高額所得者に年金は必要だろうか。
年収850万円を超えるものから減額し、年収1300万円の者から最大約3万2千円を減額するという。それに対して最低所得者加算は6000円だという。
年金世代はほとんどの者が子育てを終えている。それほど高所得でなければならない必要はない。社会保障たる年金が高額所得者にも必要なのだろうか。
年金そのもののありようを議論すべきではないだろうか。そもそも社会保障は資本主義社会にはなかった制度だ。それはすべての国民が平等であるべきとされた社会主義的発想だ。そして資本主義経済下においても、すべての国民が文化的にして最低の暮らしを営む権利を有するとしたのが日本国憲法だ。
つまり問題なのは高額所得者の扱いをどうすべきかというよりも、暮らせない年金受給者や無年金者をどうするかということではないだろうか。高額所得者は勝手に優雅な暮らしを送れば良いだけだ。
昨今、孤独死が問題として報じられている。孤独死を迎える者に高額所得者は皆無で、この現代の日本で貧困のうちに餓死者が出ている現実をどう捉えるのだろうか。
高額な年金保険料を支払ったから高額な年金を受給する、というのなら社会保障ではない。年金受給権利付き掛け金を支払ったというべきだろう。それに対して医療保険はいかに高額であろうと、均等割りしか支払っていまいと、医療窓口では平等に扱われる。それが社会保障制度の本来的な運用ではないだろうか。年金も低年金者と高額年金者と雲泥の差がある現行制度が果たして正しいのか、議論すべきではないだろうか。
それどころではない、このままいけば10%消費税増税時に共済年金と厚生年金との一元化すら実現されず、優遇された共済年金はそのまま温存されるという。
消費税は貧乏人にきつい逆進性の高い税だ。それで高額年金を維持する、というのなら何をか況やではないだろうか。本質的な『税による富の再配分』にすら逆行する悪政と言わざるを得ない。おざなりに「財政破綻だ」と叫ぶ財務官僚狼少年に騙されてはならない。ここはじっくりと議論して「税と社会保障の一体改革」を行うべきで、その議論に貧乏人を加えるべきだ。高級官僚や高額所得者による年金の設計は所詮高額所得者に甘い年金にならざるを得ない。社会保障は何のためにあるのか、という視点を忘れた既得権擁護の理論を国民は聞き飽きている。