小沢氏の心配よりも、自分たちの政党「たち日」の心配の方が先だろう。新党構想はついえたのか。
たちあがれ日本の園田氏が「小沢氏が無罪でも影響はない、過去の人だ」と論評していたようだが、過去の政党が何を言っているのだろうか。
それにつけても大善裁判官がいかに汚い人物か、今日の判決文を見て良く分かった。「無罪」を下すことで幕引きを図るが、検察の立場を擁護するために、元秘書の収支報告書への虚偽記載はあった、と認定し、4億円を小沢氏から借りて、それを隠そうとしたことも認定し、小沢氏と秘書が事前に話し合ったことも認定し、とどのつまりが収支報告書の作成に小沢氏が関与していないから、共謀罪は認められない、という言い回しをしている。
実に狡猾にして卑怯そのものだ。04年10月に小沢氏の個人資産を借りたとして何が問題なのだろうか。実際に虚偽記載するのに密約を結んで公にしなかったのではなく、当該土地の登記簿に仮登記しているではないか。これほど公明正大にして公的な足跡を残す「虚偽記載」があるだろうか。借受金は記載しなくて良いという収支報告書の記載要領に基づいて石川氏は処理しただけではないのか。
そして05年の1月に土地登記を行ったことにどれほどの犯罪があるというのだろうか。全く同じことを何度書けば良いのかと次第に怒りがこみ上げてくる。それほど執拗にテレビではトンチンカンな解説を繰り返して「小沢氏=悪人」を刷り込もうとしている。このしつっこさは何だろうか。
おまけに目立ちたがり屋の小泉の倅がしゃしゃり出て「政治的道義的に説明責任はある」と尤もらしいことを話すに到って、無罪判決が出た者に対する評論かと怒り心頭に達した。
疑わしきは罰せず、というのが刑事訴訟では大原則だ。それを無罪でも道義的な説明責任がある、とは何事だろうか。それが同じ政治家に対する発言だろうか。
この国の司法は地に落ちているし、大手マスコミは官僚の広報機関になり果てている。「期ズレ」よりも捜査事件報告書の虚偽記載の方が遥かに罪が大きいと思うが、検察批判は微塵もない。なんという見事な大手マスコミ自らの正体暴露だろうか。「我々は検察のイヌだ」と言っているようなものだ。