「子ども手当」は愚策か

 テレビを見ていたら「子ども手当よりも保育所を作れ」だとか、「子どもは親が育てるものだ」とか、自民党応援団の老政治評論家が叫んでいた。つい半年前まで何十年も政権を取っていたのは自民党だ。その政権下で少子高齢化が進んだ原因を考えもしないで一方的に現政権を批判するのは正しくないだろう。


 


 子供は社会の宝で、社会で育てるものだと考える立場に立たなければ何事も改善されない。そして保育所を国や地方自治体に作れというのは官僚を喜ばせるだけだ。なにしろ非効率な行政の結果、現在の保育行政にかかる予算総額を保育される子供の人数で割ると一人当たり月額57万円もかかっていることになる。


 


 現在の全国一律の保育所設置基準が正しいのか、たとえば小学校の空き教室を使って保育所にしたり、駅前保育所に関しては設置基準を緩和するなど若干の改善で幾らでも作れる。そして現在のシステムが効率的か、たとえば認可保育園の場合保育料は保育園に支払うのでなく行政に支払い、行政が補助金と併せて措置費という名目の金銭が保育所に支払われる。つまり行政の手を通ることにより行政のガバナンスが働く仕組みになっているが、そのために公務員がつきっきりになって経費が余計にかかる仕組みになっているのだ。


 


 認可と無認可の垣根を取り払って新規参入しやすくする反面、安全性が確保されているか資格者が従事しているかなど、規制は最低限に止めることだ。後は定員管理と何人を受け入れているかで補助金を支払うだけで園児の募集や保育料の徴収は保育園に任せることだ。できるだけ余計な経費は掛けない仕組みにして、一人の園児に月額57万円も予算を掛ける、いわば保育を食い物にしているような馬鹿げた実態を改善することだ。


 


 子ども手当が実施されたら、保育園に預けたい人は保育料を支払って預けるし、育児休暇を取って自分で育てたい人は子ども手当を暮らしの足しに使えばよい。基本的に子供は社会が育てる姿勢で地域社会も子育て家庭を理解しなければならない。


 子ども手当が将来の自分たちのツケに回るのではないか、という理論は現在の他の制度をすべて認める理屈だ。現在の政策のすべてに優先順位を定めて、予算がなくなればその事業を止めることになるとの理解の下で予算総額に枠を嵌めなければならない。それが本来のシーリングという考え方だ。


 現在の莫大な国債残高は子ども手当を配ってできたものでない。それでも将来の国民に前政権がたっぷりと積み上げた有象無象のツケが回ってくるのだ。


 


 最悪のシナリオは莫大な国債の償還が少子高齢化の進行中に行われることだ。スエーデン並みの高負担に喘ぎながら、社会保障が現在より低下する状況に将来の国民は耐えられるだろうか。何としても少子高齢化は食い止めなければならない。そのために効果的と思われる政策はすべてに優先して実行されなければならない。団塊世代ジュニアが出産期を過ぎるまでのここ数年間に出生率を上げなければ、日本は確実に最悪のシナリオへと突き進むことになる。


 そうしたことも考えずに「子ども手当は無駄だ」「子どもは親が育てるものだ」とほざく老政治評論家は将来の日本国民のことを微塵も考えていない。自分たちはバラ色の老後を送っているというのに。



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