いよいよ橋下氏がマスメディアに使い捨てられる時が来たようだ。
この国は政治家に聖人君子のような人物を求めているようだ。たとえ政策的に無能でも男女関係に潔癖で、金銭関係でもカネに触れたこともないような、社会的には殆ど役立たずな人物が政治家としてお望みのようだ。 橋下氏が平成18年当時、飲食店従業員の若い女性と不適切な関係にあったとマスメディアによって暴露された。しかし、それがなんだというのだろうか。 私はパフォーマンス最優先の浅薄な言動が過ぎる橋下氏は好きでない。しかし彼が掲げる中二階の都道府県は必要ない、という道州制や大胆な地方分権などの政策には共鳴する部分が多々ある。 政治家は政策と実行力によって評価されるべきだ。クリーンで人当たりは良いが政策的に無能な人物は選挙に当選するだろうが政治家としては失格だ。アクが強いし何かと女性関係も噂されるが政策がしっかりしてしい、国民のために死力を尽くして働く政治家は支援すべきと考える。個人的な属性にこの国のマスメディアは囚われ過ぎていはしないだろうか。「美人過ぎる市議」などがその最たるものだ。見て鑑賞するには良いかもしれないが、美人か否かは政治家として云々とは全く無関係だ。 橋下氏の組合攻撃はそれなりに拍手喝采を浴びているが、相手の人権や立場の配慮を欠く暴力に過ぎない。大阪都構想は言葉として目新しいが、内容的には「行政特区」を設けることに過ぎない。それにより中二階を廃して行政経費の無駄を省き行政効率を上げる議論は橋下氏が言い始めたことではなく、これまで何人もの論客が提言して来たことだ。ただ言葉が目新しかっただけに過ぎない。 従って、橋下氏が「第三極」として政界を再編する核になれるのか、との問いには否定的にならざるを得ない。政治はパフォーマンスではなく継続だ。理念が定着するまで継続しなければ意味がない。橋下氏が女性関係のスキャンダルで政治家の鼎の軽重が問われるべきではなく、政策の実効性と成果を以て問われるべきだ。