勘違いしていないか、武器輸出三原則とは「日本が武器輸出を「共産圏、国連決議禁輸国、国際紛争当事国」に対して行わない」とする方針だ。

<「戦後日本の防衛政策を特徴づけてきた平和主義から、日本政府が離れていく転換において、この決定は一つの節目となる」

  4月21日に高市早苗政権が、武器輸出を全面解禁する閣議決定を行ったことを英「BBC NEWS JAPAN」はこう伝えた。英語では、「a milestone in Tokyo's shift away from the pacifism that has characterised its post-war defence policy」という表現で世界中に発信された。 
 高市首相は、「平和国家としてのこれまでの歩みと基本理念を堅持することに、全く変わりはない」とあたかも平和主義を堅持しているかのように発言しているが、世界はそう捉えていない。日本が平和主義を捨てるというイメージが世界中に拡散されていくのは確実だ。
  海外のメディアが日本の安全保障政策を報じる時、必ずと言っていいほど出てくるのが、この「pacifism(平和主義)」という言葉だ。特に、安倍晋三政権以降、この言葉をよく目にするようになった。
  2014年7月に安倍政権が、憲法9条の解釈を変更することによって集団的自衛権行使が合憲であるとする驚きの閣議決定を行った時には、BBCは「戦後の日本の平和主義感情は非常に強く、米国との長期にわたる同盟関係にもかかわらず、日本の自衛隊は、この狭く限定された役割を超えて、米国の同盟国との軍事協力を拡大することができなかった」と伝えている。  また、BBCは、23年に岸田文雄首相(当時)が防衛予算の拡大を目指していることを報じた際には、「揺れる日本の平和主義 中国や北朝鮮の脅威を前に」というタイトルで、「与党の自由民主党はこれまで長年、軍事化に否定的な有権者によって手かせをはめられてきた。しかし最近になっていきなり、その結び目が緩みはじめている。岸田文雄首相の政府は、近年にない大規模な『防衛力の抜本的強化』を目指しており、防衛費を増額しようとしている。防衛力をひとつ強化しようとするたびに、日本はその平和主義の理想をめぐり、分断を深める」と解説した。
  私がはっきり記憶しているのは、BBCが22年5月に「日本は静かに平和主義を放棄している」と報じたことだ。日本の安保政策の紹介の中で、淡々と伝えられた言葉だったが、非常に印象に残ったので、「週刊朝日」に連載していた当時の本コラムにも紹介したことがある(22年5月31日配信)。

■戦争中のウクライナも尊重した「平和主義」
  BBCだけではない。米「タイム」誌も23年5月12日発売号の表紙に岸田氏の写真とともに、「岸田首相が長年の平和主義を捨て去り、自国を真の軍事大国にすることを望んでいる」という表現を用いて紹介した。
  日本の安保政策を海外メディアが報じる時に「平和主義」という言葉が頻繁に登場し、しかも最近の日本の安保政策の変更が平和主義の放棄につながると批判的に報じるのは、海外の人々が、日本の平和主義を積極的に評価していることを意味する。
  日本が海外から敬意を持って見てもらえる大きな理由の一つが「平和主義」なのだ。ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会で演説した際、他国での演説とは違って、武器供与を要請しなかったのは、日本国憲法9条を尊重したからだとウクライナの駐日大使が語ったことがあったが、国家の生存をかけた戦いをしている国でさえ、日本の「平和主義」を尊重した。
  日本が他国の戦争に関与することは、平和主義という日本の崇高な理念に反するから、それを要請することはできなかったのだ。世界が、日本にとっての「平和主義」をどれほどの重みを持って捉えているかがよくわかるエピソードだ。
  しかし、日本人は、その重大性を十分に認識していないように見える。
  日本の平和主義のイメージには、多くの日本人が気づかないもう一つの側面がある。それは、「日本は平和主義の国」という評価の裏に「日本はかつては独裁的軍国主義国家だった」という認識があるということだ。したがって、日本が平和主義を捨てたということは、そこでピリオドとはならず、日本は昔の軍国主義に向かうのではないかという懸念を一部の人々に与えるということになる。
  タイム誌の「平和主義を捨て去り、自国を真の軍事大国にする」という表現はまさにその象徴である。しかし、平和主義を捨てたと言われた時、私たち日本人は、軍国主義に戻るのではないかとどれくらい心配したであろうか。
  平和主義の放棄は、ある日突然起きることではない。BBCが言うとおり、「静かに」進行する。振り返ってみればいくつもの転換点があった。最も大きな転換点は1950年の警察予備隊創設、そして54年の自衛隊への改編だろう。

■武器輸出三原則の廃止の目的
  最近では、何と言っても2015年の安倍政権時の集団的自衛権の行使を一部容認した安保関連法制度だ。国家安全保障会議の創設、特定秘密保護法制定、そして、武器輸出三原則の廃止が連続的に進められた。憲法改正も長らくタブーだったが、安倍政権時代からは自民党の必達目標として声高に叫ばれるようになった。
  この辺りまで到達した時、自民党政権は平和主義を完全に放棄したと評価すべきだったはずだ。しかし、多くの国民は、北朝鮮のミサイル、ロシアの脅威、そして中国による台湾有事が日本有事になるという「安全保障環境の激変」に対応するための「抑止力強化が不可欠」というナラティブに騙されてしまった。平和主義の放棄の過程は常に嘘とまやかしで糊塗(こと)されてきたのだ。
  武器輸出三原則の廃止を例にとると、よくわかる。新たな原則は、防衛装備移転三原則と同じ「三原則」だが、当初から武器輸出大国を目指すシナリオがその基礎にあった。
  だが、当初自民党は、殺傷能力のある武器など輸出するはずがないと言った。紛争当事国に移転するなどあり得ないとも言った。しかし、そんなことは最初から嘘に決まっていた。  この政策変更の目的は三つだ。まず、いざ戦争になった時に、自前の武器を持っていたいということ。それを可能にするために殺傷能力のある武器を含めて国内武器産業が儲かるようにしたいということ。
  そして、武器産業を成長戦略の柱にしたいということである。殺傷能力を持つ武器の輸出を認めなければ、それらを作る企業は儲からないので、新しい武器の開発の投資もできないし、そもそも営利企業として存続できない。殺傷能力の有無を問わず、あらゆる武器を輸出して儲ける仕組みを作らなければならない。
  また、米国が戦争している時に武器の供給を求められたらもちろん断れないから、紛争当事国への供給も「特段の事情」があれば認めるのは当然だ。米国だけでなく、イスラエルに武器を供給してくれと米国に頼まれたら断れないからこれも例外になるだろう。
  もちろん、そんなことを追及しても、その時点で具体的な事案に沿って総合的に判断するから事前に答えることはできないと言うに決まっている。

■戦争なしでは生きていけない国へ
  なにしろ、武器産業で経済成長をというのだから、大量に輸出しなければならない。そのためには、売ってくれと言われたら誰にでも何でも売るというのが原則になっていくに決まっている。売らないのは、日本の仮想敵国たる中国とその仲間やテロ組織などだが、それも米国がダメという相手だと言った方がわかりやすい。
  こうした一連の動きを「日本を戦争できる国」にする策略だと非難する人もいるが、そんな甘いものではない。武器輸出をどうして認めるべきではないのかといえば、それによって、米国や一部の欧州諸国のように「戦争なしでは生きていけない国」になってしまうからだ。  今でも武器産業は自民党とべったり癒着している。それが拡大すれば、防衛省や経済産業省を含めて軍産政官の巨大な利権複合体が政治を牛耳ることになる。
  実は、防衛産業強化法が制定されたことの重大性も見過ごされている。約3年前に配信された本コラム「『防衛産業強化法』で誕生する“国有”武器メーカー 戦争を望む国民世論の形成が狙いか」で詳しく書いたことだが、この法律の最大の問題は、国有の武器工場を認めたことだ。
  元々各地に民間企業の武器工場があるが、それに加えて国有工場ができる。地方に武器城下町が多数できることになる。戦争になれば、これらの地域は活況を呈し、武器で儲かるという時期が続けば麻薬と同じで住民は戦争に反対しなくなる。
  欧州諸国などで現に起きている現象だ。ウクライナ戦争で、古い工場が再開し雇用が創出され失業が減り町の酒場に人が集まる。寂れた町が一気に活気付くのを見て住民は単純に喜ぶのだ。その裏で何千何万という人が殺されることは遥か彼方のこととして、人々の心を制止する力にはならない。
  イスラエルによるパレスチナ人虐殺を非難し、イラン危機に介入しない姿勢を示しながらも、欧州諸国は中東各国に大量の武器を売って儲けている。武器産業がある限り、そうなってしまうのだ。

■閣議決定だけで変更できることがおかしい
  安倍元首相、岸田元首相の時代を指し、日本の平和主義は「静かに」放棄されると報じられた。しかし、今はどうだろうか。「台湾有事は日本有事」と声高に叫び、武力介入する可能性を明言する高市首相。 
 そして、ついに殺傷能力のある武器の輸出を大々的に認め、武器産業を成長産業にすると躊躇なく断言できる首相。批判に対しては、「時代は変わった」の一言で切って捨てる首相。  この言葉を聞いた時、私は背筋が凍る思いをした。実は、ある経産省の安全保障担当の幹部の一人と中国問題を話していた時、全く同じ言葉を聞いたことがあったからだ。議論をしても、「古賀さん、もう時代は変わったんですよ」で終わってしまう。
 「時代が変わった」、だから「日本も変わるのは当然」。つまり、日本の平和主義の時代は終わったと言いたいのだ。それでも彼らは表向きには、これが「新しい平和主義」だと言い張るだろう。
  これまで私たちは、集団的自衛権の行使容認、武器輸出三原則廃止、敵基地攻撃能力保有など、何回も「レッドライン」を踏み越えてきた。その都度、平和主義は何も変わらないと聞かされ、そうかと納得させられた人も多い。今回も同じことを繰り返すのだろうか。野党の反対は、本質論ではなく、手続き論や監視システムなど細かなことに集中している。そもそも、本気で平和主義を守る気があるのか疑わしい。
  世界が日本の平和主義が放棄されると見ている今回の事態。これほど重大なことを閣議決定だけでできること自体がどう考えてもおかしい。
  立憲民主党と公明党は、他の野党と協力して、武器輸出三原則を全面復活させる法案を参議院に出して、徹底抗戦すべきではないか。それを見れば、国民は本気でそれを支えるのではないか。
  だが、公明党は与党として、立憲は野党として、防衛産業強化法に賛成し国有工場建設にゴーサインを出した前科がある。それを考えると、「国論を二分する」はずの今回の大転換もアリバイづくりの批判だけで終わらせるのも頷ける。仮にそれで終わるのであれば、日本の平和主義とともに両党の存在意義にも終止符が打たれることになるだろう。>(以上「AERA」より引用)




 物事を突き詰めれば「極論」に到りやすい。また「極論」であればあるほどセンセーションを起こして新聞紙や雑誌は売れる。「武器輸出全面解禁で日本は「戦争できる国」ではなく「戦争なしでは生きられない国」へ…高市首相は完全に平和主義を捨てた 古賀茂明」との論評を読んで、古賀氏も思考を掘り下げる評論家ではなく、センセーションを起こす人になったようだ。
 武器輸出できる国にする閣議決定が高市政権下でなされたことは「平和主義」に反するのか。それでは「平和主義」とはいかなる主義なのか。云うまでもなく、平和主義(Pacifism)とは、戦争や暴力による紛争解決を否定し、対話や協調によって平和な状態を維持・追求しようとする思想や立場だ。日本国憲法では「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」を規定し、国民の生存権と恒久平和を理念としている。

 しかし平和主義に立っていたウクライナがロシアによって領土を「併合」という形で奪われ、軍事侵攻されて現在に到っている。平和主義では国家と国民は守れないということは明らかだ。日本国憲法では「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」を規定しているが、それは侵略を目的とした「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」を規定したものであって、自然人に備わっているとされる「自衛権」まで奪うものではない、と解釈されている。
 加害者から暴力が加えられて身の危険があると判断した場合、人が身を守るために防御するために戦うことは「正当防衛」として認められる。それと同様に、日本が他国や国外勢力から侵略された場合、防衛するために戦うのは日本国憲法に定めた「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」の規定に反しないとされている。

 だが武器輸出に関して多くの人が勘違いしているようだが、武器輸出三原則とは1967年に佐藤内閣当時に「日本が武器輸出を「共産圏、国連決議禁輸国、国際紛争当事国」に対して行わない」とする方針だ。すべての武器輸出を禁止するものではないことを確認しておきたい。そして平和国家の理念に基づき長年維持さてきたが、2014年の「防衛装備移転三原則」策定に伴い廃止され、例外的に認められる形へと大転換された。
 今回4月21日に高市早苗政権が、武器輸出を全面解禁する閣議決定を行ったことを英「BBC NEWS JAPAN」は英語で「a milestone in Tokyo's shift away from the pacifism that has characterised its post-war defence policy」(これは、戦後防衛政策の特徴であった平和主義からの東京の転換における重要な節目となる)と国際配信したが、BBCの記者或いは日本支社の者が武器輸出三原則そのものを知らなかったのではないか、と思われる。閣議決定後の記者会見で、高市首相は「平和国家としてのこれまでの歩みと基本理念を堅持することに、全く変わりはない」と説明しているように、「「共産圏、国連決議禁輸国、国際紛争当事国」に対して行わない」とする方針」を転換し手に過ぎない。

 もちろん「共産圏、国連決議禁輸国」に対して日本が武器輸出するとは思えないが、西側諸国が侵略等により「国際紛争当事国」になった場合は、武器輸出国から排除しないという取り決めを閣議決定で行ったということだ。それは多分にウクライナを意識しての決定だ。まさにウクライナは「国際紛争当事国」だ。だから日本は武器輸出三原則に則って武器を輸出できなかった。しかしウクライナを支援してきた西側諸国の武器や兵器の枯渇により、日本に武器の供与を求める声が西側諸国から上がっている。それを無視し続けることはできないし、西側諸国に対して国際信義に反することになる。
 古賀氏は武器輸出三原則を勘違いしているのではないか。だから「立憲民主党と公明党は、他の野党と協力して、武器輸出三原則を全面復活させる法案を参議院に出して、徹底抗戦すべきではないか。それを見れば、国民は本気でそれを支えるのではないか」と結論を記述しているが、ウクライナへの武器輸出を止めることに日本国民の多くが賛同するとは思えない。またアジア諸国が中国から侵略された場合、日本がその国に対して武器輸出することを「国際紛争当事国」という理由で禁じるのも不合理だ。それとも古賀氏は公明党と同じく、中国が台湾へ軍事侵攻するのを側面から助けたいと考える立場に立っているのだろうか。

 最後に、あれほど軍需産業が盛んな米国でさえ、イランとの戦争でミサイル等を消耗した結果、継戦能力は「あと一月程度」だと云われている。日本の場合はどうだろうか。現実に即して、考えなければならない。日本が備蓄しているミサイルや砲弾でどれだけの期間戦えるのか。日本が防衛戦争をどれだけの期間、戦い続けられるのか。
 そうした現実に即した検証をして、武器や兵器を製造する能力を保持すべきかを検討すべきだ。武器輸出する竹の能力があれば、日本が侵略された場合に武器や兵器が枯渇する前に増産することが可能だ。そうした製造能力を余裕を持って保持するためにも、武器や兵器の輸出は必要だ。また、それが可能になれば日本の軍需産業も育つだろう。現在は軍需産業は投資に見合わないが、投資に見合う産業になり、軍用技術の民需移転も盛んになるだろう。そうした産業のありようが日本の製造業を一層発展させることになるだろう。

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