なんとも珍妙な「日本の自殺」論理だ。
産経に「日本の自殺」なる珍妙な論文が掲載された。現在の日本という国家は「自殺」へ向かって突き進んでいるという。 何が「日本の自殺」なのかと読んだら、どうやら「国家財政破綻」が国家の自殺だという。あり得ない事態を大袈裟に表現して注意を喚起するのは文学的だが、決して論理的ではない。 財務省のいう通り国と地方自治体の借金総額が1000兆円も現在あるとするなら、徴税だけで返済するのは至難の業だ。考えてみると良い、1%の利率でも毎年10兆円も必要となるし、現在でも一般会計の歳出は歳入を40兆円以上も上回っている。それを増税だけでバランスさせて、さらに借金返済するにはどれほどの税を徴収すれば良いというのだろうか。 消費税1%で2兆円程度の税収、というのは消費行動が常に固定的だという前提の下での話だ。そうしたあり得ない前提の下で単純に40兆円ほど増税するには20%の消費税が必要となり、現行税率と合わせれば25%となる。それでバランスするという説だが、財務官僚の多くが東大法学部卒業者だというが、それにしては論理が実に単純過ぎて現実から遊離しているといわざるを得ない。 そんなバカなことをすると、日本で消費する必然性のない層は海外へ集団で移転するだろう。年金を円で受け取り、海外で暮らす方が格段に暮らしやすいだろう。そうすると日本国内での消費がガタ落ちになることを予想しなければならない。第一、国内が何もしなくても20%の物価上昇となり「すべての物価高騰」に国民は塗炭の苦しみを味わわされることになる。 さらに国内企業は原材料の調達が高額になるため海外へ移転させざるを得ない。それは工場だけではなく、企業そのものを移転させることも選択せざるを得なくなるだろう。そうすると職を失った人たちが路上にあふれ、消費はますます縮小するだろう。つまり、消費税率を25%にしても消費税収が4倍も増えることはあり得ない。社会保障も1000万円を超える高額所得者でも年齢が65歳を超えれば年金がもらえるが、貧困所帯は食えない国民年金でも暮らさなければならないという社会保障のありようを議論しない社会保障の一体改革とは何だろうか。 まず、底の抜けたバケツを何とかしなければいかに増税しようと困難だ。GDPの約5割近い部分は個人消費だ。消費税増税はそれを冷え...