世代間の押し付け合いだとかいうのは詰まらない議論だ。

 世代は固定的なものではない。若者もいつかは老いる。老いたる者は衰えて命を終える。それが人の常の姿だ。それを世代間に負担の押し付け合いだとか、膨大な額が若者に押し付けられる、という議論は無駄なことだろう。出来もしない仕組みをバカな算術だけ重ねても出来ないことは明らかだし無駄なことだ。


 


 そもそも政治の根本命題は国土の保全と国民の生命財産の確保にある。そのために国民は徴税権を政府に委ねている。それを国民に共通の健康と命の問題であるにも拘らず「健康保険」としているのに誤魔化しがある。保険で賄うべき筋合いのものでは、そもそもないはずだ。税を徴収する根本命題が国民の生命と財産のためなら医療・介護は税で賄うのが本筋だ。それを健康保険だ国民保険だ保険連合会だ介護保険だ等々と様々な団体とカネの流れを作り摩訶不思議な仕組みに創り上げたのが官僚だ。増改築を重ねて入り組んだ老舗旅館のような仕組みとカネの流れを放置して屋上屋を重ねるような増改築はやめよう。官僚の提示した議論の土俵に上がるのがそもそもの間違いだ。


 


 医療・介護をすべて税で賄うとして議論すべきだ。そして国民負担を一割乃至三割と所得によって段階をつければ良い。たとえ老人であろうと所得のある者は三割払えば良いし、若者でも所得のない者は一割で診ればよいのではないだろうか。年齢で後期高齢者がどうだこうだということにどれほどの意味があるだろうか。若者でも疾病によっては死に到るし重篤な障害も残る。


 官僚が提示した議論には乗らないで、国民がそもそも政府に託したものは何かを再考しなければならないし、そうした時期になっていると思われる。余りにも複雑な仕組みを官僚は考えて、医療保険だ介護保険だと別の財布を官庁内に作り、財布の底が抜けているのを隠して「金が足りない」とマスコミにこぼせば、後はマスコミが騒ぎ立てて保険料の値上げをしてくれる。それは増税議論とは関係なく官庁の提起で出来るし、外郭団体も官庁の匙加減一つで幾らでも作られる。マスコミ主導のこんなバカな議論に国民は乗らないことだ。政府に託したのは国民の生命と財産の確保だ、と大きな顔をして主張することだ。そうすれば「保険制度」で運用している医療・介護の誤魔化しが明らかになって来るだろう。


 


 それは年金会計にもいえる。すべての20歳以上の国民に加入を義務付けられている「いずれかの年金」であるのなら、各種「年金保険」も税を財源として保険料の徴収を止めることだ。国民全員に義務付けられているのならば年金保険は呼称をいくら変えようと「税」そのものではないだろうか。だから年金の一元化だとか二階建てだとかいった議論も官僚が自分たちの「恩給」から始まる「共済年金」の既得権擁護のすり替えに他ならないと看破すべきだ。国民全員の加入が義務付けられているのなら「税」とすべきが本筋だ。その方向へ移行すれば「日本年金機構」だとか、消えた年金捜索費用だとかの支出は必要なくなる。すべては税に一本化すれば良いだけだ。当然にして無用な官庁・部局はすべて廃止できる。そして税で賄うから国民すべて同一金額の年金ということになる。国民年金が生活保護を下回るような不可解な事態は解消できるだろう。定年退職後までも元公務員が優遇されるという馬鹿げた官尊民卑の社会はそろそろ改めようではないか。


 


 その代わり「消費税」が大幅に上がることを国民は承知しなければならない。しかしマスコミの無用な脅しに乗ってはならない。消費税は増額するが、年金保険も健康保険も天引きされなくなり、実質的な国民負担はかえって軽減されると思われる。なぜ「思われる」としたのかというと、不要となった官庁部局は廃止され外郭団体はなくなり天下りも劇的に縮減されるが、官僚は自分たちの既得権を簡単には手放さない。その官僚との対決を政治家がどの程度本気でするかどうかにかかっている。つまり最終的には政治家を選ぶ有権者の意識に関わるのだが、簡単にマスコミ捏造の「小沢氏の疑惑」なるものを頭から信じる国民が大多数いる現状を見ると困難なことだといわざるを得ない。だから「思われる」としたのだ。



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