ロシア国民は命が惜しいからプーチン万歳と唱和している。それだけのことだ。

摂氏マイナス30度の「ホッキョクオオカミ」刑務所
 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を批判し、昨年12月に北極圏のヤマロ・ネネツ自治管区にある刑務所に移された反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が2月16日獄死した。ナワリヌイ氏は2020年8月モスクワに向かう機中で致死性の神経剤ノビチョクを盛られたことがあり、西側からプーチンの責任を追及する声が続いた。
 露国営タス通信によると、ナワリヌイ氏は16日、摂氏マイナス30度まで気温が下がり「ホッキョクオオカミ」の異名がある刑務所で散歩した後、気分が悪くなり失神した。必要な蘇生処置が施されたが、ナワリヌイ氏は回復せず、救急隊員は死亡を宣告した。ナワリヌイ氏は2月13、15日、地裁による控訴状のビデオ審問に参加しており、体調は良好そうだった。
 英紙タイムズ(2月17日付)は、ナワリヌイ氏の死が確認される2日前、ロシア連邦保安局(FSB)の職員数人が刑務所を訪れ、設置されていた監視カメラや盗聴器を切断し、分解したと報じた。この訪問はロシア連邦刑務局の地元支局の報告書に記載されていた。ロシアの反汚職・人権団体Gulagu.netによると、ナワリヌイ氏の死は異例のスピードで発表された。
 死亡時間の2分後に刑務所は広報文を発表。4分後にメッセージアプリ「テレグラム」で死因は血栓塞栓症と明らかにされ、7分後にはモスクワのドミトリー・ペスコフ大統領報道官がメディアにこの件について語った。「心不全」と記された死亡診断書を受け取ったナワリヌイ氏の母リュドミラさんが霊安室に到着すると、遺体は別の場所に移され消えていた。

ナワリヌイ氏は300日懲罰房に入れられ、睡眠を奪われた

 また、独立系ノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ紙(2月18日付)によると、死亡前日の夕方、刑務所の敷地内に車両が到着した。看守たちは翌朝一番に受刑者の独房を徹底的に捜索し、見て見ぬふりをしていた携帯電話やトランプカード、コイルヒーターまで押収した。看守たちは外部監査があるかのような口ぶりで、違反が見つかるのを避けたかったようだ。
 受刑者は密かにノーバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ紙の取材に応じ「ナワリヌイ氏が亡くなったのは公式発表よりもずっと前のことで、おそらく前日の夜だったのだろう」と推測した。ナワリヌイ氏の広報担当者は「彼は約300日懲罰房に入れられ、睡眠を奪われ、医療を拒否され、粗末な食事を与えられていた」とロシア当局の対応を批判した。
 モスクワではナワリヌイ氏の死を悼む花束の山が治安当局によって跡形もなく取り除かれ、人権団体の集計では全国各地の追悼イベントで数百人が逮捕された。ナワリヌイ氏は大統領になる決意を表明した時「ロシアの統治方法を変え、この国で暮らす1億4000万人が貧困に苦しむことなく、普通に暮らせるようにしたい」と述べた。
 2月17日夜、ロンドンの在英ロシア大使館前にはナワリヌイ氏の遺影が掲げられ、たくさんの花束が手向けられた。ロシアのウクライナ侵攻直前に仕事でロンドンに移ってきたロシア人女性マリヤさん(30)は「こんな悲劇が起きたことを信じるのは難しい。ここに来て同じように感じている他の人たちと時間を共有し、つながりを感じることができた」と話した。

プーチンはナワリヌイ氏を名前で呼んだことがない

「プーチンのエゴは巨大で、3月のロシア大統領選に立候補できなくても彼と人気を争うような人物が生きていることに耐えられなかったのだろう。ロシアではさまざまなことが起きているが、現在の悲劇の大きさは想像もできなかった。それが今後数年でどこまで膨らんでいくのか。プーチンが存在する限り、ロシアは地球上で最悪の場所だ」(マリヤさん)
 2006年、致死性の放射性物質ポロニウム210を盛られて暗殺されたFSB元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏の妻マリーナさんは筆者のインタビューに応じ「ナワリヌイ氏の将来について最悪の結末を感じていた。最も厳しい刑務所に送られた時、彼の命はすでに危険にさらされていた。とても悲しく、かつ非常に腹立たしい」と話した。
「プーチンのやることは論理的ではない。プーチンがなぜこんなことをしたのか誰にも理解できない。プーチンはナワリヌイ氏を名前で呼んだことはない。それはプーチンが彼を恐れていたからかは分からない。しかしプーチンは自分より魅力を持ち、人気を集める人物が存在することを常に恐れていたのだ」(マリーナさん)
 ロシアの独立系世論調査機関レバダセンターによると、プーチンの支持率は85%。3月の大統領選を心配する必要は何一つない。「プーチンは自分に不利になることは何一つ許容できない。そのためにどんな反対勢力も対立候補をも排除する。パラノイアと呼ぶほかない。ロシアには弾圧を恐れてプーチンに反対しない消極的な支持者がいる」とマリーナさんは語る。

「ロシアは真の民主主義社会とは無縁」

「ロシアは本当の民主主義社会とは無縁だ。ロシア人は民主主義が正しいと信じていない。彼らにとって安定こそがどんな民主主義より大切なのだ。プーチンを支持する人がプーチンを支持していないように見えるのはこのためだ。旧ソ連崩壊と同じような変化が起きれば、また1990年代の困難や苦しみがもたらされると恐れている」(マリーナさん)
 プーチンは憲法を改正し2期12年、83歳まで大統領に留まれる。「ロシア人にとって何の意味もない。ロシアの民主主義、憲法、法律、政策はすべて虚構だ。彼らは権力だけを信じている。プーチンに反対を唱えようものなら投獄される。彼らはそれを恐れ、自分たちの権利のために闘うチャンスがないことを知っている。それがロシア社会のすべてだ」(同)
 マリーナさんは「ナワリヌイ氏が非常に著名な野党活動家であったとしてもロシアの主要な人口にはそれほど浸透していなかった。しかし彼は、少数派だが非常に活動的でロシアの未来と呼べる若者たちのリーダーで、象徴だった。ナワリヌイ氏の死で何かを変えたいと思っているロシア人たちが結束して闘うきっかけになることを期待したい」と話した。
 間もなく3年目を迎えるウクライナ戦争について「一線を越えたプーチンはあきらめることはできない。プーチンの周辺にいる人々はこの戦争で利益を得ている。自由と民主主義を犠牲にしてロシアとビジネスを続ける国や企業に呼びかけたい。これは単なるビジネスではなく、戦争犯罪に関与しているのだ」と語気を強めた。

腐敗の闇に真実の明かりを灯す迫力

 プーチンが地球上で最も恐れたのは2大超大国のジョー・バイデン米大統領でも中国の習近平国家主席でもない。1989年のベルリンの壁崩壊と同じように体制を転覆させる大衆蜂起を引き起こす力を秘めたナワリヌイ氏だ。モナコの39倍の広さで建設に1000億ルーブル(約1600億円)超かかった黒海沿岸の「プーチン宮殿」を暴いた動画は1億回再生された。
 自らのノビチョク暗殺未遂では英調査報道機関ベリングキャットの協力で、プーチンの出身母体FSBの化学兵器専門グループの工作員8人の関与を突き止めた。その一部始終を記録した22年のドキュメンタリー映画『ナワリヌイ』が英BBC放送のストリーミングサービスで公開されているので視聴した。
 ベリングキャットの調査報道ジャーナリスト、クリスト・グローゼフ氏は、20年8月、モスクワからノヴォシビルスクに向かい、トムスクからモスクワに戻る予定だったナワリヌイ氏の航空機の前後の便の搭乗者名簿を調べた。8人のうち3人がナワリヌイ氏の動きを追っていたことが判明した。その1人は17年からナワリヌイ氏を尾行していた。
 治安当局高官になりすましたナワリヌイ氏のオトリ電話にFSB将校の1人は、ノビチョクが投与された方法やFSBの関与、隠滅工作を詳細に証言した。ナワリヌイ氏を乗せた便が緊急着陸せず、そのままモスクワに向かっていれば、ナワリヌイ氏暗殺は成功していた。2017年にも暗殺作戦は実行されていたが、失敗に終わっていた。
 プーチンが恐れたのは腐敗の闇に真実の明かりを灯すナワリヌイ氏の迫力だったに違いない>(以上「JB press」より引用)





大統領選で再選確実視されているのに…なぜプーチンはあれほどナワリヌイ氏を恐れたのか」と木村正人(在ロンドン国際ジャーナリスト)氏は私たちに問いかける。そして木村氏はその回答として「「プーチンが地球上で最も恐れた男」が極寒の刑務所で獄死」と暗示してみせる。
 牢獄に閉じ込めたナワリヌイ氏をプーチンが恐れたのは彼個人の存在ではなく、彼の思想がロシアに蔓延することを恐れたのだろう。彼を殺害すれば彼の思想の滅びる、とプーチンは考えたのだろうが、それは逆だ。

 ナワリヌイ氏を殺害したことによって、彼の思想は永遠のものになった。ナワリヌイ氏の睡眠を奪って、理性的な思考を阻止した状態で「プーチンを批判したすべてを懺悔して反省する」というプロパガンダ・ビデオを作ってナワリヌイ氏を思想的に葬ることが出来なかったから、最後の手段に打って出たのではないだろうか。
 しかし、それこそが最悪の悪手だった。ナワリヌイ氏は永遠に転向することが出来なくなった。彼の遺体が何処にあるのか分からないという。それもロシア人に特有な考え方だ。ロシア帝国を打倒したレーニンたちはロシア皇帝の墓を作らせず、彼の遺体すら何処にあるか分からなくした。その同じ轍をプーチンは踏んでいる。まさに世紀を超えた時代錯誤の中にプーチンは棲息している。

 「ロシア人にとって何の意味もない。ロシアの民主主義、憲法、法律、政策はすべて虚構だ。彼らは権力だけを信じている。プーチンに反対を唱えようものなら投獄される。彼らはそれを恐れ、自分たちの権利のために闘うチャンスがないことを知っている。それがロシア社会のすべてだ」とは、ナワリヌイ氏の妻マリーナ氏の言葉だ。
 彼女の言葉こそが真実だ。独裁者の本質を鋭く突いている。独裁者は常に自分だけの暖衣飽食を望んでいる。国民は搾り取る奴隷でしかない。そのことをロシア国民は薄々知っている。しかし命が惜しいからプーチン万歳と唱和している。それだけのことだ。

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