ペットは飼える環境で、責任を持って飼うべきだ。

 私は地方都市の中心市街地から離れた中山間地のそれなりの団地に暮らしている。一区画おおよそ80坪から90坪の広さで総戸数550ほどだ。団地に公園が二ヶ所あり保育園もある。
 団地が出来ておよそ半世紀たち、住民が高齢化している。ただ二世や三世の世代が団地に帰って来て、団地に子供の姿も見られる。ただ問題なのはペットだ。

 この地方都市の中心市街地に近い緑地公園に百頭近い「野犬」が屯して問題化しているが、団地でもかつて飼い犬だったと思われる野良犬はいるし、ノラ猫もいる。それらが庭に入り込んで糞をする。
 私の家は庭に芝生を敷き詰めているので犬や猫も気持ちが良いのだろう、置き土産が頻繁にある。その都度妻が怒り心頭の面持ちで処理している。

 今朝のこと、自動車の中を掃除していると家の入り小口に気配がした。何事かと車から顔を出すと、リードに繋がれた飼い犬が入り口の真ん中の芝生の上で気持ち良さそうに糞をしていた。
 私に気付いたのか、中年の婦人が「まあ、こんなところで、して」と驚いたような声を上げた。しかし犬が糞を済ますまでリードを引っ張ることもなく、その後で小さなシャベルで糞を掬い取ると、そそくさと立ち去った。

 ペットを飼うのは自由だ。ペットを家族以上に愛する人も何人か知っている。しかし他人に迷惑や不快な思いをさせてはならない。それが最低限のモラルではないだろうか。
 子供が小さいころ、犬を飼いたいとせがまれたことがある。しかし私は許さなかった。なぜなら80坪程度の敷地で犬を飼うことが完結出来ないからだ。必ず散歩させなければならないし、死後の埋葬などの問題もある。

 私が幼少のころ、家には中型犬の柴犬がいた。実家の周囲は広い山があり、近所に迷惑をかけることなく山を走り回ったものだ。そして犬に取りついて丸々と血を吸ったダニを取ってやったものだ。
 そうした環境であれば飼っても良いだろう。しかし団地で犬を飼うのは無理だ。所有する敷地が犬の運動量に比べて余りに狭すぎる。犬にとってもストレスの溜まる環境ではないだろうか。

 飼い主だけの自己満足だけで動物を飼うのは虐待の一種ではないだろうか。そう、動物園も虐待の一種だと思わざるを得ない。動物個々の尊厳を守り、自由な生き方を尊重するなら、動物園は褒められるものではないだろう。
 家畜はまだしも、動物は決して人間にとってフレンドリーな存在ではない。彼らにとって人間もまた生存競争で戦う相手でしかない。そうした本質を忘れて「カワイイ」と喜ぶのは無知そのものだ。野犬に返ったイヌはかつての犬ではない。

 イヌが可哀そうではないか、と餌やりをする人には「お前が責任を持って、お前の敷地ですべて完結できるなら、飼ったら良い」と言うしかない。そうでなければ、野犬を増やすだけの餌やりは直ちにやめるべきだ。
 人の暮らす地域は人の安全を最優先にすべきだ。犬や猫を飼うことはその犬や猫の生涯の面倒を見ることだ。もちろん排泄の処理や死も覚悟の上でなければならない。勝手に他人の家の中までリードを伸ばして排泄させてはならない。

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