タトゥーは「ファッション」や「若気の至り」では済まされない。
<お笑いタレント・千原せいじ(54)が9日までに自身のYouTubeチャンネルを更新し、日本におけるタトゥーへの“偏見”問題について語る場面があった。
スタッフから「タトゥーへの偏見はありますか?」と質問されると、せいじは「タトゥー嫌いな人の意味が分からへんねん」とキッパリ。
「だって、自分には一切関係ないやんか。タトゥーを好きな人が入れてるだけやん。何にも周りに迷惑をかけるわけでもなく」と理由を説明した。
また「なんかタトゥー見たら“怖い”とか言うけど、それはお前の感じ方やから。俺は別に怖いとも何とも思わへんしな。なんで自分の感覚を押し付けるんやろって思うな」と語っていた>(以上「スポニチ」より引用)
「千原せいじ、タトゥーへの偏見問題で持論“怖い”という声に「それはお前の感じ方。俺は何とも思わへん」」とは千原氏の感想であって、それを一般化することはできない。普通の日本国民はタトゥーを入れた人を見ると「怖い」と思う。
「千原せいじ、タトゥーへの偏見問題で持論“怖い”という声に「それはお前の感じ方。俺は何とも思わへん」」とは千原氏の感想であって、それを一般化することはできない。普通の日本国民はタトゥーを入れた人を見ると「怖い」と思う。
なぜなら、かつての日本ではタトゥー(入れ墨)はアウトローの象徴だったからだ。江戸時代は犯罪者、もしくは帳外者(人別長ら外れた者)の印だった。だから一般人は入れ墨を入れた人を敬遠した。
近現代でも入れ墨はヤクザの専売特許だった。彼らは自らをアウトローだと宣言するために背中の彫り物をひけらかした。そうすることで「俺と関わると良いことはない」と世間に無言の「圧力」をかけた。
そうした風潮がまだ日本社会には残っている。若い人(もう若いとは思えない人も)が他人の目に見えるところにタトゥーを入れるのも無言の「圧力」が欲しいのだろう。いやファッションだ、というのなら簡単に剝げるシールを貼れば良いだろう。
断っておくが一度タトゥーを入れると簡単には消せない。皮膚下に入れた色素は皮膚ごと剝ぎ取るしかないからだ。最近ではレーザーで何とかなる、という話も聞くが、それも完全に消えるものではないようだ。
だから若い時に入れたタトゥーと生涯付き合うしかないことを覚悟しておくべきだ。それは若い時の価値観、人生観のまま生涯1ミリとも成長しないということでもある。タトゥーがファッション感覚であれば、流行が過ぎ去ったデザインのタトゥーを生涯他人に見せ続けなければならないことを覚悟すべきだろう。
千原氏が「僕は気にせえへん」というのは勝手だが、少なくとも多くの人は他人のタトゥーを気にする。「あの人は生涯、あのタトゥーと付き合うのか。可哀そうに」と気にする。
そういう意味で千原氏は極めて自己中心的な人物だと思われる。他人がどうなろうと「気にしない」というのだから。そうでないなら「若気の至りは、若い時にしか許されないから、生涯消えないタトゥーを若さに任せて入れるのは感心しない」と警告すべきではないだろうか。千原氏も「若気の至り」という時代はとうに過ぎたはずではないのか。