高市氏の誠の心を信じて秋の例大祭を待つ。
<高市早苗首相は、東京・九段北の靖国神社が21~23日に行う春季例大祭に合わせた参拝を見送る方向で調整に入った。関係者が17日、明らかにした。首相は総務相など閣僚在任時を含め春と秋の例大祭中の参拝をほぼ欠かさなかったが、自身の台湾有事発言への反発を強める中国や、首脳間の「シャトル外交」で関係改善が進む韓国に配慮したとみられる。
高市氏が首相として例大祭を迎えるのは初めて。就任直前だった昨年秋の例大祭も見送り、自民党総裁として私費で玉串料を納めた>(以上「時事通信」より引用)
「高市首相、靖国参拝見送りへ 春季例大祭、中韓に配慮」とは、情けない。確かに近隣諸国への配慮は必要かもしれないが、その前に日本の国家と国民のためにこそ総理大臣は存在すべきだ。
高市氏が首相として例大祭を迎えるのは初めて。就任直前だった昨年秋の例大祭も見送り、自民党総裁として私費で玉串料を納めた>(以上「時事通信」より引用)
「高市首相、靖国参拝見送りへ 春季例大祭、中韓に配慮」とは、情けない。確かに近隣諸国への配慮は必要かもしれないが、その前に日本の国家と国民のためにこそ総理大臣は存在すべきだ。
先の大戦で国のために殉じたのは一兵卒でも当時の政府首脳でも同じだ。明治維新後の国家のために殉じたすべての人々を慰霊する神社に、高市総理は参拝すべきだった。これまで春と秋の例大祭中の参拝をほぼ欠かさなかった高市氏が総理大臣就任を機に参拝しなくなった、というのでは益々近隣諸国に「靖国カード」を渡すことになる。
かつて、総理大臣のみならず天皇陛下も靖国神社に参拝していた。1978年のA級戦犯合祀が翌79年に 朝日新聞が報じた後も、当初は中国側も大きく反応していなかっが、1985年の中曽根康弘首相の公式参拝を機に批判が表面化し、その後小泉純一郎首相(2001-2006年)の参拝により、日中間の主要な政治課題となつた。
1975年11月21日に昭和天皇が終戦30周年に参拝が取りやめられた。参拝停止の理由は語られてないが、1978年10月に靖国神社がA級戦犯を合祀したことから、ではないかと7月20日付の日本経済新聞が「A級戦犯合祀 昭和天皇が不快感」という見出しで、いわゆる「富田メモ」を根拠に報じた。
しかしA級戦犯の名誉は回復されている。それは1950年代に戦犯釈放運動の一環として進められ、1953年の国会決議で「戦争犯罪人」としての刑が消滅した実質的な赦免(名誉回復)が法的に完了した。そのため1978年には靖国神社に合祀され「昭和殉難者」と称された。
その名誉回復と靖国神社への合祀は批判されるべきものではなく、先の大戦は特定の人たちによって始められたものではない。ことに朝日新聞は米英との決戦を扇動する論陣を張って国民世論を戦争へと導いた。
当時の国際社会はまさにジャングルの原理が支配していた。帝国主義により欧米列強がアジアやアフリカなどを植民地支配し、現地住民は奴隷として使役されていた。日本は明治維新後の「富国強兵」策により世界の列強と伍す存在となり、有色人種として世界唯一の独立国だった。
マッカーサーはGHQ長官解任後に米国連邦議会で「先の大戦は日本の自衛の戦争だった」と証言している。欧米列強がアジアへ進出する国際情勢下で、米国が主導して行ったABCD包囲網と原油禁輸策により、日本は独立の危機に見舞われていた。当時の総理大臣東条英機氏がどれほど戦争回避に死力を尽くしたか、当時の歴史書を紐解けば理解できるだろう。
云うまでもなく、東京裁判は日本を裁いた不当な戦争裁判だった。先の大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で、侵略戦争を計画・遂行した「平和に対する罪」でA級戦犯として起訴された。日本の中心的指導者として東條英機元首相らを含む28人のグループは、アジア・太平洋戦争の責任を問われ、7名が死刑、16名が終身禁錮刑(後に減刑・釈放あり)となった。しかし、日本の指導者だけで戦争はできない。しかも市民の虐殺を目的とした東京大空襲や広島・長崎への原爆投下はジェノサイドそのものではないか。なぜ米国の指導者たちは一切罪を問われなかったのか。
そうした恣意的な国際関係を断つためにも、高市氏は敢然と靖国神社を参拝すべきだった。彼女が参拝しなければ、今後誰が日本国民を代表する総理大臣として靖国神社を参拝するというのだろうか。他国の戦没者を慰霊する施設には献花する日本総理大臣が、日本の戦没者に慰霊の意を表さないのは世界的にも異例ではないだろうか。
日本はドイツのように「一握りのナチスによって、ドイツ国民が惑わされた」などとヘタな言い訳などしていない。すべての日本国民が先の大戦を戦って国に殉じた人々の御霊に対して敬意を表する、というのが日本の国の成り立ちだ。その日本の国のカタチを恥ずような態度を総理大臣が取るべきではない。
戦後80年の今年こそ、総理大臣の靖国参拝を国に殉じた御霊が等しく待ち望んでいるのではないか。日本では死んだ人はすべて「仏」だ。死者を鞭打つなどといった精神構造と日本国民は無縁だ。高市氏の誠の心を信じて秋の例大祭を待つ。