上辺だけの日韓、日中友好関係はいらない。
すぐに日韓友好関係が必要だ、或いは日中友好関係が必要だ、という主張が論壇に登場すると思っていたら、やはりそうだった。全国紙にそうした評論が登場し、テレビの解説者などがそうしたコメントを述べはじめた。すべては分別臭いシタリ顔をした連中の妄言に過ぎないのだが。
本当に望ましい日韓関係や日中関係を結びたいのなら、日本が変わるのではなく韓国や中国が変わらなければならないだろう。韓国や中国で施されている「反日教育」が停止されない限り、いかに友好関係の重要さを説いたところで無駄というものだ。
韓国や中国の国民は幼少の頃から反日こそが正しい歴史認識だと教え込まれ、成長してからも反日世論の中で生きている限り、真実の歴史を口にするのは生きてきた社会から排斥される覚悟が必要だと思わざるを得ないだろう。それなら小学校で学んだ通りに反日を大声で喚いている方が楽だろう。
韓国民や中国民が外国で一年も暮らせば彼らの国の方が間違っていることに気付かざるを得ないだろう。特に日本に来れば自由な雰囲気の中で自由な言論が存在していることに驚くだろう。
この国には「自虐史観」といって「悪う御座いました、すべては私が悪う御座いました」と謝るのが大好きな国民がいる。その代表格が村山富市氏であり宮崎喜一氏であり河野洋平氏などのトンチンカンな政治家たちだ。その他に文化人と称するバカな連中がゴマンといて、韓国や中国に理由もなく米搗きバッタのように謝り続けている。
謝ることによって善意の人を演じるのは勝手だが、国際政治の世界では「謝罪」行為は反対給付として「損害賠償」を必ず伴う。それを求めるために韓国や中国ではさらに反日に磨きがかかる。そうした厭らしい連鎖の帰結が韓国大統領の竹島上陸だ。
彼をそこまで増長させた責任の一端は三人の政治家以外にも自虐史観に基づく評論家諸氏の評論のなせる業だろう。テレビ局も彼の国の反日教育に一言の批判もなく、毎日非現実的な虚構の韓国ドラマを流し続けてきた。
儲かりさえすれば何をやっても良い、という考えは恥ずかしいことだと思わなければならない。オバチャンたちも整形美男子たちの微笑に心を蕩かすよりも、この国の利益を真剣に考えなければならない。韓流ブームに乗せられて韓国へ行ったきり行方不明になった御婦人はその後どうなったのだろうか。それが韓流ブームの実態だと、なぜオバチャンたちは気付かないのだろうか。
真の文化交流と縁遠い一つの現象に過ぎない韓流ブームを友好関係の一環と勘違いしている日本国民は本当にお人好しのカモに過ぎない。尻振りダンスの若い女性たちの団体に熱をあげる男たちも同様だ。
幼い頃から徹底した反日教育を受けた国民といかなる「友好関係」が築けるというのだろうか。韓国や中国とマトモな交流は当分できないと覚悟するほうが正しいだろう。韓国や中国が心の底から反省して反日教育を止めるまで国交を閉ざした方が後々のためになるのではないだろうか。当面の貿易をフイにしてでも、未来の国交のためには必要なことではないだろうか。