他国への関与は最低限度に
アフガンのカイザル現政権は米軍とともに戦っているタリバンと、実は話し合っているといわれている。全国土の大半8割以上を支配しているタリバンと都市部の点のみを確保しているカイザル政権とでは米軍が撤退して後どうなるかは明らかだ。カイザル政権要人は皆殺しにならないまでも国外追放の憂き目にあわないために、話し合いという保険をかけているのだろう。
日本が支援するというのはどちらの政権に対してだろうか。現在の米国傀儡カイザル政権なのか、それとも米軍撤退後のアフガン統治者になるタリバン政権に対してだろうか。
元来、アフガンはタリバン政権だった。それを外国勢力、以前は旧ソ連であり現在は米国が介入してタリバン政権を駆逐したのだ。世界の民主的で基本的人権の確立した国家に暮らす人々から見るとタリバン政権のイスラム原理主義政策は容認しがたいのだろう。世界でテロを起こしているアルカイダを擁護しているタリバンは米国にとって許し難いのも良く分かる。
しかし、それでも米国の基本的な立場は「民族自決」ではなかっただろうか。アフガンの国民がどちらを支持しているのかは明白だ。米軍が撤退すればベトナムのようにアフガンはたちまちタリバン政権が確立するだろう。
同じアジア圏の国家仲間として日本は米国とは違ったスタンスでアフガンと接すべきだと考える。それはイランについてもいえることだ。米国のイラン政権に対する制裁に付き合って、日本がイラン油田開発で確保していた利権を手放したが、そうした馬鹿げた「お付き合い」を続けて日本の国益として何があるのだろうか。
米国がいつまでも世界覇権国家として君臨し続けると考えるのは間違いだ。米国と同じ陣営にくみしていれば日本は安全だと考えるのも間違いだ。菅政権は完全に官僚に取り込まれて、米国ポチ政権になってしまったが、米国が世界の覇権国家であるからポチである限り日本も安全だとするこの国の空気は実は大変危険だといわざるを得ない。官僚や大マスコミは戦後一貫してポチ外交を支持しポチであり続けるように国民を誘導してきたが、そろそろ日本は日本国民が守るべきだ、とする独立自尊の道へ切り替える時期ではないだろうか。
二国間の同盟関係が永遠に続くことはありえない。いつかは終わる、と予想して備えるのが本当の政権の姿勢だ。日本が保有する700兆円もの米国債がいつの日にか紙屑にならないとも限らないと、危機管理を予定しない日本政府と通貨当局は国民に対して無責任のそしりを免れない。
莫大な用心棒代を支払い続けて、日本の国土が安泰でないのはなぜだろうか。つまり米軍は日本を守っていないということではないだろうか。役に立たない用心棒が大きな顔をして辺野古沖をよこせだの、グアム移転経費の6割以上を支払え、というのは国家から国家に対する正当な要求だろうか。
米国とこれ以上コミットするのは危険だ。日本は米国とだけコミットするのではなく、東南アジア諸国とコミットして、対中国の独自政策を構築すべく動くべき時期に達しているのではないだろうか。国民はそれを願って民主党へ政権交代したのではなかっただろうか。