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時代小説…「冬の風鈴」その2

 いかにも薄気味悪そうに、嘉平は声を落として聞いた。 「年の頃は見ての通り三十手前、泥捏左官職をしていて、この年末は方々の蔵塗りに忙しかったようで。泥捏三年といいますが、五平はちょいと頭は薄いが良い腕をしているとかで、本所深川の左官職の親方からちょくちょく声が掛かっていると聞いてます。いまだに独り暮らしをしているが岡場所にこれといった馴染みの女もなく、近所の居酒屋お多福で呑むのがせめてもの慰みだとか」  万年町の書役が淀みなく答え、嘉平は一々頷いた。 「お多福ってぇと、殺された連中が行ってた店だな」  そう言って言葉を切り、しばらく嘉平は腕組みをして考え込んだ。が、顔を上げると、 「おいらはちいっとばかり風邪っ気だ。あとのことは任せたぜ」  と、あっさりとこの一件の下駄を佐吉に預けてしまった。 「へい」と応えて、佐吉は頭を下げた。  正月が明けて七草粥も済み、細工職はここしばらくは忙しくない。二、三日暇をくれと言えば、下っ引の真似事をするのかと少しぐらい嫌な顔をされるだろうが、結局は親方は許してくれるだろう。  佐吉がそう思うのには理由があった。細工職は御禁制の金や銀のみならず、場合によっては抜荷としか思えない瑠璃や珊瑚の細工まで頼まれる。所持しているのが露見すれば重罪だが、四角四面なことを言っていては仕事にならない。それかといって御上の手を煩わせるのだけは何としても避けたい。そのためには普段から岡っ引には逆らわない方が得策だと心得て、嘉平が佐吉を勝手に御用に引っ張り出して使っても黙っていた。  嘉平親分は押し出しと灰汁の強さで岡っ引として世間を渡っているように振舞っているが、実のところ知恵と度胸はからっきし見かけ倒しだ。混み入ったことを考えるとこめかみが痛くなるのが嘉平の常だった。おそらく、これから黒江町の家へ帰り酒でも呑んで体を温めてから、宵の口に山本町は油堀河岸の岡場所へ敷け込むのだろう。  嘉平に対して不満を挙げれば切りがない。が、ここで愚痴をこぼしてもはじまらない。「これを」と差し出してくれた小粒を受け取って、佐吉は昼前の自身番を後にした。  自身番を出ると、まずは今川町河岸に立つ夜鷹を当たることにした。  去年から今年にかけて仲間が三人も惨殺されている。何かを知っているに違いない、と見当を付けた。だが、三町ばかり仙台堀の河岸道を下って立ち止まった。夜鷹が

時代小説…「冬の風鈴」その3

 陸前屋を後にすると、佐吉は黒江町へと向かった。  聞き込んだ限りでは作次と安蔵殺しの下手人は怪の物だ。行く方知れずの猪吉もおそらく生きちゃいまいが、それも怪の物の仕業に違いない。夜の帳が下りるのを待って確かめるしかないが、そのことをひとまず嘉平親分の耳に入れておくのも下っ引の仕事というものだ。しかし、さしあたって急ぎの捕物もなく仙台堀を張り込む必要もない。折り良く道の途中だからと、佐吉は親方の許へ顔だけでも出してご機嫌を伺っておこうと足を向けた。  北川町の細工場に顔を出すと、神棚を背にした平治が口を尖らせて細工台に顔を寄せて槌を振っていた。廊下からその様を見て急に気が重くなった。奥の庭に面した細工場には蔀窓から冬の日差しが差込み、親方も含めて三人の男たちが黙々と細工に打ち込んでいた。  ためらった佐吉の気配に、平治はつと顔を上げた。見たこともない怒りの表情だった。「何処をほっつき歩いてる」との目で佐吉を一睨みした。七草粥も済み世間は正月気分も抜けたというのに、との言葉まで聞こえてくるようだった。 「嘉平親分に言われちまって……」  問われてもいない言い訳をして、佐吉は早々に踵を返しそうた。すると、平治が「ちょいと待ちねえ」と声を掛けた。 「お前の細工台は埃を被ったままだぜ。いったいぜんたい、いつになったら日本橋の喜久櫛から頼まれた銀煙管は仕上がるんだ。良い加減にしろよ」  平治の濁声が佐吉の背に浴びせられた。  はじけたように振り返ると、佐吉は廊下に蹲った。今度ばかりは様子が違うようだ。親方は本気で怒ったのかもしれなかった。 「仙台堀は今川河岸で人が二人も殺されちまって、どうでも手が足りないからと、」  と言い訳をしたが、平治親方のいつにもない怒気を含んだ眼差しに、佐吉は細工台の前に座った。  こうなれば夕刻までに銀煙管を仕上げるしかない、と覚悟を決めた。今川町仙台堀の怪の物は夜までは出てきはしない。早々と嘉平親分の耳に入れたところで親分が何をするというのでもない。細工台を覆っていた手拭いを取り払うと、細工途中の銀煙管が鈍い光を放っていた。  元来が好きで入った細工職の道だ。中食を摂るのも忘れて、佐吉は槌を小刻みに動かし、微細な龍の描写を丹念に彫り込んでいった。  下絵も何も描かないで、佐吉は頭に浮かんだ図柄をいきなり彫り刻む。そうしないと伸びやかな彫物にならず

何とも無責任な見出しだ

「爾後、鳩山政権ヲ対手トセズ」とは雑誌文藝春秋の大見出しだ。普天間問題でオバマ大統領がそう言ったというのだ。万が一にもそれが本当なら雑誌が煽る鳩山政権の瑕疵というよりも、日本国家と国民に対する暴言であり、決して看過できない由々しきことだ。オバマ大統領の言辞を耳にした評論家氏が直ちに抗議しなかったとしたら、その人物は日本国民としての矜持を持たないどころか恥すら知らない最低の人間だ。  この国はいつから米国の属国になったのだろうか。いかに日本の首相に指導力がなかろうと、いかに優柔不断であろうと、国と国の付き合いで首相を相手にしないで誰を相手にするつもりだろうか。それほどオバマ大統領が愚かで傲慢だとしたら、日本もオバマ大統領を相手にしないことだ。    間違いなく民主的な手続きを経て鳩山氏は日本の首相になった。理屈からいえばたとえ支持率が1%になろうと後三年余も衆議院議員の任期一杯は鳩山氏が首相であり続ける。その日本の首相を相手にせず日本と同盟関係を続けて日本に米軍基地を置き続けることは不可能だ。そうした自明の理を無視したかのような見出しは雑誌を売らんが為の愚かな行為だ。国民に対米感情を悪化させるだけだ。友人に自分の父親の愚痴を言うのはいいが、友人までが同調して父親の悪口を言ったら人間関係はうまくいかない。    過去に米国が評価した日本の首相は米国に対して臣下の礼をとった者だけだ。たとえば日本を不沈空母に見立てた中曽根氏であったり、米国の行政改革要求を素直に実行して派遣業法の歯止めを外し、郵政を民営化し、公的資金で建て直した銀行を10億円程度で米国のヘッジファンドへ廉価販売し、おまけに積極的に米国の戦争に協力したた小泉首相だ。日本は日本の防衛をお願いしているだけだが、用心棒代だけでなく俺の戦争の軍事費の割り勘に付き合え、さらには兵隊も出せというのでは話が違う。    さらには元作家で東京都副知事にまでなった方が「民主党は旧道路公団の復活を狙っている」というが、道路公団の看板を付け替えただけで利権組織を温存したのはあなたではなかっただろうか。どうやら実現不可能になったようだが、徹底した利権構造の解体は高速道路無料化だった。そうすればETC会社も必要ないしサービスエリアの利権も民間に売却できたはずだ。高速道路に群がる公団子会社も無料化により公団そのものが消滅すれば競争入札へ

「子ども手当」は愚策か

 テレビを見ていたら「子ども手当よりも保育所を作れ」だとか、「子どもは親が育てるものだ」とか、自民党応援団の老政治評論家が叫んでいた。つい半年前まで何十年も政権を取っていたのは自民党だ。その政権下で少子高齢化が進んだ原因を考えもしないで一方的に現政権を批判するのは正しくないだろう。    子供は社会の宝で、社会で育てるものだと考える立場に立たなければ何事も改善されない。そして保育所を国や地方自治体に作れというのは官僚を喜ばせるだけだ。なにしろ非効率な行政の結果、現在の保育行政にかかる予算総額を保育される子供の人数で割ると一人当たり月額57万円もかかっていることになる。    現在の全国一律の保育所設置基準が正しいのか、たとえば小学校の空き教室を使って保育所にしたり、駅前保育所に関しては設置基準を緩和するなど若干の改善で幾らでも作れる。そして現在のシステムが効率的か、たとえば認可保育園の場合保育料は保育園に支払うのでなく行政に支払い、行政が補助金と併せて措置費という名目の金銭が保育所に支払われる。つまり行政の手を通ることにより行政のガバナンスが働く仕組みになっているが、そのために公務員がつきっきりになって経費が余計にかかる仕組みになっているのだ。    認可と無認可の垣根を取り払って新規参入しやすくする反面、安全性が確保されているか資格者が従事しているかなど、規制は最低限に止めることだ。後は定員管理と何人を受け入れているかで補助金を支払うだけで園児の募集や保育料の徴収は保育園に任せることだ。できるだけ余計な経費は掛けない仕組みにして、一人の園児に月額57万円も予算を掛ける、いわば保育を食い物にしているような馬鹿げた実態を改善することだ。    子ども手当が実施されたら、保育園に預けたい人は保育料を支払って預けるし、育児休暇を取って自分で育てたい人は子ども手当を暮らしの足しに使えばよい。基本的に子供は社会が育てる姿勢で地域社会も子育て家庭を理解しなければならない。  子ども手当が将来の自分たちのツケに回るのではないか、という理論は現在の他の制度をすべて認める理屈だ。現在の政策のすべてに優先順位を定めて、予算がなくなればその事業を止めることになるとの理解の下で予算総額に枠を嵌めなければならない。それが本来のシーリングという考え方だ。  現在の莫大な国債残高は子ども手当を配