、ネット化により文書交通費も大幅にカットされていなければならないはずだ。そうしたITによって代替される性格の「一般管理部門」に相当する仕事ばかりの官僚・公務員の数が大幅に減少したとしても筋肉まで削ぎ落ちて、国家として体をなさなくなると危惧する必要はない。
むしろ中間に判断するセクションを多く設け過ぎて連絡・伝達が阻害されたのが今回の北朝鮮ミサイル発射情報の確認に手間取った原因の一つといえなくもない。情報は取得するセクションと判断するセクションの二つだけあれば良い。様々な機構の設置は緊急時には邪魔になるだけだ。
行政を地方分権化すれば国家公務員は激減するだろう。もちろん官僚も少数精鋭にならざるを得ないだろう。そうした近い将来を見据えた正論でなければならないのはいうまでもない。