すべての人が得心する選挙制度などない。
大選挙区にすれば全国的に名の売れている人が圧倒的に有利になる。タレントやタレントまがいの評論家やマスメディアに多く露出している人が当選しやすくなるのはものの道理だ。かつて参議院選挙で大選挙区があった頃、NHKののど自慢番組を長年担当していたアナウンサーが断トツで当選したことがあった。それは人気投票であって、政治家による政策選択を競う選挙とは言い難いものでしかない。
その他にも中選挙区制度や小選挙区制度、及び比例代表制連用や数々の改良がなされて現状のものに落ち着いているが、このたび比例部分を80議席削減することから少数政党が反発している。曰く「少数意見の切り捨てだ」というものだ。
民主主義とはそもそも少数意見の切り捨てに他ならない。いや小選挙区や首長選挙では少数意見どころではない。一票でも回った者が当選者で下回った者が落選者として明暗を異にする。小選挙区では連用していればゾンビのように蘇れる可能性があるが、首長選挙では半数近く得票していようが落選者は一切政治に関与できない。
公明党や共産党は比例の議席削減は少数政党への配慮を欠くものだと非難しているが、選挙とはそういうものだと観念することが大事で、少数に甘えてはならない。
そもそも幅広く少数で全国に存在している一固まりの人たちの意見が多数意見を排除して主導権を握るようなシステムはこの世に存在しない。あるとすれば「捏造」による操作を弄するしかないだろう。それが民主主義の本筋に悖らないか、慎重な議論が必要だろう。それでも自分たちの意見を政治の場で実現したいのなら意見の近い政党と協議して「合併」するしかないだろう。
少数政党が政権獲得意欲もなく、少数政党の意見を声高に述べ続けることが果たして良いのだろうか。それなら政治評論家になるべきで、政権獲得の道筋すら示さない政党とは一体何だろうか。
良くない表現かもしれないが「一割政党」という言葉がある。この世には多数意見によって運営されているあらゆるものに対して何でも反対する人が「一割」程度はいる。だからすべてに反対する政党を作れば「一割」ほどの支持を集めて安定的に一定規模の政党を形成できる、というのだ。それが共産党だと断定はしないが、それに近いといわざるを得ない。
そうした「一割政党」とは一体何だろうか。民主主義の選挙制度に咲いたアダ花ではないだろうか。アダ花を咲かせ続け、さらにはそれを重く用いるために選挙制度をいじくって政局を不安定化するのは望ましくない。むしろ参議院の「無用論」を真剣に議論すべきではないだろうか。現行の参議院議員になんと多くの衆議院落選組がいることだろうか。そして「良識の府」であるべきが、全くの衆議院のカーボンコピーになり下がっている。参議院を廃止することで何か不都合があるだろうか、その理由が見当たらないような気がするが、国民的な議論を喚起して結論を出すべきであって、政治家による政治家へのお手盛りの結論であってはならない。
それにしても雪害に苦しむ雪国の人たちの労苦のニュースに続いて選挙制度を巡る議論を視ると「おいおい国民の痛みを何だと思っているのか。国会では自分たちだけの生き残りを考えて口角泡を飛ばしているのかよ」と慨嘆せずにはいられない。それでも、国会開会一日にして数億円の税金が経費に消えているのだ。