どんな手法を使おうと朝鮮学校への「無償化適用」はありえない。
文科省は何を考えているのだろうか。高等学校無償化は高校までほとんどの国民の子弟が進学する現状から無償化へと踏み切ったものだが、それには文科省の定める高等学校教育課程に沿った教育を実施しているのが最低条件であるべきだ。
日本の高等学校教育の精神を踏襲していない朝鮮学校に対して無償化を適用するのは適切な措置とはいえない。第一、民主主義と基本的人権を教えるべき教育で「キム独裁政権」を称賛する教育をするのは日本の国益と相容れないものだ。
こうしたことが罷り通れば日本国内にあらゆる専門学校は無償化の適用を受けることになるだろう。なぜなら高等学校の学齢に達した子弟を集めて週に何時間か決められた「教育」を施しさえすれば、教育の中身が何であろうと適用されるということだ。
たとえば特定の宗教団体が何人かの高等学校進学の学齢に達した子弟を集めて「教祖にすべての人格を帰依すべき」とする教育を施しても、文科省は指導できないことになる。
まずは日本国民並びに日本に暮らす若者として相応しい健全な学識と心身を備えた男女を育成するために高等学校教育はあるべきではなかったのか。日本に暮らす青少年に文科省が施すべき教育とはそうしたものであるべきで、外国人がその国の方針に沿った独自の教育をその国に国籍を置く青少年に教育を施す自由も認めるべきだが、それは日本の文科省の管轄外のことだ。だから朝鮮学校が北朝鮮の国情に沿った教育を北朝鮮籍の子弟に施す自由も認めるが、それはあくまでも日本政府の埒外で関与すべきことではない。
菅政権は飛んでもないことをやろうとしている。日本の主権の及ぶ日本国内で北朝鮮の現政権を賛美する教育を施す施設にも無償化を適用するとは、日本国家としてその教育内容を是認したことになる。形式として文科省が朝鮮学校の教育内容を認めて補助金を支払うことになるのは明白で、北朝鮮の現政権を是認したことになる。拉致被害という深刻な人権問題の解決に向けてまず最低限の「拉致被害者の速やかな開放」すらしようとしない現北朝鮮の教育方針を日本国内で実施している朝鮮学校を無償化の対象に含めることには反対せざるを得ない。