再び戦禍は迫っている。

<高市早苗総務相が終戦の日の15日、東京・九段北の靖国神社に参拝する方向で調整を進めていることが分かった。関係者が明らかにした。終戦の日に閣僚が参拝するのは4年ぶり。
  高市氏は昨年9月の内閣改造で総務相に起用されて以降、初めて終戦の日を迎える。昨年10月の秋季例大祭の際は靖国神社を参拝したが、今年4月の春季例大祭は新型コロナウイルス感染拡大に伴う外出自粛要請を踏まえて参拝を見送っていた。高市氏は平成26年9月から約3年間、総務相を務めた際も27年と28年の終戦の日に参拝している。 
 一方、安倍晋三首相の参拝について、菅義偉官房長官は11日の記者会見で「首相が適切に判断する事柄だ」と述べている。菅氏自身の参拝も「同様だ」と説明した。安倍首相は25年12月に参拝しているが、終戦の日に関しては24年12月の第2次内閣発足以降、昨年まで7年連続で自民党総裁として私費で玉串料を奉納し、参拝はしていない。
  超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)は新型コロナの感染拡大を受け、15日の一斉参拝を中止すると決めている。尾辻氏と議連事務局長で日本遺族会会長の水落敏栄参院議員の2人が代表して参拝する。首相の実弟の岸信夫衆院議員は13日に参拝した>(以上「産経新聞」より引用)



 国家のために戦って殉じた先人たちに敬意を払わない国は世界の何処にもない。しかも日本は憲法で思想信条の自由が保障されている。国務大臣たる高市氏が靖国神社に参拝しようと、誰からも批判されるべきではない。
 キリスト教徒だから神社に参拝しない、というのも自由だし、創価学会の信徒だから神社に参拝しない、というのも自由だ。しかし、だから靖国神社に参拝するのは怪しからん、というのは的外れだ。

 先の戦争が誤りだったか否かという評価は歴史家に任せるとして、国の命に従って戦場へ赴き殉じた国民に敬意を払わない国民であってはならない。しかし、すべての戦争が「悪」だ、というのは現実に目を背けているだけだ。
 駝鳥は肉食獣に襲われて進退窮まると地面に頭を突っ込むという。自らの運命なら文字通り目を逸らす、というのだ。現在の日本国民の多くは戦後徹底したGHQによる自虐史観の洗脳により、明治維新から戦前までの日本の跳躍の近代化史を否定し、自らの国を自らが守るという気概すら奪われてしまった。

 広島の原爆日に「過ちは二度と繰り返しません」という碑文は意味不明だ。原爆投下は紛れもない「非戦闘員の殺害」を禁じたジュネーブ条約違反であり、非人道的な兵器を使用した米国の虐殺行為だったことは、誰が何と言おうと覆すことの出来ない真実だ。
 過ちは原爆を投下した米国にある。戦争の原因は当時の已むに已まれぬ国際関係にあった。日本に非があるとすれば「負け戦」覚悟で戦争に臨んだことだけだ。米国の奴隷になるのか、それとも誇りある国民として死すのか、の選択を迫ったのは米国だ。開戦当時のルーズベルト大統領は日本人を皆殺しにしようとする明確に意思を有していた。その策謀に日本軍部は乗せられただけだ。

 中共政府が隣国諸国に戦争を仕掛けている。領地拡大という前世紀の遺物思想に凝り固まった中共は国民の福祉よりも軍拡を優先して日本を圧倒する軍隊を備えた。危険極まりない存在でしかない。
 その中共政府の中国を巨大なモンスターに育てたのは外国からの投資と外国企業進出だ。もちろん日本からも最盛期には六万社もの企業が中国全土に展開した。現在もバカな経営者たちが目先の利益のために中国進出を計画している。彼らの愚行により日本の危機は鮮明なものになった。

 国家を守る国民がいない国は亡びるだけだ。国難に殉じた先人たちに尊崇の念を抱かない国民もまた滅びるだけだ。いい加減、自虐史観の集団麻酔から醒めて、戦禍に殉じた先人たちに素直に頭を垂れられる国にならなければならない。

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