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人としての矜持が感じられない。

 人は立場により変わるものだが、その落差が大きすぎると人としてのあり方が問われる。たとえば後輩に接する態度と先輩に接する態度に違いがあるのは当然だが、それがあまりに違いすぎると人間性に問題があると思われる。    菅氏の得意満面としていた態度が、相手に許しを乞う被疑者のような態度にはいささか驚いた。首相になった当初と昨日の予算委員会での態度のことだ。それは菅氏だけのことではない。攻める側の自民党の面々にも言える。鬼の首でも取ったかのようにいけ高な物言いをしていたが、政権を彼らが取ったわけではない。  菅氏らの愚かな言動で先日の参議院選挙で勝ちはしたが、参議院での第一党は民主党であることに変わりない。衆議院では圧倒的に民主党の方が多数だ。ただ参議院で13人ほど野党の数が多いだけに過ぎないのだ。    毅然として菅氏は国会に臨むべきだ。一国の首相として、堂々と胸を張るべきであって、たとえ参議院で議案や法案が次々と否決されようと、淡々と議事日程をこなせばよい。それを以てマスコミが政治が「立ち往生」と報じれば、残念だがその通りだと評すれば良い。法案が一本も通らず予算が執行できず国民生活に支障が出れば、それは首相の問題ではなく国会の問題だ。行政府の問題ではなく、立法府たる国会が機能していないと憮然としていれば良い。    問題なのは管氏の首相としての資質ではないだろうか。立場により豹変して民主党の政治主導の表看板たる国家戦略局の立法化をさっさと諦めてしまった。アツモノに懲りて膾を吹く、という諺がある。参議院敗戦ショックで民主党首相として本来何を為すべきか忘れてしまったのなら辞めるべきだ。首相が菅氏でなければならない必然性は何もない。  そして谷垣氏が「鳩山氏と小沢氏を国会に証人喚問すべし」とバカの一つ覚えの「政治とカネ」を持ち出した折に、「鳩山氏と小沢氏の何が問題なのか。二人とも検察は起訴しなかったではないか。罪に問われていない人たちに向かって疑惑があるがごとく言うのは人権上問題だと思わざるを得ない」ぐらいの毅然とした発言はできなかったのだろうか。人として背骨の感じられない人物に国民も政治家として信任しようという気にならないのも頷ける。    味噌も糞もごちゃ混ぜにするのが日本人の特性だ。渾然一体とした事象を分析するよりも、境界を曖昧にしたまま受け容れてしまう。その変幻自在な

エレベータでもあるまいに。

 局から室へ格下げになったかと思ったら、再び室から局へ格上げしようとしている。民主党の「国家戦略」の位置づけを巡って、まるでエレベータのようだ。    そもそも官僚制内閣の打破の目玉として国家戦略局と行政改革とを車の両輪として官僚制度改革しようとしたのが民主党マニフェストだった。それがあっという間に腰砕けとなり、局から室へ格下げする(菅氏だけは格下げではないと強弁しているが)と宣言したが、みんなの党の理解を得られそうな情勢から、法案整備を伴う「局」の設置に踏み切ろうとするものだ。    なんとも姑息な印象が拭えない。本当に官僚改革に「必要だ」と思えば、たとえ野党に否決されて成立しなくても胸を張って「局」設置の法案を提出する「腹」がなかったのだろうか。なんとも小粒な内閣だろうかと慨嘆しきりだ。    正しいと思えばそれが日の目を見ようが見まいが、議案として国会審議に提出することだ。野党が多数を占める参議院で否決されようと、国民はその議案の中身と審議過程を見詰めている。だから内容が正しければ否決されようと民主党の汚点にはならない。国民はそれほど無知蒙昧の輩ではないはずだ。    反対に谷垣氏が菅氏に「政治とカネ」で鳩山氏と小沢氏の証人喚問を要求した際に、なぜ「国会の話し合いに任せる」なぞと紋切り型の答弁で逃げたのか。なせ゜「具体的に「政治とカネ」とは何が問題なのか」と聞かなかったのだろうか。谷垣氏に説明させれば良いのだ。まさか検察が不起訴とした一件で小沢氏や鳩山氏を追い詰める「ブツ」を持っているとは思えない。ただ民主党潰しの検察と大マスコミの戦略に沿って発言しているバカな総裁に過ぎないのだから。    仲間の政治家が国家権力とそれに寄り添うマスコミ権力がタッグを組んだチームにやられているのに、それに乗って更に攻めるとは政治家としの見識に疑問を持たざるを得ない。検察とマスコミがこれまで何をしてきたのか、冷静に検証してみれば分かるだろう。彼らは常に親米官僚を擁護し、親米政策から外れようとした政治家を政治の表舞台から抹殺してきた。  その最大の例が中国マターを利用して親米占領政策から脱却しようとした田中角栄氏だ。日本の司法史に大きな汚点を残す「嘱託尋問」と「司法取引による米国内での証言を国内法廷で証拠採用する」という事後法でも最悪の「超法規」を以て田中角栄氏を裁こうとした。そ

国会が機能不全に陥って、この国はどうなる。

 いよいよ今日から臨時国会が始まる。本来なら参議院選挙後の新議員構成による参議院内の人事が眼目で、参議院議長などを決めてシャンシャンで終わるものだ。しかし、今回は先の通常国会で審議すべき予算委員会を民主党の「菅人気の高いうちに早く選挙をやりたい」との都合で当初予定通り閉じてしまった。その穴埋めに予算委員会を開くことになっている。攻められたとしても、ネジレ国会にしたのも野党の怒りに油を注いだのも菅氏の責任だ。    事業仕分けは現在行われている数ある制度事業や補助事業を整理する、いわば「引き算」の作業だった。既にあるものを批判してやり込めるのは比較的簡単だが、今国会から枝野氏が与党幹事長とすべきは野党協力を仰ぐ「足し算」の作業だ。事業仕分けでは相手をやり込めるだけだから相手の立場なども考慮する必要はなかったが、足し算の駆け引きは言いたい放題の相手に「かわいそうなくらい」苦労するだろう。いや、そうした努力も捨てたものではないかもしれない。せいぜい苦労して人間性を磨く絶好の機会だと思えば良いのだ。    墜落ヘリの取材で日テレカメラマンと記者が山へ入り遭難して命を失った。一度は山へ入って引き返したガイドは「装備に不安があった」と話している。しかし日テレ幹部は充分な装備だったとしている。食い違いは明らかだが、どちらが間違っているかは結果から見る限りは日テレ幹部の方だ。装備が不十分だから遭難して命を落としたのだ。記者としてあるまじき行為だ。現場へ近づき「絵」を撮りたいと思う気持ちは分かるが、記者が記事になってはいけない。カメラマンは学生時代山岳部に所属し登山経験があったというが、それならなおさら遭難してはならなかった。登山で最も必要なのは引き返す勇気だ。    ネジレ国会だからと菅氏や枝野氏はアタフタしないことだ。民主主義は議論を重ねて最大多数の同意を得る作業だと観念することだ。そのためには効率性は度外視して、国会会期を延長に次ぐ延長をしてでも徹底的に話し合うことだ。  ただ、水面下の多数派工作はどうなっているのかと気になる。議案ごとの部分連合にせよ、同一会派を組むにせよ、条件提示をして話し合うターゲットを決めて秘かに接触していなければ話にならない。野党と正面切ってやり合うだけなら相手は菅政権を舐めきって、それこそ「イラ菅」が怒りに任せて「解散だ」と叫ぶのを待つだろう。無策な

ある番組を視聴していたら…。

 昼に「そこまで言って委員会」という政治バラエティを視聴していたら、偶々テーマがそうだったのだろう、韓国と日本を比較して「どちらが優れいているか」と無意味な質問を番組が出演している数人のコメンテーターにした。すると出演していたすべてのコメンテーターが韓国の方が優れているとの評価を下した。揃いもそろって番組はなんとも自虐的な連中を集めたものかと驚いた。    彼らすべてが韓流ファンで韓国へ移住を希望しているのかというとそうでもなさそうだったが、さもしたり顔で「韓国には兵役があるから、青年が凛としている」と褒めそやす者がいたりした。確かに海外成長戦略でも政府と企業が一緒になって原子力発電所や高速鉄道を海外へ売り込み一定の成功を収めている。しかし技術の積み上げと安全性のレベルでは日本の方が格段に優れているのは異論のないところだ。    日本人はプレゼンが下手というよりも、自身を売り込むのに気後れするところがある。それが海外へ売り込む際に障害になっているのだが、短期的には後れを取っても長い目で見れば必ず海外も日本の真価を正当に評価するだろう。それは男女の付き合いに似ている。控え目で口下手たが日本人のまじめな手堅さは必ず認められる。短期的な勝敗にこだわらないことだ。    それにしてもバラエティ番組の恐ろしさは一定の意見にすべての出演者が簡単に同調することだ。元竹中氏のブレーンだった元官僚が老評論家に「小泉・竹中時代に地方は疲弊した」と責められると「構造改革が不十分だったからです」と恥じることもなく言い返し、それで納得したのか老評論家は沈黙した。  構造改革が中途半端だったとしたら、なぜ竹中氏はさっさと任期途中の国会議員を辞職して大学へ帰って行ったのだろうか。構造改革が中途半端に終わったから半端な結果になっているかというと、そうではないだろう。これ以上構造改革を進めるのが危険だと国民が気付いたから、彼らは早々と舞台から降りてしまい小泉氏も議席を倅に譲ったのだろう。彼らの時代に何が起こったか、国民は鮮明に記憶している。  まずは債務超過に陥った銀行の不良債権処理と称して公的資金を入れて国有化し、それを廉価でハゲタカファンドに叩き売ったではないか。しかも今になれば改革の本丸だった郵政でも国有財産を仲間の不動産屋へ廉価で売り飛ばし、それを転売して莫大な利益を上げていた実態が明らかに

検審会へ出した上申書はいつから公開になったのか。

 今朝の読売新聞を開いて驚いた。小沢氏が検審会へ提出したとする上申書への論評が掲載されているのだ。いつから裁判所の検審会へ提出した上申書が公開されることになったのだろうか。それとも裁判所が公開すべしと判断してマスコミ各社へ通告したのだろうか。とんでもないことが起こっているのではないかと疑念を抱く。    その論評も実にいい加減だ。故意にいい加減な論評を掲載しているのではないかと疑いを持つほどだ。  小沢氏から10月中旬に陸山会へ4億円貸し付けたのが記載されていないが、10月下旬には銀行から4億円借り入れて同額を銀行の定期預金へ戻している。これを以て小沢氏個人資金の偽装の疑いがあるとしている。  彼らには個人と団体との会計区分の概念はないのだろうか。小沢氏が個人の口座から土地購入資金として陸山会へ4億円融通したのだろう。おそらく銀行に融資を申し入れたが10月29日の決済日に間に合うかどうか判然としなかったのだ。だから小沢氏個人が立て替えた。この4億円の記載を巡って問題がある、としているのが今回の政治資金規正法で石川氏が起訴された核心だ。    大企業ならいざ知らず、中小零細企業経営者なら日常的に資金繰りで個人の金を会社のために立て替え、銀行融資が実行できた時や売り上げがあった時点で個人の口座に戻すことを行っている。なにも不思議なことでないばかりか、それを以て個人資金の不透明な取引だとは思っていない。ただ事業であれば総額主義の原則ですべてを記載しなければならないが、政治資金規正法の収支報告書は仕組みそのものが実にいい加減で仮受金や仮勘定は記載要件になっていない。記載してもしなくても良いのだ。    そしてそれが、政治資金が小沢氏の個人的な蓄財になっているとか、4億円を隠蔽するための手だったとするのなら政治資金規正法の問題ではなく、国税庁の個人所得査察部の問題だろう。マスコミは味噌も糞もごちゃ混ぜにした論法で国民の目を眩ますのは止めた方が良い。しかも検審会委員がすべて入れ替わり、新しい委員で民主党の代表選後に議決が出るだろうとの憶測記事と一緒に掲載するとは、考えようによっては資金繰りに詳しくない市民に事前に小沢氏の政治資金なる予備知識を与える意図があると勘繰られても仕方ないだろう。  検審会は検察判断がどうなのかを審査する機関であって、裁判官のように判決を下す機関ではない

公務員改革はどうなるのか。

 人事院が公務員の若手や中堅の給与が民間と比較して低いため上げる方向で勧告するという。この時期にそのような勧告をするとは驚きを隠しえないが、人事院のいう民間とはどのような水準を指しているのだろうか。ぜひとも比較の根拠とするモデルケースの年齢別給与を知りたいものだ。    多くの国民は公務員給与が低いとは思っていない。民間では企業収益が悪化して経営が苦しくなると株主配当もなくなるし、従業員への賞与もなくなる。そして給与構造そのものも四十代後半から五十にかけて一度企業内で退職して、別の給与体系へ移行するのが普通になっている。    公務員給与体系がどうなっているのか、総合的な検討を人事院はきちっとしているのか、すべての号俸や指数などとそれぞれの対象人数を国民の前に示してもらいたい。  そしてあらゆる手当と支給基準も詳らかにしてもらいたい。それらが妥当なものか、人事院などの官僚や有識者が判定するのではなく、国民に判定させることだ。公用車そのものや運転者なども、民間のレンタルやハイヤーとどちらが割安か、国民に子細に検討させてもらいたい。    本来なら国会議員がすべきことだが、彼らは怠慢なのかそうしたチマチマしたことに余り目を向けなかった。その結果、公務員給与は基本給は低く抑えているが各種手当で十分に補っているとか、公用車の運転者は手当の方が基本給よりはるかに多いとか、様々なことを仄聞する。ただし仄聞するだけで確たる証拠を持っていない。    予算書には公務員給与がモデルケースごとにすべて明らかになっている。しかしそれがすべてなのか疑問を持つ。こっそり何かやっているのではないかと疑ってしまう。たとえば不用額を使い切ったとして文房具費などの領収書を取って裏金として流用していないか、とか。  あるいは食糧費や需要額の中に手当てに近いものを潜り込ませていないか、とか。公務員への信頼関係が崩れると、やがて国家との信頼関係が崩れる。そうすると国民は国家への公的負担はビタ一文なりとも支払うのは嫌だと思うようになる。    菅氏がなぜ参議院選挙で負けたのか、理由は明らかだ。国民の側にいたと思った民主党の首相が財務省そのものの顔をして「増税」を高らかに謳いあげて、「増税論議は真っ当な議論だ」と息巻いたからだ。  国家財政が豊富な剰余金に恵まれ余裕たっぷりだとは誰も思っていない。しかし表面的

これが米国の実態だ。

 この年の春先、トヨタ車の欠陥による急発進(急加速)と米国で騒ぎになった。米国議会で公聴会まで開かれ、欠陥車で被害にあったとする女性が出て証言までした。しかし、当初から証言に不審な点がいくつかあった。まず、運転中に彼女のレクサスが急加速したのでブレーキを踏み込んだが制御できず、サイドブレーキまで掛けたが減速しなかった。次にミッションレバーをバックに入れたが何ら効き目はなかったという。    しかし、どういうわけか彼女は無事で彼女の乗っていたレクサスは走行距離8000キロ程度で転売され、それを購入した男性は購入後6万キロ走った今も何ら不具合はないという。  その時点で、彼女の勘違いは明らかだった。アクセルからブレーキに踏みかえたなら、車は必ず制御できる。たとえ電子制御に不具合があって加速し続けたとしても、ブレーキを踏み込めばブレーキの方が勝るように車は安全設計されているものだ。さらに前進中にミッションレバーをバックに入れることは不可能だ。入らないような仕組みになっている。それでもバックに入ったとしたら、変速機は破壊されているはずだ。    そうしたことは多少なりとも車の知識がある者なら気づく初歩的なものだ。それが100人からいた合衆国国会議員も取材していた大勢のマスコミ関係者も疑問を呈さないばかりか、トヨタはけしからん、との非難の大合唱になった。  当時、米国の車産業はGMやクライスラーが破産して国から公的資金を数兆円も注ぎ込む壊滅的な状態にあり、トヨタなどの日本車が一人勝ちだった。それがトヨタ欠陥車の原因だったと思われる。いわば米国議会は集団ヒステリー状態にあったのだ。そこへのこのこと米政府官僚が出掛けて「実はアクセルとブレーキの踏み間違いの公算が大」とは証言できなかったのだろう。それで公聴会はトヨタ社長を召喚してとっちめてやろう、ということになった。民主主義と公正・公平を重んじる風土の国家にしてこの体たらくだ。    普天間基地移設先がどうしても辺野古沖でなければならないとするのは結論ありきの為にする議論のように思えて仕方がない。国会に召喚すべきは辺野古沖を主張する米軍関係者と日本で合意形成に動いた官僚たちだ。彼らを呼んで、徹底的にすべての国民に分かるまで問い詰め、説明させて戴きたい。それが国益と国防を担保する日本国内の米軍基地に関する問題なら日本国民の当然の権利

疑惑解明が国会の責務か。

 またしても「政治とカネ」なる括り文句が記載されている。疑惑と称して鳩山氏と小沢氏の「説明責任」なるものを果たせというのだ。それがいかに人権を軽視しているか、このブログで繰り返し警告してきた。公人たる政治家にプライバシーがないとするのには同感だが、人権までもないかのようなマスコミのあり方には反対だ。    それでは反対に質問する。鳩山氏と小沢氏に関する「政治とカネ」なる問題とは何か、疑惑とは何かを論理的に説明していただきたい。ちなみに検察では鳩山氏は「贈与税」の支払いを以って、巨額な「子供手当て」は母親からの生前贈与として処理された。事件にはなっていないし、それがどのように使われたかは鳩山氏の問題であってわれわれの関知するところではない。    小沢氏の件に関しては鳩山氏よりももっと明快だ。修正申告による贈与税の支払いすらない。拘留中のゼネコン社長が「小沢氏に5000万円献金した」とする証言から立件を目論み強制捜査にまで踏み切ったが、証拠とするブツは見つからなかった。  いうまでもなく日本は法治国家である。法と証拠に基づいてのみ刑事訴訟法によって起訴される。市民感覚で「起訴相当」とはもっての他なのだ。それが許されている検審会なるものの存在は法治国家にとって注意すべき類のものだ。少なくとも市民代表とされる検審会のメンバーが公開されないばかりか、審査過程の議事録すら非公開だ。それなら補助員と称する法律専門家がどのようなサジェスチョンを検審会委員に与え、どのように法解釈をしてみせたのか分からない。  しかし、検察は小沢氏を「不起訴」としている。あれほど小沢氏を刑事被告人にしようと執念を燃やし、大マスコミに捜査情報をタレ流した結果「無罪」なのだ。それが「法と証拠」に基づく刑事訴訟法での結論なのだ。だが、法と証拠に基づかない「市民感情」なる超法規で小沢氏を起訴しようと目論んでいる人たちがいるようだ。その恐ろしさを日本国民はそれほど深刻に考えていない。いや、連日の「灰色疑惑」なる大マスコミの報道で国民に小沢氏の歪曲されたイメージが刷り込まれているのだ。検察・警察権力とマスコミが結びついたのは戦前・戦中の暗黒時代を髣髴とさせる。特高警察と治安維持法の支配する社会だ。    小沢氏は検察により捜査されて不起訴になった。その人に向かって「国会で説明しろ」とはいかに理不尽なことか考えた

辺野古沖案は現実的ではない。

 沖縄知事選挙で誰が当選しようと、辺野古沖の公有水面埋め立てに同意しないだろう。たとえ民主党が辺野古沖への移設を公約に掲げる知事候補を担いだにせよ、当選は覚束ない。つまり日本の法律により沖合を埋め立てるには知事の提案による県議会の同意が必要な限り辺野古沖への移設案は現実的でない。    その案に固執する米国の真意は何だろうか。海兵隊は米国予算が減額されて遅れるにせよ、大部分はグアムへ移転することになっている。いや大部分ではなく、すべてだとする話すらある。海兵隊の定数は18000人だが、実数は12000人が沖縄に駐留しているに過ぎない。米軍海兵隊はすべて沖縄からグアムへ移転するが、国家予算が逼迫している米国は日本から支出される思いやり予算をグアムの米軍へ運用しようとしている、とする穿った見方すらある。    つまり辺野古沖に作るのは普天間基地の移設ではなく、新たな空母級が接岸できる港湾とヘリ部隊のための空港ではなく、艦載機の発着訓練のための滑走路が必要なのだという。だから橋下府知事が関空へ移転すれば良い、とアドバルーンを打ち上げても大マスコミや米国は無視したのだ。空母が直ちに極東のしかるべき海域へ展開するには沖縄が適している。瀬戸内海の奥深い太平洋側の関空では速度の遅い空母が即応できないのだ。    本当に移設するのが海兵隊ヘリ部隊なら滑走路が必要でないのは明らかだ。広場さえあれば着陸できるし、そのためのヘリではないのか。ほとんどの実戦では着陸さえしないのではないか。それが執拗にV字型の滑走路でないと半島部分の住宅地上空を通るとか、あたかも飛行機を想定した話ではないだろうか。    現実に普天間基地に飛行機が離着陸しているのは知っている。それが実戦部隊に必要なことなのか、物資補給の貨物機だったら、ヘリに代えれば良い。そして、それでも辺野古沖の埋立基地が必要だとするなら、本当の理由を日本と米国政府は日本国民に説明する義務がある。決して捏造話や「学習すれば学習するほど…」などといった誤魔化しはしないことだ。    まことしやかに北朝鮮が韓国に攻め込んだ際に米軍属と邦人脱出と保護のために米軍海兵隊が必要だとする説明がなされているようだが、3万人とも5万人ともいわれる米軍属と6万人とも8万人ともいわれる邦人の脱出にどれほどの艦艇が必要かシュミレーションがなされているのなら国民

どの政権でも財政再建をする、とは傲慢な。

 財政規律を守ることと財政再建とは似ているようで別物だ。野放図な歳出を放置するのは適切でなく、財政規律は厳しく守らなければならない。この場合の財政規律とは新たな国債増発に頼らないで財政運営すべく鋭意努力することだが、財政再建とはとにかく歳出よりも歳入を多くすることに他ならない。    来年度歳出予算を71兆円のシーリングに10%削減目標としたのは財務省の良くやる手だ。各省庁の政策的支出を勘案するよりも一律削減というのは余りに無策だ。  しかも71兆円とは今年の91兆円から公債費(国債金利)20兆円を控除したものに過ぎず、今年が従来の自民党予算に民主党マニフェスト部分を載せた二階建てにより膨らみ上がった予算だった。それを前提として来年度予算を組むというのは各省庁は何等削減しなくて良いという水脹れから10%国民への説明アリバイ工作として削減するに過ぎない。    しかも71兆円には国債元金償還部分10兆円が含まれている。つまり償還と返済と両建てになっていて、予算総額が膨れ上がっている。つまり、来年度も新たな国債発行が積み上げられることとなり、国家財政が破綻へ向かって突き進んでいる印象を国民に与えるのに申し分ない編成となっているのだ。要するに、来年度償還部分を削減し、両建て部分を削減すれば総額は61兆円となり、新たな歳出予算が10兆円浮くことになる。    財務省は何でも国債が最悪な財政破綻へ向かって膨張し続けていると国民に喧伝したいようだ。確かに、日本の国家も地方も財政は火の車だ。しかし今日明日にも破綻する状況ではない。  国民に財政は危機的だというのなら、首相に特別記者会見させて無意味な財政危機を煽って見せるよりも、まず為すべきは常識的な改革から手をつけるべきだろう。    どの民間企業でも業績が悪化して破産へ向かっていれば冗費を削減し役員や従業員の賞与をカットし、次に不採算部門を閉鎖し従業員を削減するだろう。この国は(地方も含めて)財政危機に見舞われているとマスコミが宣伝を始めてから公務員給与を何%カットしたのだろうか。この夏の賞与を出さなかった省庁があっただろうか。地方自治体では早くも市長が50%給与カットとか、議員定数見直しとかどんどん実施されている。国民に負担増を求めるなら、その前にすべきことがある。    ネジレ国会で菅氏が何をすべきか、そんなことは特別記者