グローバル化から協調的保護主義へ。
<米中貿易戦争の激化を受け、世界の成長をけん引してきた経済のグローバル化が揺らいでいる。企業の海外直接投資の世界全体の残高は2018年に10年ぶりに減少した。経済のデジタル化で生産設備の必要性が低下してきたという構造要因も絡む。おりしも24日にフランスで主要7カ国首脳会議(G7サミット)が始まるが、各国の足並みは乱れ、有効な処方箋は描けそうにない。
企業による海外への投資のうち、現地法人の設立などで工場や販路を一から作る「グリーンフィールド投資」や海外企業のM&A(合併・買収)など事業の拡大を目的としたものを指す。短期の投資目的で株式や債券などを売買する「証券投資」とは区別される。
直接投資は経済規模が大きく、法規制も整った先進国間でなされることが多い。だが、近年は投資の受け手として、規制緩和を進める中国など新興国の存在感が高まっている。2018年は新興国が投資受け入れ額(残高ベース)の3分の1を占め、過去15年間でシェアが10ポイント以上高まった。資金の出し手としては米欧日など先進国の企業が4分の3にのぼる。
グローバル化を背景に各国間の障壁が下がり、直接投資の環境が改善すると、世界経済の成長にはプラスになるとの研究結果が多い。各企業が生産コストなどの点で最も有利な場所で製品をつくれば、「国際分業」の効果で世界経済の効率が高まると考えられるためだ>(以上「日経新聞」より引用)
上記引用した日経新聞は経営者や投資家を主たる購読層としているため、どうしても主張がグローバル化に片寄るキライがある。今回の真鍋氏の論説も概ね日経新聞の路線に沿ったものでしかない。
ただし、グローバル化が上昇から下降への転換点を経過したとの認識はお持ちのようだ。しかしグローバル化と対峙する思潮を保護主義またはポピュリズム(大衆迎合主義)と規定していることから自ずと論点には限界がある。
真鍋氏たちグローバリズム信奉経済評論家諸氏に伺いたい。グローバル化はそれぞれの国の国民を「幸福」にしただろうか、と。国民は以前よりも豊かな暮らしを手に入れ、より高度な福祉の恩恵に浴して幸せな人生を終えているだろうか、と。
企業や経営者・資本家(含、投資家)たちが短期間に莫大な富を手に入れる仕掛けがグローバル化だ。その世界では労働者は「人」ではなく「労働力」としてカウントされる。だから機械部品のように誰とでも代替が利く「労働力」のため、正規社員である必要はない。生産需要がなくなればいつでも切り捨てられる労働力である方が経営者や資本家にとっては好都合だ。
しかし、それは短期的な視点での話だ。企業経営がゴーイング・コンサーンであるなら、労働力ではなく、技術開発や生産性向上の知恵を出す労働者でなければならない。
経営者たちが考え判断する範疇なぞ狭いものだ。新製品のヒントの多くは現場にこそある。正規社員が安定した雇用を確保してくれる企業に忠誠をつくして、新規技術を開発する技術者として成長するためには生産現場での経験がある程度必要だ。
しかし労働者たちを労働「工数」としか見ない経営者たちには労働力としてのレスポンスしか現場から帰ってこない。派遣労働者に頼る企業は企業の発展・成長力を著しく損なっていると自覚すべきだ。
世界が成長の曲がり角に来ている、と真鍋氏が考えるのは、かれがグローバル世界に身を置いて、グローバリストの目で見ているからだ。もちろん中国で展開している世界の企業はグローバリスト経営者や資本家たちの博覧会のようなものだ。中国の経済成長が鈍化するのは自然の帰結だ。
世界はグローバル化疲れを起こしている。グローバル化で推進して来た世界経済は頭打ちから、次の成長モデルへ転換しようと模索している。それを保護主義やポピュリズム(大衆迎合主義)と呼ぶのは僭越というよりも傲慢に過ぎる。
フランスのエマニエル・トッド氏はグローバルリズムに対峙する概念は協調的保護主義だと規定した。おそらく、世界は協調的保護主義へと向かって、一握りの代弁者の政治家ではなく、それぞれの国の「国民の生活が第一」の政治を行う政治家たちによる協調的な国際関係へと移行するのではないだろうか。
19年も同様の流れが続く。英紙フィナンシャル・タイムズのデータベース「fDi
Markets」によると、企業の投資案件(M&A除く)は18年1~6月の8152件をピークに2半期連続で減り、19年1~6月は6243件と09年下半期以来の低い水準だ。
中国、アジア、ユーロ圏向けが前年同期比で3割減り、日本も2割強落ち込んだ。「最後のフロンティア」とされるアフリカも1割弱減少した。米中対立で貿易のコストが上昇し、景気も悪化したためだ。韓国サムスン電子は中国・天津のスマートフォン工場を閉鎖した。台湾の電源装置大手、台達電子工業(デルタ・エレクトロニクス)は中国生産の比重を減らし、地元での増産で補う。
米国への進出は14%増えた。トランプ流の高関税を避けようと、スウェーデンの商用車大手、ボルボなどが米国内に生産拠点を設けた。ただ、賃金が高い米国での生産はあくまで例外的な動きで、全体の流れを変えるほどではない。実際、世界の貿易にも頭打ち感が出ている。世界の貿易量は米金融危機後に伸びが鈍り、18年秋以降は減少基調に転じている。
「経済のデジタル化」という流れも絡み合う。データを駆使して稼ぐIT(情報技術)ビジネスが台頭し、企業が大規模な生産拠点を抱える戦略的な意義は薄れた。
製造業の代表格、米ゼネラル・モーターズでさえ18年に北米、韓国など少なくとも8工場の閉鎖を決定。固定費を削減し、自動運転に必要な人工知能(AI)などの研究を強化する。fDi Marketsによると、「製造」目的の海外投資の比率は21%弱と10年で3ポイント強低下し、ITビジネスを含む「サービス」(約24%)を下回った。
1989年の「ベルリンの壁崩壊」を号砲に、ヒト、モノ、カネが国境を越えて動くグローバリゼーションが加速し始めた。それから30年を経て、先進国を中心に中間層の没落、格差の拡大などの副作用が深刻になり、いまや保護主義やポピュリズム(大衆迎合主義)を激化させる。
貿易戦争という大きなリスクに直面し、モノづくりを軸とする従来型の産業は海外投資を絞るほかなく、「中期的に経済成長を下押しする」(海外投資にくわしい独ヨハネス・グーテンベルク大学マインツのフィリップ・ハームス氏)恐れがある。一方、「経済のデジタル化」という新たな構造変化は今後も世界全体に広がっていく可能性が高い。グローバリゼーションは質的に変化しながら、さらに進もうとしている。(真鍋和也)
海外直接投資 国際分業、経済の効率高く
企業による海外への投資のうち、現地法人の設立などで工場や販路を一から作る「グリーンフィールド投資」や海外企業のM&A(合併・買収)など事業の拡大を目的としたものを指す。短期の投資目的で株式や債券などを売買する「証券投資」とは区別される。
直接投資は経済規模が大きく、法規制も整った先進国間でなされることが多い。だが、近年は投資の受け手として、規制緩和を進める中国など新興国の存在感が高まっている。2018年は新興国が投資受け入れ額(残高ベース)の3分の1を占め、過去15年間でシェアが10ポイント以上高まった。資金の出し手としては米欧日など先進国の企業が4分の3にのぼる。
グローバル化を背景に各国間の障壁が下がり、直接投資の環境が改善すると、世界経済の成長にはプラスになるとの研究結果が多い。各企業が生産コストなどの点で最も有利な場所で製品をつくれば、「国際分業」の効果で世界経済の効率が高まると考えられるためだ>(以上「日経新聞」より引用)
上記引用した日経新聞は経営者や投資家を主たる購読層としているため、どうしても主張がグローバル化に片寄るキライがある。今回の真鍋氏の論説も概ね日経新聞の路線に沿ったものでしかない。
ただし、グローバル化が上昇から下降への転換点を経過したとの認識はお持ちのようだ。しかしグローバル化と対峙する思潮を保護主義またはポピュリズム(大衆迎合主義)と規定していることから自ずと論点には限界がある。
真鍋氏たちグローバリズム信奉経済評論家諸氏に伺いたい。グローバル化はそれぞれの国の国民を「幸福」にしただろうか、と。国民は以前よりも豊かな暮らしを手に入れ、より高度な福祉の恩恵に浴して幸せな人生を終えているだろうか、と。
企業や経営者・資本家(含、投資家)たちが短期間に莫大な富を手に入れる仕掛けがグローバル化だ。その世界では労働者は「人」ではなく「労働力」としてカウントされる。だから機械部品のように誰とでも代替が利く「労働力」のため、正規社員である必要はない。生産需要がなくなればいつでも切り捨てられる労働力である方が経営者や資本家にとっては好都合だ。
しかし、それは短期的な視点での話だ。企業経営がゴーイング・コンサーンであるなら、労働力ではなく、技術開発や生産性向上の知恵を出す労働者でなければならない。
経営者たちが考え判断する範疇なぞ狭いものだ。新製品のヒントの多くは現場にこそある。正規社員が安定した雇用を確保してくれる企業に忠誠をつくして、新規技術を開発する技術者として成長するためには生産現場での経験がある程度必要だ。
しかし労働者たちを労働「工数」としか見ない経営者たちには労働力としてのレスポンスしか現場から帰ってこない。派遣労働者に頼る企業は企業の発展・成長力を著しく損なっていると自覚すべきだ。
世界が成長の曲がり角に来ている、と真鍋氏が考えるのは、かれがグローバル世界に身を置いて、グローバリストの目で見ているからだ。もちろん中国で展開している世界の企業はグローバリスト経営者や資本家たちの博覧会のようなものだ。中国の経済成長が鈍化するのは自然の帰結だ。
世界はグローバル化疲れを起こしている。グローバル化で推進して来た世界経済は頭打ちから、次の成長モデルへ転換しようと模索している。それを保護主義やポピュリズム(大衆迎合主義)と呼ぶのは僭越というよりも傲慢に過ぎる。
フランスのエマニエル・トッド氏はグローバルリズムに対峙する概念は協調的保護主義だと規定した。おそらく、世界は協調的保護主義へと向かって、一握りの代弁者の政治家ではなく、それぞれの国の「国民の生活が第一」の政治を行う政治家たちによる協調的な国際関係へと移行するのではないだろうか。