野党政治家は日本の国家と国民のために小沢一郎氏の「自由党」に合流すべきだ。

「数合わせに走った民主党の失敗は繰り返さない」と語る枝野氏だが、政治部デスクによれば「実力あるベテランに自分の党を乗っ取られるのが嫌なだけ」。実は臨時国会前には小沢一郎自由党代表が枝野氏と会談、党の合流を打診したことがあった。だが、枝野氏は言下に拒否。その傲慢な言いぶりに、小沢氏に同行した秘書は怒りのあまり、席を立ったほどだ。
 野党の応援団である連合も“枝野対策”に頭を抱える。11月30日、連合の神津里季生会長と国民民主党の玉木雄一郎代表と枝野氏が来夏の参院選に向けた政策協定を結び、3者で握手する一幕があった。が、当初は「枝野氏が握手を拒否する」との見方があり、連合側は握手を演出するために予行演習を徹底。様子を見ていた連合関係者は「枝野氏一人に振り回されている」と嘆息する。
 徹夜国会となった12月7~8日、国民民主が内閣不信任案の共同提出を立憲側に迫ったが、枝野氏はこれも拒否。7月の通常国会では不信任案提出にあたり自ら3時間近い大演説を敢行、後にその内容が単行本となった枝野氏は「紅白歌合戦も年2回では盛り上がらない。一回で十分」としたり顔だったが、演説原稿を準備していた長妻昭政調会長の顔色は冴えなかった。「枝野の、枝野による、枝野のための党」(立憲スタッフ)のままでは、参院選に向けた野党共闘も前途多難だ>(以上「週刊文春」より引用)

 日本の国家と国民のために安倍自公政権を本気で倒そうとする野党が見当たらないことが日本の最大不幸だ。安倍自公政権が目指している「悪政」は明確になっているが、それに対立する「対立軸」を明確に打ち出している政党が弱小政党の「自由党」以外に見当たらない。
 かつて政権交代を果たした民主党は途中で第二自民党に変節して、民社党への政権交代を起こした支持者たちが離れてしまった。そして前回衆議院選前のドタバタ数合わせ騒動により、安倍自公政権に利してしまった。

 そうした愚に鑑みて、少しはマトモになったかと思ったらそうでもないようだ。希望の党という自民党周辺政治家・小池都知事の垂らした疑似餌に釣られた連中はどうでも良いが、気骨のある野党政治家たちは「民主党時代」の総括をして、「国民の生活が第一」の政治のために小沢一郎氏の「自由党」に結集すべきだ。
 日本の戦後で政権交代を果たした政治家は政治家は小沢一郎氏しかいない。彼を措いて誰に「政権交代」を託すというのか。そして小沢氏が2009年に掲げた民主党マニフェストは今でも、というよりも今だからこそ日本に必要な政策ばかりだ。

 小沢一郎氏の下に集まる政治家の条件は2009民主党マニフェストを遵守し、消費税減税に賛同する者とするだけで良い。もちろん安倍自公政権が成立させた「悪法」の数々を破棄し、安倍自公政権が破棄した「主要穀物種子法」を再成立さるのが公約でなければならない。
 国民の食糧を守り、日本を日本国民の手に取り戻して「主権在民」の憲法理念を復活させるために政治家は死力を尽くすべきだ。愚かでチマチマとした「面子・権力ごっこ」にウツツを抜かす暇はない。日本はまさしく衰亡の坂道を転がり落ちている。政府が宣伝している「イザナギ景気越え」など大嘘だ。それが証拠に国民は貧困化しているではないか。

 国民の暮らしが立たない日本にしたのは誰か。それは安倍自公政権の悪政だが、それを支持したのは間違いなく日本国民だ。日本国民は自らの選択により日本をグローバリストたちの餌食にしている、という現実に目覚めなければならない。
 だからこそ「国民の生活が第一」の政治に舵を切らなければならない。その政治を「ポピュリズム」(大衆迎合)と揶揄するのは安倍友マスメディアだ。その宣伝に惑わされず、日本国民が日本を国民の手に取り戻すために、野党の政治家は小沢一郎氏の下に結集すべきだ。

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