競うべきは表向きの政策ではなく、官僚に使われないかだ。
民主党に政権担当能力がない、と看破したのは福田政権との大連立を民主党代表として模索し党に持ち帰ったもののコテンパに否定された小沢氏の呟きだ。その際に小沢氏は「大連立により民主党国会議員が政権とはいかなるものか勉強するまたとない良い機会なのだが、」と40代にして大自民党の幹事長を務めた男の偽らざる思いだっただろう。
それから僅かに、三年後に小沢氏の慧眼が実証されることになった。民主党の目を覆うばかりの政権担当能力のなさには呆れ返って溜息すら漏れない。何よりも「ァッ」という間に官僚に完全洗脳される閣僚たちには驚きを通り越して言葉も出ない。菅政権で閣僚だった者の一人として政治主導を実践した者はいなかった。その中から代表候補者が出たとして、どれほど期待しろというのだろうか。
しかし、小沢氏は海江田氏を担ぐことにした。願わくば海江田氏が代表となり首相となって菅氏のように思い上がらないことだ。海江田氏本人にはいかほども政治家としての天分もなく、官僚を主導できる経験もないという自覚を堅持することだ。そうした政治家として不完全さを補完する人物として小沢氏の存在を常に忘れないことだ。それさえ出来れば「国民の生活が一番」の2009マニフェストに回帰できるだろう。そして一日も早く小沢氏の「党員資格停止」を解き、災害復興とこの国の立て直しに小沢氏の叡智を借りることだ。