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語られる政策からその人物が見えてくる。

 こうした代表選つまり首相を選ぶ選挙の場合、現職は守る姿勢になり挑戦者は挑戦的な姿勢が鮮明になるものだ。しかし小沢氏は菅氏を攻撃するというよりも自分の政策を語り理念を訴えることに終始し、管氏の方こそ挑戦的に小沢氏を挑発しているようだ。    そうした中でも菅氏は新卒者へ職の確保を掲げたが、中身となる具体的な政策は何も語られていない。むしろ緊縮財政再建を推進するなら円高は解消されず、企業の海外移転は促進されると考えなければならない。小沢氏がそうした指摘をすると管氏は「木を見て森を見ず」と妙な喩で反論したが、木はすなわち森だ。緊縮型の財政運営を行えば円高は解消される方向へは進まない。    ここで、またしても場外の話をしなければならない。夕方のテレビ報道番組で記者上がりの某大学教授が「首相を続けたい管氏を引き摺り下ろそうとしているのだから、壮絶なバトルになって当然で、自民党政権下の派閥抗争のようなものだ」と民主党の任期満了に伴う極めて民主的な手続きによる代表選を貶していた。何ということかと腹が立ち、テレビ画面を睨みつけた。    決して反論されない安全地帯に入って、ちょろっと気の利いたコメントの毒舌を吐けば仕事が終わる。何とも気楽な連中には政治は絶え間ない壮絶な権力闘争だということが分かっていないようだ。それが浅ましいというのなら、ご自身はどれほど高潔な人格者か示して戴きたい。某大学の教授というからにはさぞかし学術論文をものにして教授会で選任を戴いて就任したのだろう。いやしくも官僚の天下りのように「人寄せパンダ」として大学の広告塔よろしく名刺の肩書に刷っているだけではないだろう。    世の中には助手から始めてコツコツと研究生活を送っても教授になれない人が大勢いる。口先三寸の記者暮らしで人の批判と世渡りだけで成り上がった者に何が分かるというのか。テレビ各局も親会社の鼻息を窺うためのキャスティングをしないことだ。そしてテレビという公器を使って人を気軽に批判しないことだ。    この国は表現の自由が保障されている。何を言っても良いとされ、相手の名誉を棄損した場合には法廷の場で争われることになる。しかし大抵の場合は言った者勝ちで、テレビの政治バラエティ番組では制止されようと滔々と自論を展開するバカな恥知らずが幅を利かしている。  それを視聴者が真似て相手の言い分を聞かず自己主

三権の長経験者にしてこの程度の認識なのか。

 前参議院議長江田氏が「政治とカネの疑惑をもたれるだけで首相に出るのはいかがか」と馬鹿げた発言をテレビでしたようだ。  それなら冤罪の者は何等かの資格を失っている、というのに等しい。確かに検察から強制捜査まで受けたが小沢氏は結果として「不起訴」となった。「事件性がある」として捜査を受けたが何もなかったと検察当局が証明したのだ。    江田氏は確か弁護士で法律に明るい人だと思うが、その人がなぜこうした情緒的なことで基本的人権を侵害するようなことを平然と言い放つのだろうか。彼は青年時代に官権力と対峙して市民運動に半生を捧げたのではなかったか。それとも市民運動家は権力の座に就くための方便だったのだろうか。疑惑が晴れた人に対していつまでもそれを論うのは法律家できなく、アジテーターに過ぎない。    昼のテレビ番組で北野某が「秘書が三人も逮捕された人が出るのはいかがか」とお粗末な見解を執拗に開陳していた。例えば父親が逮捕されたら子は謹慎すべきなのか、子が逮捕されたらその内容いかんにかかわらず父親は謹慎すべきなのか。  秘書が三人も逮捕された、との紋切り型の小沢氏非難はどのような法のどのような条文に抵触しているというのだろうか。政治資金収支報告書では会計責任者だけしか署名捺印を求められていない。小沢氏が「知らなかった」といえばそれ以上何ら問われることはない。それが法律というものだ。    図らずも一年生議員で検事上がりの女性が菅氏支持を公表している。元官権力の一員が菅政権を支えるとは何とも格好の図式だ。たった三ヶ月で辞めるのではなく、これから本格稼働だ、という菅政権支持者たちはこの三ヶ月の間に経済・金融政策が無為・無策のまま推移した事実は消えない。彼はノー天気にも円高へ市場が振れだした当初、軽井沢でボーッとして夏休みを過ごしていた。それのみで首相の適格を欠くと言われても仕方ないだろう。    国民が本当に聞きたいし見たいのは政策論争ではないだろうか。たった三ヶ月でコロコロ代えるのは良くない、というのは学級委員レベルの話だ。そうした根拠のない話ではなく、個々の案件に対する政策を語って戴きたい。  代表選で両陣営がヒートアップするのは分かるが、この国を担う政治家として見識を持って理性的な言葉を発してもらいたい。

国会対策をまず考えるのが現実的だ。

 菅氏は勘違いな発言を繰り返していた。昨日の共同記者会見の場でだ。  「ここ二十年近く、国会で衆・参両院とも自民党が多数を握っていた折でも国会では与野党話し合いで進めていた。だからネジレでも話し合いで国会を運営することが出来る」というのだ。ノー天気もここに極まった。    反対を貫いたところで最終的には「数」で押し切るぞ、との姿勢がなければ話し合いを持ちかけることはできない。少数与党に出来るのは野党案の丸呑みだけだから、話し合いは存在しない。ただただ野党の言い分に従うだけの国会運営を強いられ、与党案はズタズタになる。野党は政権獲得を政権復帰をもくろんでいるから無理強いをしてきて国会を機能不全に陥らせ与党の不甲斐なさを国民に印象付ける作戦に出るだろう。    さらに、小沢氏に対して「説明責任」を求めるに到っては安物の週刊誌の記者さながらだった。すでに検察で不起訴となっている案件に説明は必要ない。説明が必要だと言っているのは為にする法治国家の仕組みの分からない、あるいは分かっていて分からない振りをして相手に圧力をかける「脅し」に過ぎない。  それを時の首相がやったのだ。いかに底の浅い人物かと驚く。当然のように小沢氏は強制捜査まで受けて一年有余の取り調べの結果「不起訴」となっている、とこれ以上の無罪証明はないと切り捨てた。    普天間問題でも菅氏は小沢氏を幹事長として日米合意について「責任」があるだろう、と批判した。しかしこれこそ逆立ちをした議論だ。菅氏は自分は内政担当だったから普天間問題には関与していなかったといったのには驚いた。彼は副総理として閣僚の一員だった。つまり閣議などで鳩山総理と顔を突き合わせていたのだ。政府要員として時の政府方針に共同責任があるのは言うまでもない。かたや幹事長は党務の最高責任者に過ぎない。    経済政策に関してもこの時期に財政再建・増税論議ではないだろう。菅氏には目の前の円高デフレ不況に対して効果的な手を即座に打たなければならない喫緊の事態だという認識に欠けている。アマチュアのような閣僚を集めて「クリーン」な政治だと胸を張るのならこの国はいよいよ世界の食い物にされるだろう。    最後に、長期的戦略として重要なのは少子化対策、つまり特殊出生率の向上だ。人口減の国が経済成長をするのは個人消費が長期低落傾向にある中で景気を良くするのと同じこと

小沢氏は朴訥で情に厚い東北人です。

 人を踏み台にして一向に省みない菅氏の面目躍如とした代表選立候補者による共同記者会見だった。菅氏は皮肉を込めて「クリーン」な政治を行う、と繰り返し小沢氏の「政治とカネ」疑惑を暗に批判した。そのような人が予算委員会の首相席に座って野党の攻撃に耐えられるのか、という視線を小沢氏に浴びせた。   「総理大臣として小沢氏が委員会席で答弁する姿が想像できない」と想像力の欠如した菅氏がそう言って揶揄すると、「20も前に自分も大臣として委員会席から答弁していた」と小沢氏は淡々と応じた。しかし本当に議論すべきはそうしたことではないはずだ。    菅氏の姑息な発言には人物としての矮小さばかり感じた。「私の初出馬はロッキード事件の時でクリーンでオープンな政治を実現したい」と田中角栄氏を師と仰ぐ小沢氏を牽制した。確かに田中角栄氏は一敗地に塗れ被疑者として生涯を終えた。しかし小沢氏は一度も欠かさず田中角栄氏の公判を傍聴したという。菅氏ならば師と仰ぐ人でも逮捕されればすたこらさっさと逃げ出すだろう。    小沢氏は10兆円を超える国の予算の削減は可能だという。その通りだと思う。まず第一に各省庁の「離れ」をすべて本庁に戻すことだ。12.6兆円のすべてが無駄だとは思わないが、本庁に戻した上で官が行うのが問題の部分だけ民間に競争入札で発注し、残りの部分は官が行う。たとえばジャイカだ。海外へボランティア民間人を派遣する事業がなぜ「離れ」でなければならないのか。たとえば雇用促進事業団だ。厚労省でなぜできないのか、「離れ」を設けた経過を聞きたい。そうした具合にすべてを例外なく本庁へ戻せば「天下り」はなくなる。    実は「離れ」に流れている金は12.6兆円だけではない。本庁から丸投げされている事業費が他にもたくさんある。  次に公共事業の概算見積もりも民間並みの見積もりとして公共事業単価を廃止する。それだけで公共事業は半減する。  次に制度事業の在り方を抜本的に見直す。たとえば保育事業の総額を保育されている子供の数で割ると、一人当たり一か月57万円もかかっている。このような馬鹿げたことを国は「保育事業が必要だ」という掛け声の下で平気で行っているのだ。    原価意識なき公務員は職を去ってもらう。民間のマンション業者ならご承知だが、建設坪単価が100万円を超えると豪華マンションだ。しかし国会議員会館の建設

地元の合意なしには出来ない。

 海を埋め立てるには公有水面埋立法に従って知事提案による地元の議会による承認決議が必要だ。だから地元の合意なしに日米がいかに合意形成しようと、実際には何も進められないことになる。政府が「地元の理解を得ながら…」というのは単なる宣誓程度のことではなく、きっちりとした議会決議が必要なのだ。    菅氏が11月まで先送りするとして、11月になれば沖縄県議会で合意が得られる状況になる見込みでもあるのだろうか。たとえ県知事選挙で辺野古沖案に賛成の候補者が当選したとしても、それで事が運ぶような代物ではないはずだ。鳩山氏が苦し紛れに日米合意した当初案は、やはり破棄すべきものだったのではないだろうか。    小沢氏が代表選立候補に当たって、辺野古沖移設案を再び見直すとしているようだ。米国も海兵隊基地に辺野古沖が必要だとする明確な根拠もなく、沖縄に駐留しなければならない必然性もなく、それでも普天間の代替基地が必要だと沖縄に固執するのを止めたらどうだろうか。最終的に小沢氏は普天間基地移設に関して「最低でも県外」の鳩山当初提案に回帰するようだ。    この度有罪が確定した元防衛事務次官の守屋氏が著した書物によれば、辺野古沖移設案を提示したのは日本側だという。米国はグアムへ移転するつもりだったが、焼け太りのように広い基地を確保してくれるのならそれに越したことはない、と辺野古沖移設案に乗ってきたのだそうだ。いわば沖縄防衛利権に群がる一握りの政治家と地元土木企業が辺野古沖へ基地を建設することにしたのだ。    鳩山氏は途中で折れて「学べば学ぶほど…」と最低でも県外としていた移設先を取り消して自民党時代の日米合意を踏襲した。すると、自民党案には合意していた現職知事が鳩山氏の辺野古沖案には賛成できない、と言いだした。「寝た子を起こした」というのだろうが、知事としての自民党政権下の決断は何処へ行ったのだろうか。    菅氏の「次の総理大臣にいずれが相応しいか」が代表選の争点だというのは妙な話だ。いやその隠された意味次第では無礼な発言だ。総理に「相応しい」というのが政策とその実行力なら断然小沢氏だろう。ただ「相応しい」の意味が「人格」ということでマスコミが流したプロパガンダにより毀損された小沢氏の名誉を指すのなら、とんでもない大馬鹿というしかない。    菅氏は「クリーンな政治」とも言っているから小沢

あとは清々粛々と政策論争を。

 小沢氏が民主党代表の任期満了に伴う代表選に立候補した由、彼にとって長い政権獲得闘争の集大成になるべく政策を提示して清々粛々と代表選を戦っていただきたい。    昼間のおちゃらけたお笑い芸人の勤めるMCが「たった三ヶ月前に辞めた人が、なぜ出るんでしょうね」などと軽口を叩いていた。前後関係も経緯も事実関係も、何もかも検証することなく大マスコミの記事を受け売りする全く腹の立つ連中だ。それで一回の出演で莫大なギャラを稼いでいるとは呆れ果てる。    三ヶ月前に小沢氏が辞めたのは幹事長であって、代表は去年の五月に辞めている。去年の五月は元秘書が「政治資金規正法違反容疑」で逮捕されたのを受けて代表を辞任した。今年の六月は鳩山氏が普天間基地移設を巡って「県外移設」が実現できなかった責任を取る形で首相を辞任する際に党幹事長の小沢氏も辞任したのだ。たとえ小沢氏が幹事長に居座っていても、人事権は新首相にあるため、首相の辞任と歩調を合わせたのに過ぎない。取り立てて「疑惑」の責任を取ったわけではないのだ。    そもそも小沢氏に「疑惑」はない。逮捕・起訴された元秘書も公判で十分に争う余地のある「収支報告書への誤記載」を問われる「不実記載」がその罪状だ。本来なら「間違っているよ、訂正してもらえないかな」と言われ訂正印をついて済む程度の話だ。  その場合でも「いや、間違っていないと思うのだが」と言えばそれで済むかもしれないレベルだ。不動産取得時期の認定は様々な異論のある事柄だし、全く記載していないのなら問題かも知れないが、石川氏の場合は記載した上での主観の相違だ。    当然小沢氏は石川氏が記載したのを知っているだろう、小沢氏に管理監督責任があるはずだ、というのが小沢氏の「政治とカネ」の本質だ。しかし収支報告書に署名捺印が求められているのは会計責任者、つまり元秘書の石川氏だけだ。だから小沢氏が「知らなかった」と言えばそれ以上どのように追求できるというのだろうか。小沢氏は無罪で、起訴を巡って争う余地はない。    つい先日、菅派の若い議員たちが小沢幹事長時代の政党資金支出に30億円程度の疑惑がある、と大マスコミにリークした。新「疑惑」だと飛びついて書き立てた社もあったが、菅派の議員たちが帳簿をひっくり返して調査したらそうした事実はないと判明した。  「疑惑」だと勘違いしたのは小沢氏が新人や選挙

集団指導体制は野党時代のものだ。

 政権与党でトロイカ体制はありえない。もし実現したとしたら、それを傀儡政権と呼ぶ。政権運営はただ一人の首相が国政の全責任を引き受けて行うものだ。    またぞろマスコミは「政治とカネ」批判を小沢氏に対して浴びせている。発言する人は「政治とカネ」の実態が何か説明してから、その文言を使うべきだ。「政治とカネ」と常套句を口にする人で、具体的に事実関係を把握している人が何人いるのだろうか。少なくとも検察が問題だと認識した事実が何で、捜査した結果として何が明らかになったのか。    そうしたことは検察の「不起訴」判断の際に示されている。その前にマスコミなら04,05,06の小沢氏の政治資金収支報告書を一度は精査してみたのだろうか。そうすれば明確に分かるはずだ。マスコミが非を鳴らした「政治とカネ」なるものの実態は何もないことが。壮大なる捏造とプロパガンダがこの国を嵐のように襲って、国民は何となく小沢氏は薄汚い人物だと思わされているだけなのだ。    人は「そうしたことがありうるわけがない、国の機関の一つである検察はフェアなはずだ」と思うかもしれないが、事実は検察はフェアな存在ではない。官僚組織の一つで自分たちの組織防衛のためには何でもする機関だと承知した方が良い。それは国や地方自治体もそれに近いから、国民による監視の目が必要だということなのだ。判明しているだけで各省庁でどれほどの裏金が乱費されていたか、そして「公金横領」で誰が起訴され有罪となったか。検察にも14億円もの裏金流用が判明した事件があったのを失念されたのだろうか。    今は民主党代表選の騒動にマスコミは紙面を割いているが、この国の最大の問題は「円高・株安」であり、課題として分析すべきは96兆円もの概算要求の中身だ。そのなかでも各種団体への「負担金」や「分担金」や「補助金」と名目は何であれ、省庁が丸投げしている予算がどうなっているかだ。チマチマと蓮舫氏などが一部を仕分けして溜飲を下げるだけでは何も変わらない。官僚はその時だけ首を竦めてみせるだけだ。    そうした国のカタチを基本的に変革しようとしているのが小沢氏で、抵抗する官僚組織の代表が検察だと理解しなければならない。大マスコミも現在のこの国の体制に組込まれているため、小沢氏を排除しようとしているのだ。よって無批判・無検証に検察リーク情報をタレ流した。今もって事実

概算要求96兆円は官僚が菅政権を舐めている証拠だ。

 各省庁が欲しい放題の予算概算要求を提出した、との感が拭えない。去年は麻生政権下の概算要求に民主党の政策部分を上乗せした二階建てで92兆円だった。それが今度は96兆円だというのは理解しがたい。菅政権が完全に官僚から舐められ、各省庁は腹一杯の予算を要求して財政赤字を積み上げても、菅政権は消費税増税を提唱しているから大丈夫だと思っているのだろう。    民主党が政権を獲ったら無駄を排除して、高速道路無料化や各種直接手当の財源は充分にあるし財政規律も守られるとしていた。それが蓋を開けてみたらこの有様だ。鳴り物入りで実施した「事業仕訳」も削減して得られた金額も財源的にはまったく不十分なものでしかなかった。  しかし民主党が目指した歳出削減努力は「事業仕訳」程度のことではなかったはずだ。    すべての「離れ」を廃止することとし、「離れ」が実施している事業のうち国民のために必要な事業は母屋に吸収してしまうことだ。それだけでも省庁の窓口担当と「離れ」の会計担当は二重になり削減できる。それに「離れ」ですき焼を食っていた予算は本庁に吸収されて、本庁予算は削減できる。そうした各省庁の在り方を根本から見直すことが必要だったのであって、枝野氏や蓮舫氏が名を挙げたような現存の本庁と「離れ」が存在する仕組みを是認した上で冗費を削減するのでは高か知れていても仕方ない。    せっかく小沢氏が鶴の一声で半減した「土改連」予算も概算要求では過去と同じ4000億円台に復している。これも菅氏がいかに舐められているかの証拠だ。  辺野古沖へ移設できないのは明らかなのに、岡田氏は沖縄の理解を得ながら進めていく、と無責任な談話を繰り返している。法の定めから公有水面埋め立てには地元議会の了承がなければならないことになっている。超法規的な判断でもするつもりなのだろうか。    このように明らかにしなければならない事項は多義に渡る。そこにこの国の基本的な防衛と経済政策の在り方をまず示さなければならない。菅氏は既に市場から明確に失格の烙印が押されてしまった。日々為替決済を迫られている輸出企業にとって、政府の無策による円高は身を切られるように辛いことだろう。そうしたことも分からずにノー天気な対応に終始している菅氏は既にこの国の首相として適格を欠いている。

民主的な手続きに従って清々粛々と代表選を行うことだ。

 民主党政権の指導を集団体制とし「トロイカ方式プラス1」を菅氏が昨夜の鳩山氏との会談で了解した、とのことから今日の午後、小沢氏と輿石氏と鳩山氏の三氏は会談した。そこで「集団指導体制というのなら閣僚名簿もトロイカ・プラス1で決めよう」と小沢氏が提案したという。当然のことといえば小沢氏の提案は当然のことだが、菅氏側の許に「強硬派」の閣僚や老害議員が集まって協議し、とても受け入れられないと決めたようだ。いよいよ小沢氏が出馬するのは確定的となった。    平成の黄門様を自認する議員が「世論に従えば栄え、世論に逆らえば滅びる」と仲間に檄を飛ばしている場面がテレビに映し出された。大マスコミにとって涙が出るほど嬉しい絵だが、彼の言う世論とは大マスコミが捏造誘導した世論に過ぎない。そんなものは気にしても仕方のないものだ。それよりどのような政策が提示されるかが問題ではないだろうか。    小沢氏が出馬をほのめかしてから、菅氏は慌ててパフォーマンスを始めて町工場からラーメン屋まで大マスコミを引き連れて駆け回っているが、今必要なのは円高・株安を終息させブレーキのかかっている経済成長を堅調へ導くための施策を提示し市場へのメッセージを出すことだ。それが出来ないのなら直ちに退くべきだ。菅氏は円高が進行していた最中、軽井沢で夏休みを過ごしていた。経済・景気音痴の首相だと身を挺して国民に示した。    支持率の低い小沢氏が首相になってどうするのか、との馬鹿げた話がまことしやかに流れている。選挙が間近に迫っているのなら支持率も気にしなければならないだろうが、任期からいけば国政選挙は三年後だ。 大マスコミがいかに煽ろうと小沢氏はそうした支持率などは歯牙にもかけないだろう。それよりも国民生活と国民経済をいかに浮揚させるか、効果的な政策を打たなければならない。    当然、まず何等かの手段を講じてネジレも解消し国会運営を正常化してから始めると思われる。そうしなければ首相と政権がいかに高支持率を得ていても国会は止まり解散は避けられない。  ネジレ国会は話し合えば良いではないか、という識者もいるが、それでは会期がいくらあっても足らなくなる。ネジレ国会は自民党政権下の安倍首相から麻生首相まで経験したが、彼らは衆議院に2/3以上の再議決に必要な議席を得ていた。それでも福田首相は「可哀想なぐらい苦労しているんですよ

政策論争をすることこそ肝要だ。

 なぜ選挙があるのか。選挙を行う目的は何か、という民主主義のイロハから論じなければならないのかと多少とも情けなくなる。もちろん大の大人がそうした小学生程度の知識は十分に熟知しているに違いないのだろうが、感情の前に知識が消えてなくなってしまっているのだろう。そうだとしたら、いかに学問を積んでも人間は感情に突き動かされる動物に過ぎないということなのだろう。    人は一人一人「人心面のごとし」というように考え方や心の持ちようは異なるものだ。それが団体ともなると同一歩調を取って一糸も乱れない、という方が異常なのであって、ことと次第では団体が分裂するのではないかと思えるほど喧々諤々たる議論を戦わすのが当たり前だ。  それが政権政党となると政策も国家観も一人一人が微妙に異なるのは当然で、そのために代表となるべく手を挙げた候補者は「所信」を述べて政策論争を戦わさなければならない。その中で取り入れるべきものがあれば良いと思われる政策を取り入れて、代表が選出された暁には政権としてより良い政策実現に党員が全員で協力し邁進しなければならない。    政策論争はウンザリだ、というのなら政権が何をやろうと国民はびっくり箱が開くのを固唾を呑んで見守らなければならなくなる。民主主義の重要な部分の欠落した状態に置かれるのを覚悟しなければならない。しかも菅氏が続投になるにせよ、密室での取引をしたという非民主的な手続きがこの国の政権運営に相応しいのか、大きな疑問と言わざるを得ない。  繰り返し言わざるを得ない。菅・小沢会談で変な取引はしないことだ。民主党史に大きな汚点を残すのは間違いなく、そこを衝かれれば政権はもたない。政権から正当性が失われれば、来年の三月末を待つまでもなく民主党政権は瓦解するだろう。それでも良いのなら、どうぞ政策論争も何もしないでポスト取引の菅・小沢会談による密室談合で代表選を回避すれば良いだろう。