政党内で主導権争いがあるのは党内民主主義の表れだ。
マスメディアは未来の党で「共同代表」を巡って争いがあると報じているが、民主党でも自民党でも代表選出を巡って複数の候補者が争った。何ら異常事態でも何でもない。
むしろ党代表選出を巡って一切党内の争いが外部に伝わって来ない共産党や公明党の方が党内民主主義が担保されていないのではないか、民主主義社会に存在する政党として非民主的な党運営がなされているのではないかと危惧する。
党内で深刻な路線対立が起これば党分裂が起こる方が自然だ。個人的に出自も育ちも地域も異なる政治家が集まって結成する党において、対立するの意見が何もないというのは信仰でしかない。対立があってこそ意見は磨かれより良いものになって行くものだ。テレビのコメンテータたちのように雁首揃えて同じ意見をなぞるのは気色悪くないだろうか。何か一種の信仰に加入している人しかテレビ出演させて頂けないものと思わざるを得ない。信仰は思考停止を必ず伴うから、感想も思想もすべて異口同音になると考えればマスメディアは一種の信仰への加入を出演者に強いているのだろう。
政党はそうであってはならない。政治理念に従って離合集散を行うものだ。自民党が野党時代にそれほどバラケなかったのは素晴らしい、と愚かな政治評論家が持ち上げていたが、それはとりもなおさず自民党の政治家諸氏がある種の信仰に加入しているからだといえなくもない。あるいは利権構造という信仰かもしれないし、「○○ムラ」という村の住人だからかもしれない。
未来の党の内紛を面白おかしく報じるよりも、小沢氏に対する贖罪や謝罪は一体どうなっているのか、この国のマスメディアを任じる方々は。その態度表明の方が先だろう。