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本分(基本)忘れるべからず。

 朝マックに寄ることが多い。このブログもマックのDSからネットに繋げて書いている。しかし、いつからかマックが朝ハンバーガーを売らなくなった。  店員には何度か朝だけとはいえハンバーガー屋がハンバーガーを売らなくなったらお仕舞いだよ、と声を掛けているが経営者にはトント繋がらないようだ。そうした理由からかマックの業績が低調となり長年経営を仕切っていた日本人から外国の女性に変わったようだ。  芸人がテレビで芸を見せなくなって久しい。職人芸を披露する芸人がかつては数多いたものだが、いまはヤッツケ仕事のような芸を見せる芸人ばかりだ。  その代わり楽屋話を延々と繰り広げている。どの芸人がどの芸人と一緒に飲みに行くとか、どの芸人の家族がどうのとか恋人がどうのとか、それが芸と何か関係があるのだろうか。楽屋話は楽屋でしていれば良い。芸人は芸を見せてナンボのはずではないだろうか。  政治家が意味不明な言葉を叫び出して久しい。「美しい国」だとか「日本を取り戻す」だとか、主語と述語が判然としない。ただなんとなくそんな気がする、という広告宣伝のコピーのようだ。  しかし広告宣伝のコピーならそれなりに規制がかかっている。不当表示は罰せられるし、嘘の広告はその会社の業績にも関わる重大事を引き起こす。しかし政治家は一向に無頓着のようだ。この国のマスメディアは自公政権に結構甘い。  多くの国民が物事の基本というか本分を忘れて野放図に心の赴くままに行動すれば社会は保てなくなる。無責任な素人が司司に居座っては社会の安全性は保てなくなる。  東電福一原発事故対応は放射能漏れ以上に悲惨な状況だ。事故後二年半以上も経過して未だにタダ漏れの地下水を遮蔽していないというのも驚きだが、溶解した核燃料の所在場所すらも解らないまま、つまり収束の糸口すら掴んでいない状況下で原発再稼働や新設を推進する議連が自民党内に出来たというのには驚きを通り越して怒りすら覚える。  溶解した核燃料が完全水没していても膨大な放射能を刻々と撒き散らしているが、水面上に顔を出せばたちまち臨界に達し核爆発すら覚悟しなければならないという。福一原発がそうした極めて薄氷を踏む状況にあることを議連に加入した連中は自覚しているのだろうか。  かれらも議員の本分を忘れた亡国の徒に過ぎない。安倍首相までも原発再稼働なくしては4兆円の燃料費を余計に支払うこ

自民党になりたかった民主党の張本人たち。

 現在の民主党の主だった議員は民主党政権時代に自民党になろうとした連中たちだ。民主党は2009マニフェストにより国民の支持を得て政権を獲得したにもかかわらず、政権二代目にして宗旨替えをして10%消費税を突如として宣言するなど財務官僚のお先棒を担ぐ政権に堕してしまった。  それのみならず、小泉竹中政権時に行った1%の政策そのものの野放図な派遣業法規制撤廃に対して再び箍を嵌めるはずだった派遣業法改革を後退させてしまった。そして三代目の野田政権下でTPP参加に向かって党内検討まで始めてしまった。まさしく泥鰌が金魚になろうとしたかのごとく、民主党は自民党にとって代わって長期政権を夢見たのだ。  民主党の議員たちは自分たちが2009マニフェストにより国民の支持を得て政権に就いた事実を忘れてしまったため、民主党支持層の支持を失うとは考えなかったのだろうか。経済界を代表する経団連に擦り寄っても勤労者の暮らしが良くなるはずはない、となぜ考えなかったのだろうか。小泉・竹中時代は比較的景気は良かったが、経営者たちは手にした利益を内部留保と株式配当に回して労働者へ分配しなかった。経営者たちが経営者であり続けるためには「物言う株主」におもねて株式配当に主眼を置いたからだ。  そのため経営者たちは短期の利益実現に投資を振り向けることに目を奪われた。正社員よりも簡単に首を切れる非正規社員の比率を上げ、国内投資よりも労働力の安い海外投資へと生産拠点をシフトさせた。それを親中国の経済評論家たちや中国の手先となった官僚たちが煽りたてた。  焼畑経営者たちは日本国内が空洞化するのに頓着しなかった。自分たちが富を手に出来れば労働者たちがどうなろうと関係ないという態度を取り、また愚かなマスメディアは豪邸に暮らすブラック企業の経営者たちを「成功者」として幇間よろしく囃し立てた。まさしくジャーナリストではなく提灯持ちが提灯番組で囃し立てたのだ。  ちょっとした富を手にした俄か経営者が豪邸に暮らし高級車やヘリコプターを乗り回す幼児さながらの様を喧伝するテレビ番組を一体何回見せられたことだろうか。むしろ良識あるテレビ番組制作者はそうしたことは一夜にして瓦解する「取るに足らないこと」だと教えるべきではないだろうか。  民主党政権は二代目にして自民党政権になろうとした。官僚支配から脱却すべきとした小沢元党代表を検察

韓国は国際関係を勘違いしていないだろうか。

<韓国外交省報道官は23日、日本政府が島根県・竹島(韓国名・独島トクト)の領有権を主張する動画をインターネットで公開したことに対し、「荒唐無稽な領有権主張を断念するよう求める」と述べ、動画の削除を要求した。>(以上「読売新聞」より引用) 「竹島」の領有権に関して日韓どちらに理があるか、日韓で主張しあうのではなく、合理的な資料を提出して国際司法裁判所に判断を仰ごうと日本が呼び掛けても韓国がこれを拒否している。そして日本国内において日本政府が「竹島」問題の国民啓蒙措置を講じると、韓国がそれを非難するというのは筋違いではないだろうか。  韓国は何か勘違いしていないだろうか。日本国内で日本政府が日本国民にどのような活動をしようとそれは日本政府の専権事項だ。日本は韓国の主権の及ぶ領土ではない。それを一々箸の上げ下ろしにまで干渉するのは国際的にも許されないことだ。  それならなぜ日本からの国際司法裁判所に提訴しよう、との呼び掛けに対して協力して国際機関の判断を仰ごうとしないのだろうか。それこそがあるべき国際関係ではないだろうか。  1970年代に吉田某が彼の著書に誤って慰安婦が日本軍により強制的に売春させられた、と事実無根のことを記した。それを反日マスメディア朝日新聞が「従軍慰安婦」と書き立てて韓国内に広めてしまった。  反日マスメディアの犯罪はそれだけではない。靖国参拝を外交問題化したのも朝日新聞をはじめとする日本の反日マスメディアたちだった。彼らは日本国民を貶めるGHQの戦後支配戦略に従って、日本の国家と国民を不当に貶め続けて来た。  未だにその残滓が中国と韓国という近隣諸国に残っているようだ。いや、日本国内には今も反日マスメディアの忠実なポチたる評論家がいる。時々テレビに登場して荒唐無稽な反日発言を臆面もなく展開して多くの国民を慨嘆させている。  彼らは自らの反日発言が人道的な発言だと勘違いしているかのようだ。A級戦犯という存在自体が戦後の国会決議で名誉回復され、すべて解消されているにも拘らず、彼ら反日評論家たちが忌避するGHQの戦後支配戦略による東京裁判史観だけは踏襲するという愚行を未だに繰り返しているのはなぜだろうか。  戦後の歴史は戦勝国のみによって語られる。しかし敗戦国たる日本に何ら言い分がないわけではない。戦争は勝ちさえすればすべて正義だとはならない。  韓国は

この国の国会議員たちは正気か。

 参議院の国会中継を拝聴していて「この国の国会議員は正気か」と思ってしまった。なぜなら「原発は安全を最重点として再稼働すべきだ」との自民党間バカ議員に対して、「原発は十分に安全性を確保しなければならない」と能天気にも安倍首相が答弁している。それに対して参議院予算委員会は水を打ったように静かだ。  この国の国会議員はバカ揃いなのだろうか。福一原発1号機から3号機まではは安全性を十分に確保して稼働していたはずだ。4号機は定検のため停止していたが、総電源喪失により燃料プール内の温度が上昇して暴走し、水素爆発を起こした(ということになっているが臨界爆発だったのかすら現場検証すら行われていない)。  この国の原発は安全・廉価な発電装置だと電力各社が電気料金に上乗せして捻出した年間数千億の電源開発費に群がる官僚や政治家やマスメディアたちのプロパガンダを無知蒙昧なタレントがシタリ顔をして「未来のために原発は必要です」などとテレビに登場して繰り返しニコヤカに語りかけていた。その挙句に福一原発放射能ばら撒き事故だ。  「不幸な事故だった」と語る政治家や評論家には反吐が出る。「幸福な事故」があってたまるか。たとえ事故にせよ何にせよ、金輪際原発は放射能漏れ事故を起こしてはならない、というのは原子力を扱う人たちに共通認識のはずだ。それを「完全にブロックされ、完全にコントロールされている」と舌足らずの早口で世界へ向かって発言し、それを委員会で取り上げられると「完全というのは個々の事象を指すのではなく、全体として概ねブロックされコントロールされているということです」と首相自らの日本語教育の欠陥を表明する言い訳を展開し、それをナントナク委員会で「了承」しているような雰囲気にはビックリ仰天で言葉もない。  完全とは完全であって、概ねとは概ねだ。全体として、というのは国会答弁として官僚が用意した言葉であって、その言い廻しは五輪会議の時と異なる、と追及されると安倍首相は「完全に」と発言を元に戻した。  完全にコントロールされているが雨水により堰から放射能汚染水が漏れたのは個々の事象であって「完全に」という言葉を覆すものではない、という首相答弁は「この男はマトモか」と不信を抱くに充分だ。しかも11ヶ所の堰漏れの内6ヶ所は国の基準値を超えいたというではないか。この国の国会議員たちは「現場」の苦しみや苦悩

良心の劣化。

 信用と安心のサービスを提供するホテルのレストランで食材を偽っていたという。芝エビと表示して実は輸入冷凍エビを使っていたとしても、料理を提供された客には分からないだろう。しかし客はまさかホテルが食材を偽っているかなどと疑わず、ホテル側の良心を信用していたはずだ。  自民党に「原発新設・稼働議員連盟」ができたという。その目的は原発の安全性を確認して原発の稼働と新設を促し、日本の電力の安定・廉価供給を目指す、というものだ。やはり電力各社が負担する「電源開発費」に群がる似非・政治家たちが群れて出て来たかと怒りを持って彼らの面を眺めるしかない。  まさか、という事態に直面することが多くなっている。高速道路を利用させる高速道路会社が高速道路の安全性を確保・点検することを怠ればどのような事態を引き起こすかは容易に想像できるだろう。しかしそうした業務本来の仕事を手抜きして、利益を上げたとして一体どのような意味があるというのだろうか。  未だリコールしていないようだが、あるメーカーの自動車のエンジンが走行中に停止する事故が頻発しているという。原因として自動車の電子部品に対して疑惑り目が向けられている。コストカッターど称される経営者が自動車会社に就任して以来、安価な部品を系列業者以外からも購入することにした。その内のエンジン点火の電子制御部品に欠陥があるのではないかと疑惑の目が向けられている。  JR各社で起こった基本的な事故により安全性に対する認識・確保がおかしくなっているのではないかと思われてならない。そして、この国を代表するメガバンクで反社会的な人たちに融資を続けていたという反社会的行為が露呈した。それも信用に基づく金融機関として基本的・致命的な事態だ。  そして今度は自民党政治家たちの愚挙だ。原発が本当に安価で安定的な発電装置なのか、彼らは現実を見ようともしないようだ。原発の一基当たりトータルコストを電力各社はまだ明確に何処も把握していない。発電装置の使用期間を40年から60年に延ばしたところで、廃炉にして撤去するまで40年もかかるといわれている。その後も放射性廃棄物の管理に1万年も必要だというのに、原発は安価な電気発電装置だ、という電力各社と官僚たち主導でマスメディアが垂れ流したプロパガンダを彼らは未だに信用しているとしたら、彼らの頭脳はどれほど劣化しているのだろうか。い

福一原発汚染水漏出への対応は丸で素人の児戯のようだ。

 安倍氏が五輪招致決定最終会議で「福一原発の放射能漏れは完全にブロックされているし、完全にコントロールされている」と大見栄を切ったが、実態はお寒い限りの素人対応だ。  台風の影響で福島地方に雨が降ると汚染水タンク群を取り囲む「堰」を溢れて放射能を含む汚染水が流出し海へ流れたと見られているという。日本各地で百年に一度とか十年に一度という豪雨を今年は記録したが、福島地方で十年に一度の豪雨が降ったと報道されたことはない。  雨水が堰を超えたのは排水ポンプの容量を超えたからで、今後は排水能力を増強する、と東電は陳謝した。しかし11ヶ所あるタンク群のうち6ヶ所が堰を超えたというのは深刻な事態ではないだろうか。いや、「完全にコントロールされている」というのならたとえ一ヶ所たりとも堰を超えて漏出してはならないはずだ。  それが排出ポンプの能力不足だったというのは、余りにバカにしてはいないだろうか。今年は日本の各地で百年に一度という豪雨を記録しているのを政府・経産省は承知しているはずだし、現場の東電関係者も承知しているはずだ。それなのに能力が十分なポンプを設置していなかったのはどうしてだろうか。  一体何処が福一原発の現場を仕切っているのだろうか。国が前面に出て責任を負うと、この国の首相が国際会議で大見栄を切ったというのに、この素人さながらの対応ぶりは一体何だろうか。  傾斜地に設置されたタンクを配管で連通させるという、小学校の理科にも劣る連通管の原理を無視した汚染水タンクの設置により漏水事故を起こしたばかりだ。それは常識的なプラント設計者がいれば決してやらなかった単純な事故だった。小学生以下の素人プラント設置者しか東電にはいなかったことになるし、タンク設置図面が経産省に提出されていたとすれば、それを指摘しなかった経産省の官僚たちも小学生以下の知識しか持ち合わせていなかったことになる。  こうした素人集団の対応により、かくして放射性物質濾過装置のアルプスは多大な予算を投じたにも拘らず満足に稼働していない。かくして汚染水は溜まり続けるばかりだ。  原因はすべて原発に関わる「人」にある。これから福一原発を廃炉にするのに40年かかるというが、未だに核燃料の所在場所すら分かっていない状況だ。廃炉のスタートにすら立っていないまま、放射能は日々ダダ漏れだ。世界に対して甚大な環境汚染を続けてい

「日々雑感」:水炊きの時期になると亡父を思い出す。

 実は鍋物などという料理は大学に入るまで知りませんでした。正確には実家を離れるまで、すき焼きも各自の取り皿に盛られた冷めたすき焼きしか知らなかったというのが正確です。  父は広島第五師団捜索連隊所属の騎馬兵で、中支を転戦していたようです。昭和も18年になると太平洋方面の戦況が悪化し、捜索連隊も機械化部隊へと編制替えとなり東南アジアへ転戦することになったようです。いよいよ異動になるという直前に父に肺結核の症状が出て、急遽内地へ送還となったようです。  ちなみに父がいた部隊はビルマのジットララインで英国軍と戦い機関銃掃射により全滅したようです。内地へ送還された父は広島の陸軍病院の結核病棟に隔離され入院していたようですが、たまたま原爆投下日には広島を離れていて被爆を免れたようです。  終戦後、良い抗生物質が入って来て父は肺結核で死ぬことなく治癒しました。そして私たちが生まれたわけですが、父は自分が結核菌の保菌者でないかと危惧し、感染しないように生活でも気をつけていたようです。  ですから同じ鍋を突っ突くことは決してなく、すき焼きも取り分けて頂きました。漬物も寄生虫の卵が付着していることを恐れて、父は母に命じて必ず煮沸させました。ですからパリパリという沢庵や白菜は大学に入って初めて知りました。  今では水炊きは好物ですし、冬の風物詩として鍋物は欠かせません。しかし生れてより経験してないため、下宿で七輪を借りてきて同級生と囲んだ初体験の水炊きは仰天動地の食べ物でした。  その父も9年前に84歳の長寿を全うしました。大正生まれの父の父、つまり祖父は明治生まれで、そのまた父は慶応年間・江戸時代の生まれで、そのまた父は伊藤博文や高杉晋作たちと同じ天保年間の生まれです。  私にとって江戸時代は手を伸ばせば届きそうな身近な存在です。父の時代は子供は着物を着て草履で遊んでいました。何銭かを持って町の電気屋の店先へラジオを聞きに出掛けたと聞いています。  我が家にテレビがやって来たのは小学三年生の時でした。当時は14インチの小さな白黒画面で、六チャンネルしかないバリコンを回していました。  東京オリンピックの直前に市の体育館で各社カラーテレビの展示会があるというので見に行きました。色の滲んだような代物でしたが、天然色テレビ画面に驚いたものです。  日々雑感。今年初めての白菜の漬物をバリバ

起業大国が素晴らしいのか。

 本日の予算委員会で自民の塩崎議員が安倍首相に第四の矢の国家戦略特区(この仰々しい名称にはゾッとするが)に関して質問していた。その中で「起業大国を目指すべき」と言及し、格好の例として米国のシリコンバレーを取り上げた。そこでは年間に17000社も起業され、12000社が消えているとの例を引き合いに出し「新陳代謝が大事だ」と主張した。  塩崎氏はシリコンバレーの現状を御存じないのだろうか。IT企業の集中により労働人口も集中したため家賃が高騰し、普通のアパートでも月額二十数万円にもなったため、働くホームレスが増加している。つまり普通のサラリーマンはアパートにすら暮らせず、妻子持ちのホームレスが郊外の森林地区に増加しているという。  国家戦略特区構想には賛成できない。そこだけが規制を大幅に緩和して、もしかすると労働者の「解雇自由化特区」すらも図ろうとするのは、まさしく日本国内の米国化に他ならない。  米国モデルが必ずしも国民の幸福を促進するとはいえないことを国民は周知している。米国の起業が多いのは米国金融機関の高い流動性にも起業を促す一端がある。日本の場合は実績なき若者が銀行を訪れて融資を実現するのは不可能に近い。ただし詐欺師にはドンドンとカネを貸すという事件が発覚しているが、それは余程お粗末な銀行員のいる銀行に限られる。  たとえばこの国では新規参入が大きく制限されている業界が幾つもある。起業することはおろか、実績のある企業が新規に地方自治体に「ゴミ回収業務」委託業者として登録するのすら困難な場合がほとんどだ。ましてや屎尿処理業者として新規参入する可能性は皆無といって良いだろう。  他にも色々地方自治体の外注委託業者に参入するのにTPPの「関税障壁」以上に高くて厚い壁が存在している。それを撤廃することもしないで、産業特区構想とは片腹痛い。官僚・公務員の利権構造擁護の姿勢すら撤廃できないで、何が構造改革・規制緩和だというのだろうか。  政治家諸氏には足元の現状をまずは良く観察することからお勧めする。

公共機関の会計システムを早急に改めよ。

 大阪府下の地方自治体で40代職員による2.6億円にものぼる生活保護費の不正請求と横領が明らかになった。なぜ長年にわたるケースワーカー職員による不正が放置されていたのだろうか。  しかし地方自治体の杜撰な会計処理はこの横領だけではないようだ。国も含めて競争入札に関しても「談合疑惑」は絶えないし、少額発注では相変わらず職員と業者の癒着の温床たる隋契が行われている。隋契を批判されると隋契の相手業者に他社の見積書の提出を求め、隋契業者が書類を揃えることが平然と行われているという。  そうした予算執行のユルユル加減は他項目への流用を許している自治体も多いといわれている。議会への減額補正と他項目への補正予算を審議を義務付けなければ、年初予算さえ議会を通してしまえば、後は公務員たちの財布と勘違いした執行が行われることになりかねない。  国でも復興予算が未消化で年度末を迎えると国庫への返還ではなく、基金を創設して官僚たちの利権の温床にしてしまった。公務員たちは高額年俸や高額共済年金だけでなく、日々の事業と称する作業外注や事業発注で食い物にしているのだ。  なぜそうしたことが十年一日のごとく改まらないのだろうか。理由は簡単だ。会計システムが民間とは比較にならないほどユルユルな歳入・歳出の単式簿記を用いているからだ。しかも監査は地方自治体においては素人に近い監査委員による形式監査しか行われず、国においても会計監査院という公務員による監査を実施しているに過ぎないからだ。  なぜ会計システムを複式簿記にし、監査を監査法人による監査を義務付けないのだろうか。民間企業に対しては国税庁は複式簿記を指導するくせに、国や地方自治体に対しては千数百年も続く律令制度下の大福帳会計を現在も採用し続けるのはいかにも時代遅れではないだろうか。  そして国と地方の会計システムを同一のモノとして、国と地方自治体とを連結した公的会計の連結決算を実施すべきではないだろうか。そうしなければこの国の全社会インフラの年間減価償却費が全体像として明確に誰にも掴めないだろう。そんな会計がマトモな会計といえるだろうか。  しかも公的会計の連結決算がそれほど困難なことでないことを指摘しておきたい。会計システムと費目の統一さえ新規公会計基準で定めればITの利用により簡単に出来るのだ。  そうすれば歳入庁を設置するまでもなくすべて

今更「少子化克服が急務」(10/20読売新聞10面)とはバカかこいつら。

 民主党の2009マニフェストに謳った「子供手当」を「財源なきバラ撒き」だと徹底して批判して先頭に立ってブッ潰したのはこの国のマスメディアだった。そのマスメディアが「少子化克服が急務」との10面の一面を使って会談記事を掲載している。  少々下品ながら「コイツラバカか」と言うしかない。どの政権であろうと誰が首相であろうとこの国がやるべき政策は了として支持すべきだ。財源なき政策と批判するなら効果の疑わして安倍氏の唱える第四の矢などは典型的なものではないか。消費増税は社会保障費に回す約束だったはずだ。  民主党の掲げる子供手当月額2万6千円を支払えばキッチリ5兆円ほど必要だった。安倍氏の掲げる法人減税などの「景気対策費」と同額だ。それならカンフル注射よりも未来への投資を優先すべきだというのは、どんなノータリンにでも解る話だ。  さすがに経済学者の竹中平蔵氏は人口減社会で経済成長を続ける前提として「大量移民」も選択肢だと発言している。ということは大量移民なくして人口減となればこの国はダウンサイジングするしかないということを竹中氏も是認しているということだ。  しかし「大量移民」を受け容れた欧州諸国がどうなっているか、指摘するまでもないだろう。米国は元々移民の国だから日本と比較することは無意味だし、だからこそ単位人口当たり凶悪犯罪の発生率は日本とは比較にならない水準にあるが。  全人口のおおむね10%の移民を受け入れて10年経つと様々な文化的社会的軋轢に悩まされる事態を招いている。ドイツ然りフランス然りスウェーデン然りだ。日本もそうした選択をするなら現在230万人の外国人ですら不良外国人による犯罪が社会問題化しているものが、1200万人の外国移民を受け入れたら日本の地域社会がどうなるか火を見るよりも明らかだろう。  グローバリズムという言葉に誤魔化されてはならない。日本はこれまでの日本で少しも困っていなかった。時々米国から繊維問題や造船問題や自動車問題などで、「輸出経済をやり過ぎだゾ」と虐めにあってはいたが、同じ米国が中国に対して少しも虐めないのはなぜだろうか。所詮米国の唱えるグローバリズムとは日本に対するダブルスタンダードに過ぎず、そのメッセンジャーボーイをしていたのが小泉首相と竹中氏だったことは周知の事実だろう。  まだまだ日本の政治家たちのほとんどは能天気だ。人口減と